72 飯 盛 山 (314.3m)





72 飯盛山(314.3m)<生駒・金剛・和泉山脈>

(いいもりやま)大阪と奈良の府県境をなす生駒山脈の北西支脈に位置している。同名の山が泉南にもあるので「河内飯盛山」とも呼ぶ。中世には大規模な山城が築かれ、南北朝時代には南朝方の恩地氏が立てこもったといわれる。四条畷は楠木正行と高師直が戦った古戦場で、山頂には正行の銅像が建っている。私にとっては多感な青春時代、朝な夕なに仰いだ懐かしい故郷の山である。「飯盛の山を仰げと襟にゆかし楠の香りよ…」と母校の校歌に歌われたこの山には数え切れぬほど登ったが、奈良に居を移してからは久しく足が遠のいていた。
近くは2012年2月、西側から登る。まずはJRの踏切を南へ、商店街の突き当りにある小楠公御墓所へお参り。
 「小楠公」は河内の郷士・楠木正成(大楠公)の嫡子、正行の尊称である。兵庫湊川で戦死した父・正成の遺志を継いで、南朝方として足利幕府軍と戦った楠木正行は、正平三年(1348年)に河内国四条縄手の戦いで足利方の高師直の大軍と戦って敗北し、弟の正時と刺し違えて自害した。戦死の地とされている此処(異説あり)には当初、小さな石碑があったが、ほぼ100年後にその両脇に植えられた楠が今は合体して樹齢550年の大楠となっている。
商店街を引き返し、踏切を渡って直進して正面に見える飯盛山へ。広い参道を約600m、緩やかに登っていく。鳥居を潜り、階段を登ると左手が境内で、南向きの社殿には正行を主祭神として、弟正時以下一族の将士24人を配祀している。明治23年、別格官幣社として創設された神社で戦意高揚にも利用されたが、私たち近辺の住民にとっては「なんこうさん」として親しんだ神社である。
 神社南端から山に入る。笹原の中に続く旧登山道は「法面崩壊のため通行禁止。新登山道を…」の表示がある。南北に走る主稜線の西側斜面を等高線に沿うように北東に進み、分岐で右の雑木林をジグザグに登る踏み跡に入る。すぐにしっかりした登山道に合わさり、林が切れると展望が開け、下の町が次第に低くなっていく。
 
神社から35分で格好の展望台に出た。南北の尾根上に並ぶ飯盛山城遺構のうち北端の「二の丸廓」の一角である。大東・四条畷の市街地の向こうに大阪のビル群。遠く六甲から北摂にかけての山々が霞んでいる。 少し先の大きな岩塊が積み重なった「二の丸御体塚廓」を下ると小さな石垣が残り、左は楠公寺へ200mの標識があった。
山頂へは直進300mで、ここから先が本丸になる。三本松廓、蔵屋敷廓と登ると展望台があり、数人のハイカーが休んでいた。
 さらに一段上がると本丸高櫓廓のあった山頂で、楠正行の銅像が立っている。
 下山は南ヘ、ロープのさがる急坂を下る。鞍部から舗装路を登っていくとNHKと802のFM送信所がある。ここは本丸千畳敷廓の址である。飯盛城は南北朝時代に始まり、室町時代の三好長慶が畿内経営の本拠として全盛期を迎えたが、信長によって廃城となった。南北1200mに及ぶ山稜に70もの廓が並ぶ巨大な山城であった。(大東市教育委員会の「飯盛城」案内板を参照した。)送信所を過ぎると南丸、城の入口「虎口」で城跡は終わる。
下りは桜池、尻池への道を左に分け「大東の杜ハイキングコース」に入る。さらに分岐があるが右へ「竹林コース」を下る。美しい竹林の中、清流に小さな水車を回す「ちくりんの水」が三か所あり、山神の祠を過ぎると右から下ってきた「絵日傘コース」と合流する。橋を渡って左の山道に入り、少し登ると観音峠に出る。
 さらに右に登った広場には「野崎城址」の表示があった。飯盛山南西の尾根上にあり、眼下に東高野街道を見下ろす軍事上の要衝であったらしく、16世紀には飯盛城の出城の役割を果たしたという。
最後の廓址には九重石塔が立っていて、少し下ると野崎観音境内の鐘楼横にでた。正しくは福聚山慈眼寺という禅寺だが、東海林太郎の「野崎小唄」や落語の「野崎詣り」、新版歌祭文〜野崎村の段「お染久松」で有名である。幼い頃から「のざきのかんのんさん」で親しみ、多くの懐かしい思い出が残る。山門を出て参道を下り、懐かしい故郷の低山歩きを終えた。

【参考コースタイム】近鉄バス四条畷(10分)小楠公御墓所(15分)四条畷神社(35分)二の丸廓址(10分)飯盛山(7分)竹林コース入口(30分)野崎城址(10分)野崎観音(5分)近鉄バス野崎観音前
 妻と初めて一緒に登ったのは2003年3月、東側の「むろいけ園地」駐車場から山に向かった。広い園地を抜け、蟹ヶ坂ハイキングコースに入る。急坂を下って権現谷林道に出て、更に下った北側山麓の御机神社(←)が私たちの登山口で、ここから登り返すことになる。
 雑木林の中を抜けると四条畷神社からの広い道に合流して、木の階段になった。両側には桜の木が多い。険しい登りになると両側に鎖の手摺りが付けてあったり、道はよく整備されている。展望所で一息入れて、やっと人家に隠れた母校の校舎や小楠公墓地のありかを見いだした。ちょっと下って登り返すと右手から旧登山道が合流した。 
沢沿いに下ると権現川コースに出合い、標識通りに鋭角に右折。権現滝を見下ろしたりしながら広い道を緩く登ると室池古池堤にでる。平成元年修復工事の記念碑が立っている。いったん池から離れて山道となり、次ぎに池に出会うと中堤である。ここへは高校生の夏休みに、大阪に住む同年の従兄弟とキャンプに来たことがある。当時は全くの自然境で人っ子一人見当たらず、怖いくらいに淋しい場所だった。今、池の畔に家族連れが群れているのを見ると、子どもの頃に兎やタヌキの姿を見た山続きとはとても思えず、あれは夢だったのかと思うほどだ。感慨に耽りながら整備された園地を通り抜けて、朝の駐車場へ帰った。山頂で昼食後、野崎観音への道と分かれて楠公寺手前から静かな杉林に入る。人も少なく快適な山道で「滝谷楠水の場」という水場がある。
【コースタイム】むろいけ園地P(30分)御机神社(40分)飯盛山頂上(35分)室池古池堤(20分)中堤(15分)むろいけ園地P

私の関西百山
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