76 大和葛城山(960m)





76 大和葛城山(960m) <生駒・金剛・葛城>

(やまとかつらぎざん) 御所市の西に大きくそびえる、古くから役行者の伝説で知られる信仰の山である。元来、葛城山(葛木山)は、二上山から葛城山、金剛山にかけての山域全体の総称であり、現在の葛城山は古くは戒那山と呼ばれていた。
 今、東山麓のロープウエー登山口駅前にある不動寺は、空海が不動尊を刻んで堂を建て戒那山安位寺と称した所で、室町後期の不動石仏で名高い。付近には戒那千坊という地名が残っている。
 葛城の地名(元の読みはカズラキ)については、『日本書記』に「高尾張邑(たかをはりのむら)に土蜘蛛あり。その為人(ひととなり)、身短くして手足長し。(中略)皇軍(みいくさ)、葛(かづら)の網を結(す)きて、掩襲(おそ)ひ殺しつ。因りて改めて其の邑を号(なづ)けて葛城という」という神武東征説話がある。


この山は、私達夫婦にとってはホームグラウンドともいえる山で、これまで100回以上登っている。いくつもの登山路があるが、代表的な3コースを記す。
(上の写真は「金剛山より5月中旬の大和葛城山」。山頂右手のツツジ園がほの赤く染まっている)



ジョウモンノ谷(深谷)道

ロープウエー登山口駅横を直進して山道に入り、櫛羅(くじら)の滝、行者の滝を経てヒノキや杉の植林の中を登る。尾根道から谷の源流部になると、涸れ谷の左岸を行く。ツツジ園に登る道を分け、少し先で右に分岐する道を登れば天神ノ森。ここから北斜面を約一時間で一周する自然観察路がある。ここにはカタクリの群生地があり、春には美しい花が迎えてくれる。左に広い道を行くと白樺食堂前に出る。右へ数分でなだらかな草原の山頂。大和・河内平野を見下ろし、すぐ近くの金剛山から右に紀泉高原の山々、左に台高、大峰などの大展望が得られる(1時間45分)。秋には山頂付近はススキの穂がなびき美しい。
 


青崩(あおげ)道<天狗谷道>


青崩の集落を抜け谷沿いの道を行く。細くなった流れを離れ、急坂のジグザグを繰り返して、尾根上のベンチのある所にでる。右に折れて少し登ると勾配が弱まり、雑木林の山腹を捲くほぼ水平な道を行く。この辺り、冬は美しい霧氷の林である。弘川寺からの道と合し、直角に右に登る。この辺りは現在、砂防工事が進んでいるが緑に苔むした杉林の木の根道で、春にはショウジョウバカマの大群落中を行く。間もなく頂上すぐ下のキャンプ場に着く(1時間45分)。


水越峠から


水越峠は葛城山と金剛山の間にあり、大阪と奈良の府県境でもある。江戸時代に大和側の山麓の名柄の少年、上田角之進が、河内側の谷水を土嚢を積んで大和側に落とすようにして以来、近年まで文字通り水が峠を越えていたのである。元禄時代にはこの水を巡り、大和と河内で激しい水争いがあったという。峠からは短い急坂を登り、樹林帯に入り石畳道を登る。二度ほど急な木の階段道があり、笹原から杉林の中に入る。左右に河内、大和平野を見下ろす開けた所から雑木林に入り、それを抜けるとツツジ園の下に出る。「一目100万本」というツツジは元は笹原だったが、私たちが奈良に居を定めた1970年頃(頃)にササの花が咲いて枯れた後に自然に増えたものである。5月中旬から下旬には大勢の観光客で賑わう。左へ捲き道で国民宿舎前。右はツツジの中の直登で、時間的に大差なく山頂に通じている(1時間15分)。


私の関西百山
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