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(うしまつやま)京都府亀岡市保津町にあり、丹波富士とも呼ばれる美しい姿の山である。古くは石松ヶ岳と呼ばれたが、雨乞いのために牛を生贄にしたことから牛祭り山となり、転訛して牛松山になったという。 |
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2009年は丑歳だった。1月27日、恒例の干支の山へ登る。亀岡市内を抜けて桂川にかかる保津橋を渡ると、正面にどっしりした牛松山が全容を現した。北保津で民家の並ぶ細い道を通り、竹林の中を抜けると福性寺駐車場の鳥居横に露地の広場があった。ここに車を置かせて貰う。 | |
注連縄の掛けられた鳥居を潜ると、山頂の金毘羅神社まで十八丁の参道が始まる。幅広い丁石道をゆっくり登って行く。 | 二丁には文化年間の文字が見える美しいご神塔、三丁近くには明治時代建立の鳥居があった。ここを過ぎると勾配が弱まり、松の木が並ぶ快適な尾根歩きになる。 |
歩き始めて20分ほどで右手の展望が開け、薄い霧に包まれた亀岡盆地の上に北摂の山々が頭を出していた。少し急な勾配と緩い登りが繰り返され、全く疲れを感じずに高度を上げる。 | 十一丁の石のご神塔には、たくさんの杖がもたれ掛けてあった。十三丁から急坂になる。毎日登山の人らしい男性が今日初めて出会った人だった。しばらく急坂を頑張ると、次の町石があった。まだ十五丁くらいかと思っていると何と十七丁まで来ている。 |
なんだか拍子抜けするくらいのあっけなさで、なだらかな広い道になった。 鳥居を潜り、56段あるという石段を登る。小広場の右手に絵馬堂、その奥に金毘羅神社が建っている。 |
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絵馬堂には保津川下りの安全を願って奉納された舟二艘が天井に吊るされ、建物の蔭に消え残った雪が僅かに残っていた。 | |
最高点を探して踏み跡を登るとパラボラアンテナのある建物横に山名板があった。東側には、愛宕谷川を挟んで愛宕山から南に延びる稜線が、屏風のように連なっている。ちょうど真下辺りがユズの里で名高い水尾になるのだろう。青空から暖かい日差しが降り注ぎ、風もなく全く寒さを感じない山頂で昼食を済ませる。 | |
分岐に下り、国分に向けて3分ほど歩くと左手に三角点があった。林の中で展望はない。 すぐにテレビ中継所があり、ここからは急な下り道になる。保津ヶ岡への地図上の分岐を見送り、愛宕神社を見学して帰ることする。ジグザグの急坂続きで、送電線の通る分岐を赤テープのある踏み跡に入る(正規の道は左)。 何箇所か倒木を越えて壊れた古い祠や苔蒸した石鳥居を見ながら下ると神社南側の舗装路に出た。 |
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愛宕神社は「全国1000社の愛宕神社の本宮」で、拝殿前に大きなイヌマキ、社務所前に大きなスギの木が聳え、いずれも「亀岡の名木」と書いた札が下がっていた。神前に詣で、しばらく境内を見学して神社を後に府道を帰った。 【コースタイム】登山口(福性寺南の鳥居)10:00…金毘羅神社11:20〜11:30…牛松山(636m)11:35〜12:00…三角点(629.2m)12:07〜12:12…愛宕神社12:55〜13:05…北保津バス停13:35…登山口13:45 |
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私の関西百山 |