大雲取、小雲取越え(2)  



【コースタイム】
(9月24日)小口自然の家07:00…円座石07:30〜07:35…中根旅籠跡休憩所07:57〜08:05…楠の久保旅籠跡08:15…胴切坂看板09:05…越前峠09:50〜10:00…地蔵茶屋跡10:35 〜11:00…(途中昼食35分)…色川辻12:35…舟見茶屋跡12:50〜13:00…登立茶屋跡13:40…那智高原14:15…青岸渡寺14:30



9月24日。雨の音で目が覚めたと思ったが幸いにも杞憂に過ぎず、すぐ横を流れる川の水音だった。7時、同時刻に出発して小雲取越えに向かう大パーティと逆に歩き出す。大雲取の標識が立つ登山口から石段の登りになる。イワタバコの花がびっしり付いている石垣が途切れると、すぐ杉木立の山道に入っていく。一面に朝霧が立ちこめて正に雲の中に踏み入っていく感じだが、湿度が高く蒸し暑いのにはほとほと弱った。今日も要所に番号標識があるが、最初の1番までもが長く感じた。
2番標識との間に「円座石」(わろうだいし)がある。石の上にある紋様を丸い座布団(わろうだ)に見立てたもので、熊野の神々がそこにすわって茶を飲み、相談ごとをしたと伝えられている。深い杉林の中、緑に苔むした大石にそれぞれの大社を顕す三つの梵字が刻まれ、今にも神々の声が聞こえてくるような神秘的な雰囲気が漂っている。
石畳の急坂を登りきった中根の旅籠跡でしばらく休む。古い石垣など見ながら行くと楠久保旅籠跡がある。説明版によれば、かっては十数軒もの旅籠があり、昭和35年頃まで人が住んでいたという。パーティの最後尾を写真など撮りながらゆっくり歩かせて貰っているうちに、いつの間にか二つのグループに分かれ、前の人はかなり先に行ってしまった。胴切坂という不気味な看板がある辺りからは、雲取越えの中でも名だたる難所、越前峠越えになる。
急な石畳や階段が連続する道を、足を休めながらゆっくり登る。小口からの標高差800m余、ようやく登り詰めた越前峠(871m)は鬱蒼とした杉林の中で、かって越前まで見渡せたという展望は想像も出来ない。一息ついて、苔むした滑りやすい石段道を下り、林道を横切って再び急な石畳の登り道で石倉峠に着く。ここに立つ斉藤茂吉の歌碑が、そのまま私の有り様である。「紀伊の国の 大雲取の 峰ごえに 一足ごとに わが汗はおつ」。
滴る汗を拭って地蔵茶屋跡へ下り、ここで全員が終結した。しばらくの間、舗装道路と新しく切り開かれた歩道が並行して続く。ここでまたパーティが分裂したが、カンカン照りの舗装路を敬遠して林の中の歩道を行く。新しい梯子段などもあるアップダウンが何度かあり、舗装路組とは次第に距離が空いて行った。再び舗装路と合流したところで待っていた先行組と合流、私が先頭を代わって昼食場所を探す。また何度か緩い登降の後、風が吹き通る開けた場所を見つけて腰を下ろす。傍らには新しい祠と鳥居があった。食後はなだらかに下って「八丁掘割」の標識がある色川辻に出る。花折街道の標識もあった。
食後はなだらかに下って「八丁掘割」の標識がある色川辻に出る。花折街道の標識もあった。登り道に変わると同時にポツポツと雨が落ちてきた。幸い雨具を出すほどのこともなく、舟見峠に着く。少し先の舟見茶屋跡が展望所になっていて、ここにザックを降ろす。標高883.4m、先程の越前峠よりも高いのは意外だった。やや靄がかかっていたが那智湾の海岸線に寄せる白波が望め、その右に那智高原、妙法山が招いていた。快い風が吹き抜けて、実に爽快な気分だった。
舟見峠からは殆ど下り一方になり、どんどん高度を下げていく。並行する車道を見下ろすようになると、その向こうに烏帽子山の姿が見えるようになった。去年の12月に登ったばかりで、まだ記憶に新しい山だ。左肩に烏帽子岩がくっきり見える。ススキが穂を出した那智高原の公園を突っ切り、青岸渡寺への長い長い石段道にかかる。見覚えある二の滝分岐からも、まだかまだかと思うほど長い。
14時半、15.6qの行程を終えて青岸渡寺に到着。境内は大勢の参詣客や観光客で賑わっていた。森沢さんや宗實さん夫妻と奥駈道を歩いたご縁がある住職のお話を聞き、一緒に記念撮影に収まって頂いた。朱色の三重塔を前景にした那智の滝はお馴染みの風景だが、今日は格別に美しく荘厳に思えた。そのあと那智大社に参拝。青岸渡寺で般若心経を唱えて古道踏破の報告をして、清々しい気持ちでお山を後にした。

 紀伊山地の参詣道 indexへ         
inserted by FC2 system