61 笠 捨 山(1,352m)





(かさすてやま)三角点のある西峰と、マイクロ反射板の立つ東峰からなる双耳峰である。「笠捨」の名は山の形状から来たものと想像していたが、「西行法師があまりの淋しさに笠を捨てて逃げた」ことが由来という十津川の昔話があるという(森澤義信氏『新日本山岳誌』)。また、『大和名所図会』には「千種岳に至る、一名仙嶽といふとぞ。また笠捨山ともなづく姥捨山に連なるをもって名とするなり」とあるが、姥捨山とは現在のどの山か、また「笠捨」とどう関連するのか、私にはよく分からない。別名・千種岳、仙ヶ岳

2005年梅雨入りの日にJAC奥駆山行で笠捨山を通過した。貸切バスで浦向から425号線を上って未舗装の四ノ川林道に入り、登山口に来る。行仙小屋への補給路となっているジグザグの山道を登ること50 分で稜線の行仙小屋に着き昼食。午後は何度かアップダウンを繰り返して笠捨山西峰に立つ。新しい神仏の石碑と二等三角点があった。行仙小屋から1時間半だった。この日は笠捨山から玉置山へ、さらに5時間、雨中の縦走を続けた。

笠捨山から古屋宿間の奥駈道は江戸時代には現在の稜線通しの道でなく、笠捨山から熊谷ノ頭を経ていったん上葛川に下り、ここから古屋宿に登り返していた。(森澤氏『大峰奥駈道七十五靡』)

2006年11月、森澤氏をリーダーとするJAC例会でこの江戸道を登った。上葛川の民宿で一泊、葛川対岸の斜面に付けられた道を登る。支尾根にでて西側山腹をトラバースして稜線を東側に乗り越す。
展望が開け、熊谷ノ頭や蛇崩山が見える。1040mピークを越えて壊れた作業小屋のあるコルに下り、丈の低い笹原の斜面を右手の樹林帯に沿って直登すると熊谷ノ頭である。 右に延びる尾根上の蛇崩山(↑)へ寄り道(往復45分)したあと、左の笠捨山へ。緩やかなアップダウンから傾斜が強まり、露岩の散らばるピークを越して行く。最後は笹原の中の胸を突くような急坂を登ると、笠捨山東峰の広場に飛び出した。
釈迦ヶ岳から奥駈道が通る山々がこちらに向かって続き、七面山、中八人山も霞んでいた。 狭い西峰から南へ。槍ヶ岳への登りにかかる手前の葛川辻で奥駈道を離れ、上葛川に向けて下った。

私の関西百山
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