熊野古道・中辺路 



【登 山 日】2004年11月13 日(土)〜14日(日) 
【メンバー】日本山岳会関西支部:15名(L森沢義信)、会員外 8名、計23名

【コースタイム】13日:滝尻王子10:05…飯盛山11:02…高原熊野神社11:45〜11:55…霧の里休憩所(昼食)12:00〜12:30…十丈王子址13:40…上多和(三体月鑑賞地)14:40〜14:55…逢坂峠 15:07…箸折峠16:00…近露王子16:20〜16:25…旅館「とちご」16:40
14日:近露王子07:00…継桜王子08:00…熊瀬川王子09:10…岩神王子(峠)10:07〜10:20…昼食11:30〜12:00…湯川王子12:05… 三越峠12:25…猪鼻王子13:30…発心門13:45…伏拝王子14:55…祓戸王子16:11…熊野本宮16:35


「すぐれて山きびし(梁塵秘抄)」と歌われても、聖地への憧れで多くの人々の心を捉え、歩き続けられてきた熊野古道。今年6月、世界遺産に登録されてから更に多くの人が訪れるようになっている。しかし、ツァーではバスで移動して見どころを摘み食いするだけに終わり、嶮しい山坂のアップダウンがある古道を歩き通すことはあまりないようだ。私たちはJAC70周年記念行事「古来の修験山嶺を辿る」シリーズの一環として、中辺路の滝尻王子から本宮まで約35キロを途中一泊で歩いた。
快晴の13日、10時に中辺路町滝尻に着く。かって京、大坂から紀州路を田辺まで、更に東の山中に分け入って、ここまで何日を要したのだろう。今や、天王寺からマイクロバスで僅か3時間で、「初めて御山の内に入る」と平安貴族が『中右記』に記した滝尻王子。王子とは熊野権現の御子神を祀った社であり、上皇や貴族を迎えたときは休息や宿泊の場となった所でもある。滝尻王子は、熊野九十九王子の中でも特に社格の高い五体王子の一つである。熊野に向かう人々が水垢離を取り身を清めたという富田川の清流の傍らに、斬新なデザインの熊野古道館と古い社が向かいあっている。社の横からすぐに急坂が始まり、山中に入る。15分ほど登ると藤原秀衡ゆかりの乳岩、胎内くぐりがある。深い山での印象が神と人の交感伝説を生んだのだろう。341mの飯盛山に登ると展望が開け、行く手に悪四郎山が大きく見えた。
木の階段、石畳と整備された道をいくと人里に出て、間もなく高原熊野神社の赤い春日造の社殿が見えてくる。周囲にクスやスギの大木が鬱蒼と生い茂り、荘厳な雰囲気の社である。近くに「7」の番号道標があり、500mごとに数字が増えるのでスタート地点から3.5キロ来たことが分かる。他にも一里塚跡の石標、金属製や木製の種々の道標が随所にあり、まず道迷いの心配はない。神社で「語り部」さんの説明を聞いたあと、高原霧の里休憩所前の広場で、開けた展望を楽しみながらのランチタイム。
旧旅籠通りを抜けると山道の登りになり、右手に高原池を見下ろしながら行く。緩いアップダウンで大門王子、十丈王子を過ぎて悪四郎山の登りになる。南北朝時代の怪力の持ち主だったという悪四郎屋敷跡から、山頂には登らず捲いていく。更につづら折れの急坂を登り、滝尻王子から標高差600m、今日の最高地点上多和茶屋跡に来る。やや下り気味になった所に、旧暦11月23日深夜に三つの月が見えるという「三体月伝説」の説明板がある。道が上下に分岐して大坂本王子へは急な下りになるが、ひとりで「三体月展望地」を偵察に登る。5分ほどでススキの生い茂る高台に出ると、月の出を待つための施設か、四阿といくつかのトタン小屋があった。東から南にかけて展望が開け、大塔山系らしい山々が連なっている。それだけを見て大急ぎでパーティの後を追いかけ合流する。
新逢坂トンネルの上を通って国道311号へ下る。牛馬童子口のバス停や道の駅があり賑わっている。車の往来も多い。トイレ休憩のあと、牛馬童子像と宝塔のある箸折峠に登る。花山法王がカヤの木を折って箸にしたのが所の名となったと伝えられている。法王の熊野詣旅姿を写したといわれる童子像は思ったより小さいものである。牛と馬に同時に乗れる訳がなく、後で旅館のおじさんから「厳しい山道は牛で、なだらかな道は馬で行かれた姿を表したのだろう」と聞いた。隣には役行者の石像がある。緩く下っていくと夕陽に映える近露の里が見え、日置川を渡って1キロほど上流の旅館が今宵の宿だった。旅の汗を流したあと、美しい清流で獲れたアマゴを肴に酌み交わした酒の味は、忘れられないものになるだろう。
14日。昨日と一変した曇り空、予報は午後からの雨を告げている。7時に急いで宿を立ち、目的地の熊野本宮へ向かう。今日は森沢さんがしんがりで、私が代わって先頭になる。しばらくは広い舗装道を登った後、古道に入って継桜王子に着く。名前の由来の桜は、社の東方に秀衡桜として植え継がれている。付近には一方杉や野中の清水など、すばらしい自然が残されている。311号線と出合う小広峠から、いよいよ急な山道になる。まず小川を渡って熊瀬川王子のあるヒノキ林から「わらじ峠」へ登る。ここから女坂の急坂を下ると仲人茶屋跡がある。次の男坂との間にある故の粋な名前だが、薄暗い林の中だ。石畳道の急登で岩神峠へ。ここには岩神王子址があり、江戸時代までは茅葺きの祠があったそうだ。東京からツァーで来たという10名ほどのグループが休んでいた。嫁ぎ先に急ぐ途中、夜盗に襲われた京都の芸者の霊を慰める「おぎん地蔵」や、不気味な「蛇形地蔵」がある。この辺り、天候のせいもあって暗い感じのところだ。やや開けた杉林の中で昼食。
川を渡ると湯川王子で、ここからまた急な登りになる。三越峠には広い林道が通り、休憩所やトイレが設けられている。階段、林道、石段と下っていくと音無川沿いの平坦な道となり、公園のように整備された道脇の紅葉が鮮やかだった。船玉神社からはは湯ノ峰経由で本宮に向かう赤木越えの道が分岐している。これを見送ったあと、林道を離れて猪鼻王子を見に行く。再び林道に帰り、また離れて登り切ると舗装路脇の発心門王子で、ここからは熊野大社の聖域になる。しばらく広い舗装路を行く。「ささゆり」が町の名物らしく大きな看板があり、道脇にも保護のための囲いがある。ヒノキやスギ林と道を隔てる斜面に、花を閉じたリンドウがたくさん並んでいる。美味しい水が湧いている水呑王子脇の小学校は廃校になっていた。
地道を緩く下っていくと菊水井戸で舗装路に出合う。ここの田圃には流水を利用してユーモラスに動く案山子が設けられていた。間もなく伏拝に来る。和泉式部が「月の障り」を悲しんで歌を詠み、夢枕の熊野権現に歌で許されたという伝説がある。式部ならずとも、昔の人はいよいよ近づいた本宮に心をときめかせたことだろう。左手が開け、百前森山(三里富士)の右に石地力山の鋭鋒が見える。私たちにとっては、次の目標である果無山脈を展望できたことが何よりの喜びだった。伏拝王子には、茶店や土産物屋、朝のTVドラマ「ほんまもん」に登場したという建物まであって、大勢の人で賑わっていた。
山道のアップダウンで三軒茶屋跡に来る。「右かうや十七里、左きみい寺三十一里」の石標がある。ここは小辺路と中辺路の交わるところだ。ゆるい下り道を行くと「ちょっと寄り道展望台」の標識が見えたので左手の尾根に登ってみる。真っ赤に色付いたカエデの木を前景にして、深い谷間の向こうに大雲取、小雲取の山並みが何重にも連なっていた。見下ろす熊野川の河原に大齊原(本宮大社旧社地)の大鳥居が見える。最後の祓戸王子では番号道標の数字は「75」になった。ロングコースを歩き通した満足感に浸りながら、夕闇せまる本宮に下っていった。


15日。昨日は何とか雨に会わずに暮れて、迎えに来て貰った川湯温泉の民宿に泊まった。台風の後遺症で千人風呂には入れなかったが、宿のすぐ前の河原にある露天風呂を楽しみ、夕闇の冷たい川に首まで浸って禊ぎの真似事をした。安い料金が申し訳ないくらいのご馳走で満腹し、二次会では山の歌まで飛び出した。今日は早朝から激しい雨になり、予定の湯ノ峰から本宮への赤木越えは中止になる。隣の公衆浴場で朝風呂に入り、迎えのバスを待って熊野路を後にする。熊野本宮大社に参拝し、大齊原を拝観する頃には雨も止み、整備の進む168号線を十津川経由で帰る。谷瀬吊橋で遊んだり、紅葉や滝を愛でたりのちょっとした観光気分だったが、この秋の豪雨の爪痕を目の当たりにして自然の脅威を改めて思い知った。谷瀬から2時間で八木に着き、次回の果無山脈縦走を楽しみに解散した。山頂に立つ悦びこそなかったが、思ったよりも嶮しい山道のアップダウンもあり、豊かな自然と古い歴史や伝説に触れることができて、実りの多い山旅だった。


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