46 高取山(584m)





【たかとりやま】西国三十三カ所第六番札所・壺坂寺の東方にある。この山の天嶮を利用して南北朝時代に越智氏(南朝方)が城を築いた。のち戦国時代の本多氏を経て、江戸時代寛永年間に植村氏が大改修を行い、明治の廃藩置県まで高取藩二万五千石の居城であった。現在も山頂部に大手門や二の丸などの建物跡や石垣が残っている。

いくつかの門を過ぎて上り詰めた広場が本丸跡で、展望方位板などが設置されている。ここから西に金剛・葛城、南には吉野・大峰の山並が望まれる。周辺にはサクラの大木が多い。 三角点は天守跡の石囲みの上にある。
桜の時期はもちろん秋の紅葉も素晴らしい。主な登山道は壺坂寺経由のものと、高取町土佐街道から大手道を登るものの二つがある。いずれも起点は近鉄吉野線壺阪山駅である。壺阪山駅から国道を越え直進してT字路で右折する。20分ほどで「札ノ辻」の石標に出る。右折してバスの通る国道に出て船戸橋を渡り、昔の参道である山道を登る。最後に急な階段を登ると壺阪寺駐車場にでる。 壺阪寺(南法華寺)は大宝三年(703年)弁基上人の開山。『枕草子』に「寺は壷阪、笠置、法輪」と記されている。古くから眼病に効験があるとされた観音信仰の寺で、浄瑠璃「壺坂霊験記」の舞台として名高い。近年はインド渡来の大観音石像、涅槃像などや、障害者への配慮、支援活動で知られている。
寺からはしばらく車道を歩き、分岐から壺坂寺奥の院・香高山(こうこうざん)の五百羅漢石仏群を経て尾根道を1時間強で頂上の本丸跡である。 下山は北側へ15分で猿石。荒れていた道は現在も補修が続けられ、驚くほど良い道になった。上子島砂防公園からは広い舗装路になり、元高取藩家老屋敷・植村邸を経て札ノ辻に帰る。猿石から徒歩1時間で壺阪山駅である。

*この項の文章には、日本山岳会編「新日本山岳誌」(ナカニシヤ出版)の変愚院執筆個所からの引用があります*

私の関西百山
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