行仙宿〜笠捨山〜玉置山〜本宮

大峰奥駈道(7)


昨年4月から始まったJAC関西支部70周年記念行事・奥駈道山行は、第七回目にして初めて雨の灌頂を受けた。しかし、玉置神社で泊まった翌朝はすがすがしい好天となり、無事、本宮に完遂の報告をすることができた。あとは秋の、小雲取・大雲取を越えて那智に行くコースが残されている…。

【登 山 日】 2005年6月11 日(金)〜13日(日)
【メンバー】日本山岳会関西支部 13名、会員外 4名  (計 17名)
【コースタイム】
11日 登山口09:50…行仙小屋(昼食)10:38〜11:15…笠捨山12:48〜13:05…地蔵岳14:10〜14:15…四阿宿15:00…香精山15:30〜15:35…貝吹金剛16:10〜16:20…古屋宿17:00…林道出合17:35〜17:45(=玉置神社P18:00)
12日 玉置神社06:45…玉置山06:55〜07:05…玉置神社07:15〜07:25…本宮辻07:55 …大森山09:25〜09:40…西峰09:47…岸ノ宿10:18〜10:28…五大尊岳11:15〜12:00…大黒天神岳13:35…金剛多和13:08…山在峠14:35〜14:40…吹越宿15:00〜15:05…吹越峠15:40…七越峰16:10〜16:20…奥駈道備崎17:00…備崎橋17:10


11日。この日、近畿地方に梅雨入りが宣言される。朝7時、八木駅から貸切バスで出発した直後から、予報通り、かなりの降りになった。 国道169号線を南下、浦向から425号線を上って未舗装の四ノ川林道に入る。雨すだれの中に急に子鹿が現れ、キョトンとた顔でバスを見ていた。やや荒れた路面にバスを進めてくれたドライバーのおかげで、予定より早く林道の登山口に着く
バスの中で雨具を付けて、赤い階段からジグザグの山道を登る。この道は前回下ってきた行仙小屋への補給路で、最短で稜線に通じている。一度分岐した関電巡視路と合流した後はなだらかな登りになり、登山口から40分ほどで、覚悟していたより楽に行仙小屋に着いた。中に入れて貰って慌ただしく昼食を済ませる。土間にいたらしいヤマビルが何人かの山靴に登ってきたので、外に用意してあった薬剤を足元に振りかけて出発する。
すぐに「から池」の標識を過ぎ、送電線鉄塔の建つピーク、杉の幹に碑伝が打ってあるピーク、さらに三つ目のピークとアップダウンを繰り返す。次の顕著なピークが1246mの頭で、ここから左側が切り立った所を下って鞍部に降りる。前に立ちはだかる山頂目指して150mの標高差がある急坂をがんばる。登り切ると双耳峰の笠捨山の肩に当たるところで、少し進んだ西峰には石の記念碑などがあった。笠捨山は仙ヶ岳ともいわれ、靡十八番の行所とされている。1352.3mの二等三角点を囲んで記念写真を撮る。
笠捨山を下る頃から雨が激しくなった。滑りやすい道に気を配りながら葛川辻に下る。この鞍部から地蔵岳に向けて急な登りが始まる。送電線鉄塔からはシャクナゲなどの木の根や岩を頼りによじ登るが、雨足はが少し弱くなったのが救いである。鎖のついた岩稜のピークを登り、滑り易い岩を苦労して下ると捲き道に合流した。後で聞くと、このピークが槍ヶ岳(靡十七番)で、捲き道を示す標識とともに見逃し通過していた。地蔵岳(1250m)はその次のピークで頂上は狭い。この先の稜線は痩せて悪いので捲き道をいくように、先頭を歩く私に森沢さんからの指示がある。捲き道の途中に小さな石の地蔵さんがあった。
 シャクナゲやコウヤマキなどの岩稜を鎖を頼りに下る。ようやく勾配がゆるむと靡十六番の「四阿宿跡」でちょっとしたピーク(東屋岳)になっている。さらに高度を下げて、靡十五番「菊が池」、十四番「拝み返し」を通過するが、雨の中であまり印象に残っていない。関電の巡視路を横断して正面の尾根を登り、香精山(1121.5m)に立つ。ここは靡十三番の行場である。笹の切り開きを緩やかに下り、貝吹野の標識をを過ぎ、金剛童子の石標のある貝吹金剛の鞍部にきて小憩する。この地名は、修験者が上葛川へ到着を知らせる法螺貝を吹く所から来ているという。私たちも稚児ノ森の先、林道との合流点で上葛川の民宿に車を頼んでいる。その乗車人数の都合もあって、ここでパーティを二つに分ける。
 薄暗いスギ林の中、緩やかだが長い尾根道の下りになる。「21世紀の森」に下る標識がある古屋の宿跡から登りになり、ちょうど葛川トンネルの上を通る辺りで如意宝珠岳を越える。雨は殆ど降り止んだが行程ははかどらず、まだかまだかと思いながら歩く。上葛川へ下る道を分岐する岩ノ口、薄暗い稚児森を過ぎると、ようやく右手が開け広い舗装林道が見下ろせた。一時間以上前から待っていてくれた民宿の車で、玉置神社に向かう。残念ながら花折峠、かつえ坂などを割愛することになったが、これ以上遅くなると宿泊先の玉置神社にも迷惑がかかる。濃いガスの中を走り抜け、玉置神社(靡十番)の駐車場に着く。
 杉の巨木の立ち並ぶ境内を歩いて社務所に着き、懸崖造りの重厚な建物の奥深く、太い梁の部屋に案内される。食事を済ませた先客のパーティが、私たちの今日の行程を聞いて驚いていた。下着まで濡れた衣服を土間の竿に吊していると、思いがけず風呂に入れることを聞いた。30分後、後の人も到着、交代しながらの入浴も一段落して夕食の膳に向かう。山の上で何もないので…と言われていたが、なかなかのご馳走だった。さらに総代さんから差し入れて頂いた「神代杉」が膳を賑わしていた。しばらく談笑した後、ゆったりと布団に手足を伸ばして寝につく。
12日 5時起床。夜のうちに雨は上がり、拭ったような青空になる。朝の境内には清々しく神々しい雰囲気が漂っている。朝食後、井上宮司さんの説明で重要文化財の襖絵を見学させて頂く。狩野派の絵師による花鳥図は華麗で、よく保存されていて色鮮やかである。三柱神社で祝詞とお祓いを受けた後、杉林の中を玉置山山頂へ登る。修験者の尊崇が篤い玉石社の横からジグザグの階段道となり、急登15分ほどで小広い台地の山頂(1076.4m)に着く。熊野灘は見えなかったが、遠く雲海に浮かぶ山々、近くは濃緑の宝冠ノ森があるピークと、胸のすくような爽快な眺めであった。
元の道を下り本殿に参拝、横の扉を開けて樹齢3000年といわれる巨木・神代杉を見学する。、奥駈道は本殿の石段下から続いている。なだらかな下り道で、杉やシャクナゲの多い山腹斜面をトラバースするように境内を抜け、本宮辻で車道を渡って地道の林道に入る。少し先で細い旧道に下る丸木橋がある。昨日の雨で濡れていて、足を滑らせ俯せに倒れてしまった。一人で起きあがれず久保三郎さんや浦上さんにお世話をかけたが、幸い突き指と掠り傷ですんだ。右手下への水呑金剛(靡九番)の標識を見送り、旧篠尾辻から次第に急坂になる。ジグザグに登って尾根に出ると左手が開け涼風が吹き抜けていた。更に登った大森山のピークは深い林の中で展望なし。三角点(1078m)は少し先の南峰にあった。ここも林の中の通過点である。
大森山からの下りは急で、木の枝などを頼りに慎重に足を運ぶ。ようやく篠尾辻の手前の岸の宿跡(靡八番)に降りたって休憩する。さらに降った笹原の鞍部が篠尾辻で、ここから五大尊岳へ登り返す。尾根が次第に痩せてきて木の根や露岩が現れると、細長い頂上台地に着いた。不動明王の石像は見えず台座だけが残っている。西側の林が少し開けて、十津川の流れと果無山脈らしい連山が見えた。
玉置神社で作って貰った「めはり寿司」で昼食をとる。高菜でご飯をくるんだ素朴な味を美味しく頂く。少し下った次のピークを越すと、「蟻の戸渡り」「貝摺り」と呼ばれる痩せた岩稜で、木の根や岩角を頼りに下る。小さいコブを越した鞍部が金剛多和ノ宿跡で、役行者の祠があり手を合わす。ここは六道ノ辻とも呼ばれ、本宮町切畑に続く古い道が横切っている。直進して尾根を登る。
大黒天神岳(大極天神とも・靡五番)は二等三角点(578.6m)がある草の丘で、蛇行する熊野川の流れと本宮方面の民家が見えた。朝からの長い行程と、下るにつれて上がる気温とで疲れがでてきて、みんな次第に無口になる。送電線鉄塔や伐採跡地の上を過ぎて林を抜けると、役行者像と宝篋印塔のある広場にでて少し休む。すぐ先が山在峠で、ここからしばらく林道を歩く。靡き四番の吹越宿跡で右の尾根道に入る。
緩やかな尾根道を何度かアップダウンして吹越峠を下り、「ささゆり広場」に出る。入り口付近で薄紅色のササユリが二、三輪咲いていて目を楽しませてくれたが、期待していた飲み水の設備はなかった。ベンチに座り込んで、からからになった喉にボトルに残った水を流し込むと、歩き出すのが嫌になる。
公園を横切って階段道を登ると台地状の七越峰で、ここも公園のように整備されている。木陰に座る延命地蔵さんの横に西行の歌碑があった。「立ち登る月のあたりに雲消えて光重ぬる七こしの峰」。
散策路に入ると熊野川がさらに近づいてきた。ここまで来れば後は楽勝と思ったのは甘く、先頭で一緒に歩いていた先達の森沢さんは再び山道に入っていく。これには少し参った。ここでパーティが次第に長く間延びした。林の中を緩く登り降りして、ようやく河原を見下ろす堰堤の上にでる。修験者たちはここを徒渉して本宮に向かうのだが、私たちはかんかん照りの堰堤を備崎橋へと歩く。橋には私たちの到着にあわせて民宿・立石の車が来てくれたので、早く着いた人から川湯温泉に向かう。前にこのコースを歩いているHさん、Tさんと三人でラストの到着を待ち、引き返してきた車に乗る。立石に着くが早いか、何はともあれ待ちかねた缶ビールを飲み干す。甘露の水が身体に染みこんでいくとともに、ようやく吉野から140qに及ぶ奥駈道を歩き通した喜びが、ジワジワと沸き上がってきた。
13日。川湯温泉で楽しい一夜を過ごし、迎えのバスで帰途につく。途中、全員で熊野本宮に参拝し、先達の勤行にあわせて神前に奥駈道を歩き通したことを報告。谷瀬吊橋を見ながら昼食した後は、一路168号線を走り午後早い時間に八木駅に着き、解散した。

(このページの写真の一部はJAC会員の中島さん、浦上さんが撮影されたものをお借りしました)

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