60 釈迦ヶ岳(1,800m)





(しゃかがたけ)弥山を中心として、北の山上ヶ岳とほぼ等距離の南にある。1799.6m、一等三角点の山頂は大展望で知られ、吉野郡名山図誌によれば「常に雲霧起り晴日まれなり。晴れれば頂上より…(西は紀州の海から四国)…・東は伊勢、尾張、駿河の海を望み、晴天のあした日いまだ出ぎるの頃駿河の富士山海中に見ゆ」という。山頂にある釈迦如来の銅像で知られるように、古くから釈迦如来が祀られていた。昔は金の如来像が釈迦堂に安置されていたという。この山の南にある神仙ノ宿は修験道の重要な聖地で、これより北は蔵王権現の支配する金剛界、南は熊野権現の胎蔵界になぞらえた大峯の中心とされてきた。従ってこの山には、多くの靡き(行所)が点在している。 

釈迦ヶ岳へは三つの登山道が利用できる。最も簡単には十津川側からの旭ダム近く、不動小屋谷林道の登山口から登る。1999年7月31日、二人でこのルートから初めてこの山に登った。登山口からは斜面に刻まれた階段を登って樹林帯に入り、熊笹の間に開かれた道を行く。倒木や岩上の苔が鮮やかな緑を見せる中を歩き、旭林道登山口からの道と合流すると、美しい笹原が続く尾根上の一本道になる。この日は霧が深く、『美しいブナ林の中を通る。…大木の梢が霧に見え隠れし、立ち枯れた木がほの白く浮かぶ夢幻的な光景。鳥の声一つしない静けさは怖いほどだ。』と山日記に書いている。
深山堂の標識がある平地から少し登ったキャンプ場を過ぎる頃から細かい霧雨になった。水場を過ぎ、ようやく山らしい登りになるが、それもしばらくで呆気なく奥駆けの縦走路に出る。峠の反対側へは「前鬼へ140分」の道標がある。左へ山頂を目指す。道標に記された10分はかからず無人の山頂に着く。ここに立つ青銅の大釈迦像は地元のガイド・岡田雅行が大正14年に一人で担ぎ上げたという。台座の彫刻も立派なものだ。その苦労を忍びつつ、しばらく無展望の山頂にいたが、雨が激しくなったので同じ道を下山した。
2006年5月26日、千日山歩渉会(17名)とJACのU君パーティ(4人)合同で登った。
 登山口が林道の奥になり、立派なトイレや駐車場も設けられていた。スズタケの中の切り開きの急坂を過ぎると、薄暗い林の中でシャクナゲが美しく咲いていた。旧登山口からの道と合流して緩やかな起伏をいくつか越えていく。あとは古田の森、千丈平と前に歩いた道である。カクシ水の水場から少し急坂を登ると奥駈道に合流した。あとは露岩の道をひと登りで釈迦ヶ岳山頂に着く。この日も残念ながら雲の中で、展望は殆どなかった。
お釈迦様に手を合わせ、オオミネコザクラを見に行く。
 孔雀岳の方へ奥駈道を少し下ると、可憐な花が数株、山肌にすがりつくように咲いていた。ハクサンコザクラに似ているが、ずっと小型の可愛い花である。近くにはヒカゲツツジも咲いていた。風に揺れる花の写真を撮って頂上に引き返す。
この日は、釈迦ヶ岳の東南に聳える大峯三五番行所の大日岳にも登った。鎖のある一枚岩を登る修行場だが、捲き道もある。
 奥駈道を深仙ノ宿に向かう。滑りそうな溝状の道を降り、お堂の前で目の前にそそり立つ大日岳を眺めながら二度目の昼食。
 しばらく奥駈道を南に歩き、聖天ノ森の分岐で東に行く。アカヤシオやアケボノツツジが新緑と美しいコントラストを見せている。五角仙の大岩を過ぎてコルへ降る。ここが大日岳の基部になる。三三尋(約60m)と言われるフェイスには鉄鎖が下がっている。大人数なので、万一のことも考えて捲き道をとることにした。それでも最後は結構、面白い登りで全員が通過するのに時間がかかった。
大日岳(1540m)頂上にはブロンズの大日如来が安置されている。 狭い頂上は樹木に囲まれているが、北側が開けて釈迦ヶ岳から孔雀岳へ続く稜線、五百羅漢の岩峰群が美しく望めた。
逆峰(吉野から熊野へ)で奥駆けした折は、孔雀覗きから見た十六羅漢、五百羅漢などの岩峰群や、最低鞍部から見上げる鋭三角形の山容が見事だった。
 
最も印象に残るのは東山麓の前鬼(三重滝の裏行場がある)の宿坊・小仲坊に泊まり、両童子岩を見ながら太古ノ辻に登った時である。ちょうどシャクナゲの時期で、緑の山肌がピンクの模様で染め上げられた美しさは幻のようだった。

私の関西百山
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