102  頂 仙 岳 




【登 山 日】2004年10月16 日(土)〜17日(日) 快晴
【メンバー】森沢義信、中島隆、久保和恵、芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】 16日 行者還トンネル西口10:40…奥駈道に出る11:30〜11:45…五六・石休宿12:03…弁天ノ森12:15…(昼食)12:27〜13:05…五五・聖宝ノ宿13:15〜13:18…旧道との出合13:57…弥山小屋14:22…五四・弥山
17日 弥山小屋06:35…大黒岩06:50…狼平07:30〜07:35…明星ヶ岳との分岐07:52…頂仙岳08:15〜08:30…分岐09:16…細尾山?(ティータイム)09:36〜10:15…奥駈道に出る10:55…50明星ヶ岳11:00〜11:05…五一・八経ヶ岳11:25〜12:00…五二古今ノ宿12:08…五三頂仙岳遙拝所12:16…弥山小屋12:30〜12:40…聖宝ノ宿13:10…(ティータイム)13:20〜13:53…奥駈道を離れる14:20…トンネル西口15:00 (地名の前の漢数字は奥駆道靡き)
昨夜、弥山小屋の同宿は50人余。例年のこの時期に比べてかなり少ないそうだ。清潔な寝具で休み、朝食を頂いて小屋の外にでると、朝の冷気に身が引き締まる。ウォーミングアップをしていた10数人のパーティは、ガイドに引率されて八経ヶ岳へ向かった。私たちは狼平へ下る道に入る。シラビの白骨林を通して、行く手に見える低い三角形は山腹に大黒岩のある1818mピークで、頂仙岳はその影にあって見えない。この山の捲き道を行くと大黒岩があった。踏み跡を拾って近くまで登ったが、何の変哲もない岩である。やがて頂仙岳が姿を現した。すっくと立ち上がったような、整った円錐の山容が朝日に輝いている。次第に急な下りになり木の階段道がずっと続く。谷音が高くなり狼平の避難小屋が近くなると、白い霜が踏み板を覆って滑りやすくなっている。県が立てた立派な小屋は内部も清潔で、住み心地が良さそうだ。小屋前の広場に二張りのテントもあった。
清冽な流れの弥山川に架かる橋を渡る。川沿いに川合へ下る道には通行止の標識がある。すぐ下の聖門ノ滝から始まる急峻な滝や岩場など悪場の連続に、事故を起こす人が後を絶たないためと思われる。岩混じりの急な登りはしばらくで終わり、なだらかな道になる。この辺りからが地図の高崎横手らしい。緑のコケのジュウタンの上に、シラビソやトウヒの小さな子どもが並んでいる。大自然の中では確実に世代交代が進んでいるようだ。「何十年か経って大きな樹に成長する頃には、私たちはもう見ることができないね」などと話しながら、のんびりと歩く。T字路があり、新しい概念地図と標識が設けられている。右は以前からある、頂仙岳の横を通り川合へ下る道、左が明星ヶ岳への道である。私たちはまず頂仙岳を目指す。
山腹の緩やかな道で小さな峠状のところに来る。山頂へのはっきりした登山道はなく、トウヒ、シャクナゲ、カエデ、ヒメシャラなどの密生する斜面を思い思いに高みを目指して登る。枝を掻き分けたり、くぐったりしながら登り着いた山頂には、三角点といくつかの山名板があった。しかし樹木に囲まれて無展望である。少し先の展望が開けたところから、僅かに北から東にかけての展望が得られた。三角点で記念写真をとり、また思い思いに下る。声を掛け合いながら下った筈がいつの間にかバラバラに分かれてしまい、元の道に出て全員が顔を揃えるまでに 30分近くかかった。下る途中でビニールテープ標識を見つけたので、これから登るという三人にそれを教える。

標識まで戻り、明星ヶ岳への道に入る。古くから土地の人が利用していた道だが、弥山小屋管理人西岡さんらの尽力で立派な歩きやすい登山道となった。今春、開かれたばかりだが、随所に道標や赤テープ、ロープ柵が設けられて、迷わずに歩けるように手入れされている。このような設備の他、切り開き、道の補修など、よほどの熱意がなければできることではない。元の状態なら尾根が広いだけに、初めて来たものはルート探しに余程苦労したことだろう。まだ多くの登山者で踏み固められていない道はフカフカと足に優しく、小屋で「あの道は今が旬」と言われた意味が初めて理解できた。緑のコケに覆われた林床に立ち並ぶトウヒやシラビの中を、「いいなあ」「本当にいいところだね」と言い合いながら、落ち葉の感触を確かめるように歩く。

初夏には天女の花・オオヤマレンゲも見られるという道は、殆ど疲れも感じないうちに次第に高度を上げ、いつか八剣谷を見下ろす地点に来ている。林を抜けだした尾根上の台地で非常に展望の良いところだ中島、久保さんの二人がまめまめしく準備して下さって、コーヒー、紅茶、緑茶にお菓子と豪華なティータイムを楽しむ。森沢さんからは、見える限りの山の名を詳しく教えて貰った。まず真南に兎が寝ているように見える七面山。その右は、頂上に円いアンテナが二つ見える下辻山。さらに遠くは奥高野から熊野にかけて数えきれぬ程の峰々…。反対に向き直ると、八剣谷、池ノ谷を隔てて秋の衣を纏った弥山の山肌と八経ヶ岳。雲一つない青空の下に展開する豪華な絵巻物に、しばし時を忘れて陶酔する。
立ち去りがたい思いを振り切って、明星ヶ岳に向かう。少し緩く下った、やや湿った草地から再びなだらかな登りになる。カヤツリグサの仲間や、コシダ、スギコケ、ヒカゲノカツラが地面を覆う草地で踏み跡はやや不明瞭になるが、すぐに明瞭な登山道に戻り、短いがやや急な坂を登ると奥駈道に飛び出した。明星ヶ岳直下の弥山辻と呼ばれるところである。奥駈道は頂上を巻いているが、私たちは頂上を目指す。はっきりした道はなく斜面を直登気味に行くが、頂仙岳と違って木が疎らな上に短い登りなので、10分足らずで難なく山頂に着く。シラビソやトウヒの原生林に囲まれ、一帯が仏教ヶ岳原始林として国の天然記念物指定を受けている。大きな山名板を囲んで記念写真を撮る。右に折れるように下る道があり、見覚えのある奈良県の赤ビニール標識がずっと続いている。ここにも登山路が作られるのだろうか。しかし、テープのおかげで数分であっけなく奥駈道にでた。
露岩の散らばる明るい稜線を北へ向かう。針葉樹林の中の登りはなだらかで、反対の弥山側からの急な登りとは大違いだ。自然の石段のような道になると、すぐ八経ヶ岳頂上だった。靡きの碑伝がケルンの横に積み重なり、前には立っていた筈の錫杖は見当たらなかった。二等三角点がある近畿の最高峰だけに、展望は申し分がなく雄大そのものである。北はもう見慣れた北部大峰の諸峰、東に台高山脈、大台ヶ原のゆったりした山容、南には次に辿る予定の仏生ヶ岳、釈迦ヶ岳…。五人で貸し切りの頂上で、のんびりと小屋で用意してもらった弁当の昼食をとる。
単独の男性が南北両側から姿を現したのを機に、山頂を後にする。記憶通り、しばらくの間は北面の急な下りだ。降りきるとオオヤマレンゲの自生地で、シカ除けのネットが張ってあり、二、三箇所で扉を開けて通過する。10年前に見た清楚な白い花はまだ鮮やかに瞼に残っているが、今は葉を落とした低い灌木に過ぎない。古今ノ宿には石碑が残るだけだが、弥山川の源流の一つ、池ノ谷はこの辺りに発している。少し先に頂仙岳遙拝所の碑があったが、あの端正な山容は大黒岩のある山で殆ど隠されている。ここから登り返して弥山小屋に帰った。
 小屋に別れの挨拶をして、山を下る。昨日の昼食場所で、八経ヶ岳と弥山を名残惜しく振り返る。二日間、申し分ない快晴に恵まれ、気の置けない仲間たちと過ごした、本当に楽しく満ち足りた山行だった。

 「奈良100遊山プラス10」    ペンギン夫婦お山歩日記
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