52 日出が岳(1,695m)





(ひでがたけ )  別称 秀ヶ岳。 三津河落山、巴岳なども含めた総称・大台ヶ原山の最高点である。熊野灘に臨み、日の出を見るのに相応しい山としての名を持つ。大台ケ原周辺は年間雨量 500 ミリを超える日本有数の豪雨地帯で、そのためトウヒ、ブナなどの鬱蒼とした原生林に緑のササやコケが生育し、美しい自然の宝庫である。春のシャクナゲ、秋の紅葉、黄葉の素晴らしさでもよく知られている。
 私たちにとっての大台ケ原山は、マイカーで気軽にアプローチできることもあって、非常に馴染み深い山である。子供たちが小学生の頃は夏休みにバンガローで泊まったり( 1972 年8 月)、大迫ダムの下の河原でテントを張って満点の星空に花火を打ち上げたりもした( 1973 年8 月)。二人で、また山仲間たちとの様々な山行の想い出が尽きない。殆どの場合、最高点の日出ヶ岳山頂に立っているので、以下では大台ヶ原山全域の想い出を振り返ってみる。(ここに書いた以外にも歩いたルートがあるが、長くなるので割愛した)
山頂駐車場からコンクリートの展望台が建つ山頂までは、コンクリートの階段道や木道を登って 40 分で到着できる。山頂からは大峰山脈の主要な山々を一望にし、冬季の晴れた日には富士山や御岳も見えるという。
山頂から東に下ると、冠松次郎が「関西の黒部」と絶賛した大杉谷がある。大小の瀑布と深い淵を連ねた 9 キロにわたる美しい渓谷である。(写真は七ツ釜滝)
 しばらく登山路の崩壊で通行不能となっていたが、昨 2013 年秋から再び通れるようになった。 1967 年9 月中旬、職場の同僚二人と東大台を周遊して大台山の家で泊り、大杉谷を下ったのが、私の初めての大台行きでもあった。
その後も数度訪れたが、もっとも印象に残っているのは近所の山仲間との 92 年11 月の山行である。山の家で泊まった夜に降雪があり、翌朝は思わぬ雪景色の中を大杉谷へ下った。紅葉と白い世界の両方が楽しめた贅沢な山だった。
山頂から大杉谷に向かって 10 分ほど下ると、シャクナゲ平という処がある。 1995 年義父母と来て以来だ。思えばこのとき、義父 84 歳、義母80 歳。私たちもまだまだ負けていられない。  2011 年、二人でここへ往復してみた。遅いかと思っていたが、待っていてくれたような花に出会えて満足して山頂に帰り、周回コースへ入った。
東大台周遊路は元の道を少し下り、登ってきた道を右に分けて直進する。以前は山頂から正木ヶ原にかけて、立ち枯れたトウヒの白骨林が特異な景観を見せ、イトザサのなかにシカが遊ぶ楽しい道だったが、鹿による食害と登山道保護を名目に木の階段道が設置され、人工的な空中回廊の様相に一変している。 美しい笹原の正木ヶ原から神武天皇の銅像が建つ牛石ヶ原を経て大蛇嵓に向かい、切り立った岩頭で展望を楽しむ。ここからシオカラ谷に降りる道もシャクナゲ林の中である。シオカラ谷吊橋から急登で駐車場へ帰る。4 時間半ほどで一周できる。
西大台周遊は、より豊かな自然の趣を残している道である。しかし、 2007 年9月からの入山規制で安易には歩けなくなった。(一日の入山人数が制限され、事前に入山申請をしたうえ許可されれば入山料 1000 円を支払い、自然保護のレクチュアを受ける)。何度か歩いたが、規制を一か月後に控えた 2007 年8月初旬に二人で歩いたのが最後になった。
大台教会(ここの田垣内政一さんの怪談話も懐かしい)横から急坂を下り、ナゴヤ谷の流れを渡る。右手 200m 上に幕末の北方探検家・松浦武四郎の顕彰碑がある。流れに沿う道は、以前は踏み跡を探してさまよう感じだったが、現在では迷いようもない。枯れ沢を三つほど渡り、中ノ谷の河原に出て対岸に渡り、尾根を登る。
小さい尾根を越すとトウヒやブナの原生林になり七ツ池の標識を見る。左手の尾根の上に湿原があるが今は鹿除けのネットなどで入れない。この辺りは倒木や岩に付いた苔が、鮮やかな緑色に輝いて、神秘的な雰囲気を醸し出している カツラ谷をロープに頼って渡り、しばらく沢沿いに行くとやや広く平坦な場所に「開拓」の案内板がある。「明治の頃、この地、高野谷で開拓したが…大根、馬鈴薯のみ生育し、他は結実せず廃す。そのため現在地名として残って居る。」高野谷を飛び石伝いに渡り、少し行くと開拓分岐に来る。
次はワサビ谷をロープ伝いに渡り、木の階段を登り、雑木林を抜けて展望台に着く。東ノ川を隔てて正面に大蛇嵓が見える。滝見尾根左下の千石嵓、岩壁に飛沫をあげる中の滝、尾根の奥には日出ヶ岳に続く稜線と素晴らしい眺めである。

開拓分岐に引き返し、逆川を吊り橋で渡ってガラガラの石ころ道を登る。しばらく行くと大岩壁の下から「弁慶の力水」が流れ落ちている。ナゴヤ谷の美しい流れに沿って歩き、最後に少し急坂を登って大台教会下の分岐に帰る。
ドライブウェイに沿って大和岳から日出ヶ岳に続く稜線上にも、あまり目立たないが静かな山が続く。西端の経ヶ峰( 1529 m)は、慶長年間に西上人(丹誠上人)が道を開いた山である。ドライブウェイから踏み跡を行くと、上人が変化を封じ込めて経を埋めたという経塔石を経て往復 45 分ほどだった。山頂は樹木に囲まれて殆ど展望がない( 2007 年7 月)。
ドライブウェイに沿った道を大和岳( 1597m )、日本鼻と進むと、三津河落(さんずこうち 1600m )で尾根がY 字型に分かれる。ここは紀ノ川(吉野川)、熊野川(北山川)、宮川(大杉谷)の三河川の分水嶺である。三津河落山最高点( 1654m )の「如来月」は Y字の下軸を 300m 南に行ったところにある。 次のナゴヤ岳で再び尾根を分けて東に行くと川上辻で、ドライブウィと合する。ここから北へ筏場、入之波(しほのは)温泉に下る道があったが、今は通行できない。次の巴岳を過ぎると日出ヶ岳までは 30 分強で達する。倒木やバイケイソウの群落の中、シカには遭えても殆ど人には出会わない、静かな踏み跡を探しながら稜線歩きも今はできなくなっている。

私の関西百山
inserted by FC2 system