カムチャッカ・アバチャ山(2)



コリヤーク山(3,456m)

26日。アバチャ山登頂の日。残念ながらどんよりした曇り空で、コリャークもアバチャも、ラクダ山さえも雲の中に隠れている。ザックに雨具、防寒具などの他、配給されたビニール袋の食料(チーズとサラミのサンドイッチ各1、ナッツ小袋、アンズ小袋、チョコレート小2、リンゴ、キャンディー数個、サクランボのジュースパック2)と水1.5Lを入れる。午前8時、BC発。時間が遅いのは30分前に出発した同じATS社松本パーティとの時間調整のようだが、夜は10時を過ぎても明るい土地柄だけにTLは余裕たっぷり。同行は山岳ガイドのワレンチンとニコライ、そしてスラーワ。TLもこの山に何度も登っているので心強い。
ラクダ山への広い道と分かれて右へ、チシマフウロの群落を見ながら流れに沿って行き、対岸のジグザグ道を少し登るとケルンが三つ並ぶ台地に出た。スラーワの説明では「雪の季節にガイドレスのトレッカーが霧で道に迷い死んだところ」で、ケルンはその慰霊碑だった。
 ここから尾根の登りになる。2000m地点までは当初BCで残留予定のSさんと写真目的で2000m迄のAさんも一緒に全員で行動するので、かなりゆっくりしたペースで進む。
尾根に出たところで初めての、最初のピーク(1330m?)で2回目の休憩。はるか上に松本隊の人影が見え、ロシア人のグループが私たちを追い抜いて行った。
 少し下って次のピーク(1550m?) に登り返す。この辺りに来ると、砂礫のなかに所々
クモマグサがしがみつくように咲いているだけで、他は岩に地衣類がついているだけの荒涼とした風景になる。
雲の上に出て、ラクダ山が下に見えるようになった。コリャークは山裾だけが見えている。しばらく急登が続いてP3に続くなだらかな赤茶けた砂礫の尾根に出た。
しばらくは、なだらかな登りの尾根道が続く。推定1900m地点の岩陰で昼食をとる(12:40〜13:25)。
この先の分岐から左に下る二人と付き添いのニコライとはここで分かれた。
下山道の支尾根を過ぎ、「悪魔の指」と呼ばれる奇怪な岩峰が近づく。岩塊が散在する標高2000m地点には、二、三人なら何とか風雨をしのげる程度の岩室があり、前でロシア人が食事をしていた。空が青みを増してきた。正面に大きくアバチャ山が立ちはだかっている。あと標高差740m(13:50)。
雪渓の縁を斜めに登って「悪魔の指」の岩裾の短い部分だけ雪の上を行く。「悪魔の指」の少し先はコルになっていて、火山観測機材が入った大きな金属の箱が置いてある。左側はすっぱりと切れ落ちて、小槍のような形の岩峰と氷河が見下ろせた(14:15)。推定標高2250m。頂上まであと標高差500m、ここからが正念場である。
崩れやすい砂礫のジグザグの登りになり、カメラはザックに収める。登頂を終えた人が次々と下ってくる。大股で砂煙を巻き上げながら駆け降りるので頻繁に落石が起こり、その度に大声で知らせている。
 松本パーティも下ってきたが、ここでも列の後部にいた人の起こした落石が同じ隊の先にいた人に当たりそうになり、少し冷やりとする場面があった。
ジグザグの粗い砂礫の道が急斜面の直登になり、まさに「三歩歩いて二歩下がる」状態になる。後ろに続くメンバーに迷惑を掛けまいと気は逸るが、如何せん足が思うように前に出ない。最後の100m足らずは細い布ロープが取り付けてある。表面が剥がれて中の芯だけが残る頼りない状態で、左側の斜面に切れた残骸が捨ててあるのが見える。しかし、このか細い「蜘蛛の糸」がまさに「頼みの綱」で身体を山側にして少しずつ前進する。
 金髪の少年がうずくまっている。「若い人でも辛いのだな」と老骨を励まして、立ち止まって息を整えては足を動かす。ロープが終わると、TLが笑顔と握手で迎えてくれた。まだ先があると思っていたが、ロープの終わった処のすぐ横が山頂だった。時間はすでに17時になっていた。
山頂は火口壁の一角で、富士山でいえば各登山口の頂上、浅間神社のあるところ。Yさんの入れてくれた暖かい紅茶を頂いて、後の大溶岩塊に登る。
 山頂台地でYMCAのようなグループがお祈りをする様子を、同行したTV取材班が岩上から撮影していた。台地に下りてJAC旗を囲んで記念撮影。赤茶けた砂礫の斜面に腰を下ろすと地面が暑い。砂礫に黄色い硫黄の華がつき、噴煙が風に乗って流れてくると硫黄の匂いが鼻につく。
お鉢の中の複数の火口からは大きめの、周囲の壁からは無数の小さな噴煙が盛んに上がっている。
 しばらく休憩した後、全員で少し先の最高峰とおぼしきところまで行ってみる。富士でいえば剣ヶ峰へのお鉢巡りである。こちらから見ると、2741M峰の方が高いようにも見える(17:40)。すぐに引き返して下山にかかる。
 ベース帰着は何時になるのかと思っていたが、砂走りのような道は一歩踏み出すと三歩ほどザザーッと進むので、かなりはかどる。
 驚いたことにこの時間から登ってくる人がある。小さい子供連れはさておき、若い女性の赤いビキニ姿には唖然とした。そういえば昼食時にも太鼓腹を突き出した裸の大将を見たし、ロシア人は寒さに強いのか、それとも束の間の夏を謳歌しているのか…とにかく元気なものだ。悪魔の指コルから振り返ると、薄曇りの空に白い噴煙を上げる山頂が高く見えた。
 2000m地点(19;10)を過ぎた分岐から右に折れて、再び長い砂礫帯の下りになる。点々と岩間に咲くのはクモマグサの仲間…チシマクモマグサ(ユキノシタ科)である。やがて行く手の雲海の上に、前日登ったラクダ山の先鋒が顔を出す。モノトーンの、中国山水画のような光景である。ラクダ山の下を捲いて雪渓を渡り(女性たちは尻セードを楽しんだ)、見覚えのある道に出た。下りは3時間少し、ちょうど午後9時にベースに帰り、キャンブ場長に笑顔と拍手で迎えられた。
夕食のお祝いパーティにはTLが用意してくれたご馳走が並び、ビールとウォッカで乾杯。
最後は、イクラとタラバガニとサーモンに刻み海苔とワサビ、醤油を添えた豪華な海鮮丼で満腹し、ようやく登頂できた喜びがジワジワと沸いてきた。 
7月27日。山を下りる日になった。朝から霧雨が降っている。遅い朝食の後、コリヤーク山麓の方へ花を見るトレッキング。今年は花の時期がいつもより早いそうだが、小さい丘を越えると谷間になっていて、まだまだいろんな種類の花が咲き残っている。イワギキョウ、チシマフウロ、インディアン・ペイント・ブラッシ、イワベンケイ、シコタンハコベ、エゾツツジ、エゾノツガザクラ、イワブクロ…、昨日までに見慣れた花も露を含んで一段と美しい。特にウルップソウが点々と霧の谷を埋めて咲く光景は見事だった。
高山植物には満足したが、心残りはまだコリャーク山が全容を見せてくれないことである。ところが昼食をすませ、さんざん地リスと遊んで迎えのバスを待っているとき…
次第に霧が薄れて青空が見えはじめ、そして遂にコリャーク山(3456m)が全容を現した。
(タイトル下の写真)

アバチャ山は真っ青な空をバックに白い噴煙を盛んに上げて、私たちと名残を惜しんでくれた。(左)
  写真を撮っていると、車体にヒグマが描かれた帰りのバスが来た。再び、ガタゴト道をひた走って町へ。スーパーで土産の缶ビールやウォッカ、ロシア菓子などを買う。午後遅くの市場は半分閉まっていて品数もまばらでカニ缶やサーモンは買えず、小さな土産物屋でカムチャッカ原住民の音楽CDを求めた。
同じパラトゥンカ温泉郷だが往きとは別のホテル「ブルー・ラグーン」に泊まる。ここは新しい施設でシャワー室にはシャンプーもボディーソープも備えてあり、泊り客は部屋のバスタオルを持って別棟の温泉に入れる。
カムチャッカに来てはじめて全部平らげた夕食の後、温泉に行く。温泉というより生暖かい深い大きな温水プールである。ロシア人は水着を着てただ浸かっているだけだが、その合間を縫って少し泳いでみた。しかし目に悪そうに思って一往復でやめて、全長60mのウォータースライダーで遊ぶ。曲がりくねって、途中から身体をひねられて暗闇の中に突入するので思わず悲鳴があがり、なかなかスリルがあった。最後に、ぬるめの露天風呂まがいの小さいプールで身体を温めて部屋に帰り、帰国の準備をすませてぐっすり眠る。
 
28日 短いカムチャッカ滞在を終えて帰国の日になった。バスでペトロパブロフスク・カムチャッカ空港に着き、入国に比べるとずっと簡単な出国審査を済ませて10時前に空港を発つ。帰りはウラジオストックで乗継のため、国内線から国際線のターミナルビルへ移動する。何もないとは聞いていたが、国内線よりさらに貧弱である。2階にレストラン、1階は小さい免税店が1軒と、なぜかAdidasのTシャツなどを売るスポーツ用品店?があり、通路には乗客全員が座るには数が足りないベンチが置いてあるだけ。ここで4時間の待ち時間を過ごすのに、他の人も苦労したようだった。ようやく搭乗して14時50分ウラジオ発。予定では15時関空着。10分の飛行ではなく2時間の時差があるので時計を後戻りさせる。それでも北の果てのカムチャッカから炎暑の大阪まで3時間弱、地球は狭くはじめ、なったものだ。予定通り関空に着いて解散した。
気心の知れた仲間たちと残雪の山に登り、たくさんの花たちにも出会えて、楽しく過ごせた5日間の旅だった。周到な準備と細やかな心配りを頂いたTL鹿田さんはじめ、いろいろとお世話になったメンバーの皆さんに、無断で一部の写真をお借りしたことと合わせ深くお礼申し上げます。

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