42 金勝アルプス




耳岩から天狗岩、鶏冠山

42. 金勝アルプス  <近江盆地> 
琵琶湖南部の大津市、草津市、栗東市にまたがる金勝アルプスは、標高600mに満たない低山の連なりながら、荒々しい花崗岩の巨石が山肌に露出するアルプスの名に恥じない風貌である。山中には磨崖仏や寺院跡が多く、古くはこの地に仏教文化が栄えたことを伝えている。一帯を金勝山ともいい、東北方に位置する阿星山、東方に位置する飯道山とともに金粛菩薩(こんしょうぼさつ=東大寺開山の良弁)の霊地とされている。竜王山には良弁が創建したと伝えられる金勝寺がある。

1981年9月に初めて千日町ハイキング同好会で竜王山に登った。この時も一緒だった息子が20歳になった1988年10月には彼の運転で行き、落ヶ滝から鶏冠山を経て竜王山へ縦走している。
 その後も数度登っているが、最近では2012年10月に猪花さん、丸屋夫妻と登った。上桐生キャンプ場の駐車場から数分、北谷林道を右に折れる。自然林の山道をいくと新しい林道を渡って落ヶ滝に着く。
 落差20m、滑らかな岩肌に清らかな水が流れ落ちている。
息子と来たときは支尾根の踏み跡を探しながら鶏冠山へ直登したが、今は沢筋にはっきりした道が続いている。大石にペンキ印があったり、ロープの下がっている大きなスラブ状の岩を登ったり変化に富んだ道である。沢を詰めて短い林の中の急登で北峰縦走路に出た。 北の鶏冠山への道は、木の間から三上山、竜王トレーニングセンターなどを見下し、かなり急傾斜な悪場も交えながらピークを二つ越える。最後に短い急登で鶏冠山(490.9m)頂上に立つ。林に囲まれ無展望である。
分岐に帰り尾根道を南へ行く。風化した花崗岩の白砂、緑の松、そこここに大きな岩を配置されてまるで箱庭のようだ。(写真:95年5月) 天狗岩に登ると、琵琶湖を中心にして湖北、湖東の山々を一望にする胸のすく展望が広がった。(写真:95年5月)
昼食を終えて縦走を続ける。耳岩を過ぎ、何度か階段を登ってベンチのある白石峰にくる。ここから竜王山へピストンする。平坦な尾根道を行くと間もなく座高50センチほどの石龕仏・茶沸観音がある。(写真;白石峰より竜王山) 林の中を下り、登り返して八大竜王を祀る祠の前に出る。右に少し登ったピークが四等三角点の埋まる竜王山(604.7m)山頂である。窓のように開いた木の間から三上山が小さく見えた。
白石峰に帰り、狛坂寺址へ下る道に入る。急坂だが歩きやすく整備されている。薄い浮彫の仏像が残る「重ね岩」を過ぎて、最後の展望所「国見岩」で天狗岩と別れを惜しむ。林の中の急な下り道は、前に来た時に比べると荒れている感じで狛坂寺址に降り立つ。
 今は磨崖仏と平地を挟んで小さな石仏が数対並ぶだけだが、9世紀初めに金勝寺の別院として創建された大寺であったという。


(1995年)
奈良時代に彫られた磨崖仏は、高さ6.3m幅4.5mの巨岩に、中央に大きな如来坐像、両側に脇侍の菩薩立像を浮き彫りにしている(上部の化仏が鎌倉時代の補作)。 最初(1987年)に見たときは、あまりにも鮮やかに線刻が残っているので驚いたものだ。1995年撮影の写真と比べても、現在はかなり摩耗しているのが分かる。
林道茶沸線までの沢沿いの道もかなり荒れていた。つい先月の大雨の影響かも知れない。林道が新名神道の下を潜ると「逆さ観音」がある。鎌倉時代の三尊像を彫った大岩が逆さにずり落ちたものである。 やがてオランダ堰堤に出る。草津川の砂防ダムの一つだが、1872年に技師・田辺儀三郎がオランダ人ヨハネス・デ・レーケ指導で設計したもので、川畔にレーケの銅像が立っている。石の堤の上を対岸に渡るとキャンプ場の一角で、間もなく朝の駐車場に帰った。

【コースタイム】上桐生青年の森キャンプ場 08:45…落ヶ滝 09:20…北峰縦走路 10:05…鶏冠山 10:45〜52…天狗岩 12:15〜12:55…耳岩 13:07〜13:17…白石峰 13:27…竜王山 13:47〜14:00…白石峰 14:17…狛坂寺址 14:40〜14:50…林道出合 15:08…キャンプ場16:20


私の関西百山
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