110 外 鎌 山



【登 山 日】2001年3 月3日(土) 晴れたり曇ったり
【メンバー】芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】 忍坂道伝承地碑(駐車場所)11:55…頂上13:00〜13:20…(途中昼食30分)…駐車場所14:25
  

 

明日は大荒れの天候という予報に、出発がやや遅いが外鎌山に向かう。桜井から大宇陀に向かう166号線に入り、朝倉台への標識で左折、まず北側の史跡公園に寄ってみる。4基ある古墳横から見る外鎌山は、やや崩れた富士山型である。左肩に見える巨大な青色の給水タンクは、山裾まで押し寄せる住宅群にとっては大事な施設だろうが、私には美しいこの山の「染み」のように思える。「…あたらしき 山の荒れまく惜しも」と詠まれるように、万葉の昔にも環境破壊があったようで、よくよく運の悪い山だ。南側から登ることにしてR166を少し大宇陀の方に走り、歴史街道の標識と「忍坂道伝承地」という石碑のある分岐を入り、駐車する。
石位寺の前を北へ進み、「欽明天皇陵従是一町」の石標に導かれて坂を上る。御陵を過ぎたところで山に向かう細い道を見つけ、畑仕事の小母さんにこの道でいいかを尋ねると、「昔は道があったようだが、今は藪が繁り登る人もない」との返事であった。2万5千図にも道の記載はないので、もとよりヤブ漕ぎは覚悟の上、「駄目なら引き返します」と100mも行かぬうちに道は消えた。背丈よりも高く、しかも太いスズタケが密生する中を強引に漕いでいく。風に木がこすれるような音に立ち止まると、小さなキツツキ科の鳥(コゲラ?)が無心にドラミングしていた。30分近くのヤブ漕ぎに腕がだるくなる頃やっと抜けだして、雑木林の中の小さなピークに着く。目標確認のためのポケナビが予想外の方向を指すので、山頂が見える所まで移動する。目視で確認して引き返し、ナビはザックの中に仕舞って勘を頼りに頂上を目指す。灌木の生い茂る尾根を更に30分近く登ると、次第に踏み跡が明瞭になる。やがて木の幹に巻き付けたビニールテープ標識も現れ、せまい頂上に着いた。

南朝の「忠臣」玉井西阿の最後の砦があったという頂上からは、木の間隠れだが大和三山、桜井市街、三輪山、音羽三山とまずまずの展望が得られた。数本のヤマザクラもあり、花の頃はまた違った風情があろう。クマザサの茂る中に、西阿の碑と二竜王を祀る碑がある。朝倉台への降り口を見ると、こちらはかなりはっきりした道が上って来ている。そこから「誰でも登れるように」と道を付けに、坂口さんとおっしゃる方が登って来られた。周辺の山についていろいろ教えていただく。帰りは、坂口さんから聞いた道を下ると、案外早く大伴皇女墓の横に出た。なんと、登りの欽明陵からはそれほど離れていない。小さな青い星のようなイヌノフグリ、これも小さく白い星のハコベ、黄や白のタンポポも咲き競い、忍坂の里は早い春に彩られていた。


 「奈良100遊山プラス10」    ペンギン夫婦お山歩日記
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