47 吉野山(858m)





【よしのやま】吉野川南岸から大峰山脈に続く一連の山並みの総称で、上の標高は最高峰の青根ヶ峰(あおねがみね)のものである。古来、桜の名所として知られ、多くの詩歌や文芸作品を生み、また古くは壬申の乱の際の大海人皇子の隠棲、頼朝に追われた義経の逃避行、更には芭蕉の門弟、支考の「歌書よりも軍書でかなし吉野山」の句で知られる太平記の舞台ともなった。また熊野へと続く大峰奥駆道の起点であり、桜の木が多いのも修験道の開祖・役小角が修行中に感得した蔵王権現を桜の樹で彫ったことで以後、神木として大事に育てられてきたことによる。


山麓の「柳の宿」は大峰奥駆道の七五宿のうち、逆峯(熊野から吉野に向かう順峯に対しての呼び名)では最初の宿となる。2004年、ここから熊野本宮まで七回に分けて踏破したが、第一回の青根ヶ峰までのコースhttp://mountainpenguin.web.fc2.com/kiisanchi/okugake1/okugake1.html を別項で記している。ちょうど桜の時期で素晴らしい眺めだった。

青根ヶ峰の頂上近くには、「従是女人結界」の文字の両側に「左・蜻蛉瀧、右・大峰山上」を示す大峯奥駆道の結界石とお地蔵さんが立っている。この結界石は慶応元年のものだが、第二次大戦後の1970年に結界の位置が五番関に後退するまで、長らくここから先が大峯山の女人禁制区域だった。 ここから木の階段道を登ると青根ヶ峰の三等三角点があるが、樹木の中で展望は得られない。
上の石標の少し手前、金峰神社を過ぎたところに「峰入りや一里遅るる小山伏」の句碑がある。ここの辺りが大峰七五靡き(なびき)の第七十番「愛染(あいぜん)宿」跡であるが、この地名は明治初年の廃仏毀釈まで安禅寺の愛染宝塔があったためという。 ここで奥駆道と離れ、奥千本に向かうと「西行庵」がある。西行が隠棲した桜の名所で、「吉野山やがていでしと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ」と詠んだところ。芭蕉の「露とくとく試みに浮世すすがばや」の句で知られる苔清水が滴り落ちている。
近鉄吉野駅より上千本を経て青根ヶ峰へは2時間30分。

川上村大滝からは、林道沿いに2時間。途中には落差30mの「蜻蛉(せいれい)の滝」がある。音無川沿いに登り、愛染宿跡とは反対側の車道にでると階段で山頂に登る。

私の関西百山
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