青根ヶ峰〜五番関


大峰奥駈道(2)



 大天井岳から四寸岩山を望む

【登 山 日】2004年5月15 日(土) 晴
【メンバー】日本山岳会関西支部:16名(L森沢義信)、(会員外)9名、計25名
【コースタイム】大滝分岐手前駐車場 09:20…大滝分岐09:32…一里茶屋跡09:54…心見茶屋跡10:20…守屋ノ茶屋跡10:35〜10:48…新茶屋分岐11:05… 四寸岩山11:16〜11:33…足摺の宿11:43〜11:50…九十丁石12:13〜12:30…69二蔵宿12:45〜13:21(昼食)…大天井茶屋跡14:01〜14:25…大天井岳14:35〜15:05… 五番関15:35〜15:48… トンネル西口15:50

   走り梅雨に入ったが、今日一日は晴れから曇りの天候で保つようだ。近鉄八木駅前でマイクロバスに乗り、すっかり青葉になった吉野山を車窓に眺めながら走り、大滝道手前の車止めで下車。奥駈道第二回目の今日は、江戸時代に歩かれた「大天井越え」と呼ばれた尾根通しの古道を歩く。森沢さんを先頭に長い列になって出発。真っ青な空の下、右手(北方)に音羽三山、龍門岳、烏ノ塒屋山などを見ながら舗装の林道吉野大峰線を行く。前回終了地点の大滝分岐を過ぎ、青篠茶屋跡でいよいよ奥駈道に入る。スギ林の中を少し登るとなだらかな道になったが、10分も歩くと林道に出合ってまた舗装路を歩くことになる。
99年に開通したこの林道(吉野大峰線)は、明治末に新設された新奥駈道をなぞるように建設されていて、川上村高原・天川村洞川に通じていると森沢さんからお聞きした。さらに別の林道(吉野槇尾線)を見過ごして、やっと四寸岩山登山口に来る。
 ここから私たちが辿る古道は、明治末まで利用されていた奥駈道を林道開通後に金峯山寺が復旧したものである。ヒノキ林と笹原の道はひんやりと涼しくて歩きやすい。心見茶屋跡付近は木材運搬用レールに沿った急坂を登る。林間の小広い台地にある守屋茶屋跡で小憩、暗緑色のスギ林の向こうにどっしりした姿の四寸岩山が仰がれた。
少し登ると新茶屋分岐で、「あと500m」の標識がある。冷気が漂う杉林の中、山腹の捲き道を過ぎると再び急登となる。ブナの大木が多く、若葉の新緑で身体が染まるような中を行くと、山名のいわれの岩があった。かっては四寸しかない、この岩の隙間を通ったそうだが、今は山道の横にある平凡な石に過ぎない。その少し上が1246m二等三角点の頂上で、目指す大天井岳が高く、その左に山上ヶ岳が微かに望めた。ここから大天井岳までは、直線距離4.2qの間に標高差で200m下り、400m登り返すことになる。
いったん下って足摺茶屋跡に出る。苔むした大きな岩の上に小さな山伏の石像が立っていた。背後に祠を内部にもつ新しい立派な小屋が建っている。緩やかなアップダウンで緑のササに白い石灰岩(カレンフェルト)が散らばる台地を過ぎると、また吉野大峰線に出会う。ここに九十丁石(吉野からの距離)が立ち、平行して新道があるが、私たちは靡のある旧道に入る。次第に登りになり、スギの落ち葉の中に茶碗の破片がたくさん散らばっているところを過ぎる。現代では見られぬ珍しい図柄で、江戸時代のものと聞く。チゴユリやギンリョウソウの白い花が咲いている。
靡69番の「二蔵宿」(百丁茶屋跡)の標識を過ぎると、すぐ上が二蔵宿小屋(新百丁茶屋跡)で不動堂と行者堂がある。新しい小屋内部はきれいに整頓され、法具を納めた木箱や寝具まで備えられていた。その前の広場に思い思い陣取って遅い昼食を取る。 

二蔵宿は林道と新・旧奥駈道の三つの分岐点になっていて、真ん中の新道は明治末に作られたもので、大天井岳の東側を捲いている。私たちは一番山側になる、杉林の中の旧道を登る。
お腹が膨れたため重くなった足を励ましながら尾根に出ると、背後の展望が開け、不動明王の祠のある広い台地状の大天井茶屋跡に着いた。花の盛りを過ぎたハシリドコロが群生する中に、二、三輪のヤマシャクヤクが咲いていた。祠の後ろから、再びモノレール沿いの急坂が始まる。小さい葉に濃い紫色の大きな花をつけたスミレや、カワチブシ、ギボウシ、ハリブキなどの緑の葉を見ながら登る。頂上が近づくと軌道と別れ、ごつごつした岩混じりの急な道になる。
 登り切って尾根に出ると頂上(三等三角点・1438.7m)はすぐ右手にあった。
四寸岩山から百貝岳に延びる尾根の上に青根ヶ峰が見える。今朝、あそこから歩いてきたと思えないほど遠く小さい。午後になって雲が多くなって遠目は利かなくなった。山名板と三角点を前に記念撮影をして山頂を後にする。
ここからは林の中の緩やかな降りになる。薄暗い中に、たった一輪だけシャクナゲの花が鮮やかに浮かんでいた。岩混じりの急な下り道の途中から山上ヶ岳を見る。宿坊の屋根や稲村ヶ岳へ延びる稜線も望めた。御番石茶屋跡には
碁磐石という大石がある。岩に碁盤の目のような模様が見えるということだが、いくら見てもそうは見えない。
少し先の広場が五番関で奥駈新道がここで合流する。女人結界門には神変大菩薩の文字がある五色の旗が立ち、現在も女人禁制を守っている旨の掲示が英文のものと二つあった。去年来たときより道標も新しくなり、大錫杖も一本増えている。
 今日の奥駈道はここで終わり、次回は残念ながら男性だけの山行となる。結界門に手を合わせ、バスの待つトンネル西口へ下る。途中で足を痛めた人があって予想外に時間がかかったが、幸い天候に恵まれ無事、二回目の行程を終わることができた。

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