大雲取、小雲取越え(1)  



【登 山 日】2005年9月23 日(祝)〜24日(土)
【メンバー】日本山岳会関西支部 13名、会員外 2名
【コースタイム】
(23日)請川橋バス停11:30…松畑茶屋跡12:30〜13:08…百間グラ13:27〜13:35…石堂茶屋跡14:10〜14:25…桜峠14:50…桜茶屋跡15:05〜15:15…小和瀬渡し跡16:10〜16:25…小口自然の家16:30 
(24日)小口自然の家07:00…円座石07:30〜07:35…中根旅籠跡休憩所07:57〜08:05…楠の久保旅籠跡08:15…胴切坂看板09:05…越前峠09:50〜10:00…地蔵茶屋跡10:35 〜11:00…(途中昼食35分)…色川辻12:35…舟見茶屋跡12:50〜13:00…登立茶屋跡13:40…那智高原14:15…青岸渡寺14:30



かって熊野詣の旅人は、はるばる辿り着いた本宮から舟で熊野川を下り、新宮(速玉大社)から陸路、那智大社に向かった。更に「大雲取小雲取」の厳しい山坂を越えて再び本宮へ戻り、熊野三山巡拝を終えたという。神の国・熊野はまた黄泉の国でもあり、難行苦行を経て新しい人間に「よみがえる」再生の旅が熊野詣であったといえよう。その意味では那智から北へ向かうのが順序だが、私たちはこれまで歩んできた大峰奥駈道、また中辺路の延長として、更に日程上の都合もあって、南下するルートを選んだ。まず小雲取を越えて中継点の小口で一泊、二日目に大雲取越えで那智に向かった。
9月23日。朝7時過ぎ八木を発つ。国道168号線を南へ、マイクロバスに揺られること4時間あまり、ようやくスタート地点の請川に着く。快晴の空から夏のような陽光が降り注ぐ中、身支度を調えてヒガンバナの咲く集落の中を登る。山道に入るとスギやヒノキの大木が日を遮り、少しは涼しくなったが、それでもすぐに汗が滴り落ちてくる。左手の国道と熊野川がぐんぐん下になり、何度か緩急の坂道を繰り返す。道の真ん中にホトトギスに似た小さな黄色い花がポツンと一つ咲いている。少し行くとまた一つ。帰ってから調べるとチャボホトトギスという花だった。タマガワホトトギスに比べて茎が短く、地上すれすれにフクジュソウのように咲いている。
歩き初めて1時間で松畑茶屋跡である。ここまでで番号をつけた道標を八つ数えたが、「街道マップ」によると今日最後の数字は「25」になっている。この先にも所々に往事賑わった名残である茶屋跡があるが、ここ松畑茶屋跡にも立派な石垣が残っている。道の両側にあるベンチに腰を下ろして、遅めの昼食をとる。
万才(ばんせ)峠への分岐を過ぎ、更に急な尾根道を登って百間グラに立つ。西側の傾斜が急な巌頭に、石の地蔵さんが立っている。しばし、果無山脈や大塔山系の山々が延々と連なりを見せる雄大な眺めを楽しむ。
ここから緩やかなアップダウンで林道を横切り、地形図に小雲取山の文字のある450mP?に来る。今度は東側の展望が開けて大きな山容の子ノ泊山が、振り返ると梢越しに緑の如法山が見えた。苔むした石の階段道を下っていくと「賽の河原」の標識があった。道の片側に小石を積み上げて、その上に石の地蔵さん。御岳や南ア地蔵岳の賽ノ河原に比べると規模は格別に小さいが、鬱蒼とした暗い雰囲気は「隠りくの熊野」にふさわしい。石堂茶屋跡の休憩所でしばらく休み、小雲取の最高所・桜峠への登りにかかる。苔むした急な石段を登り詰めたところが峠(466m)で道標と歌碑があり、再び急な道を桜茶屋跡(左の写真)へ下る。
明治時代まであったという茶屋跡は広い空き地で、傍らの説明版に「休め休め日は暮れ次第桜茶屋」などの句が記されていた。石畳や石段をどんどん降りていくと、赤木川の流れが次第に大きく見えてきて、最後は民家の横の石段を通って広い舗装路に飛び出した。大きな橋を渡るところが「小和瀬の渡し」で、昭和29年に吊橋が出来るまで、渡し舟が残っていたという。対岸に熊野古道の碑や小雲取の看板が立ち、トイレや休憩所がある。緩い坂道を登って小口の集落までは10分足らず、廃校跡を利用した小口自然の家で山靴のひもを解く。ゆっくりと風呂に浸かって汗を流したあとの冷たいビールは、何ものにも代え難い甘露の味だった。

 大雲取・小雲取越え2へ      紀伊山地の参詣道 indexへ         
inserted by FC2 system