41 湖南アルプス




大津市の東南端から甲賀市(旧信楽町)に続く山域には500m級の山々が散在し、その花崗岩を露出した山容は湖南アルプスと呼ばれている。私たちの好きな山域の一つなので、あえて、一纏めにしてリストアップする。



太神山(600m)

【たなかみやま】奈良時代から平安時代にかけては都に邸や寺院の建築用材を切り出す大切な杣山であった。また田上の名の通り、農耕の水源の山として崇敬されてきた。

子供たちの小さい頃は枝のバス停から歩いたが、今はアルプス登山口までバスが通じている。ここからは天神川沿いに東海自然歩道を30分ほど歩くと迎不動がある。車ならここの駐車場まで入れるようになった。不動橋から山道らしくなり、七曲りの急坂を登る。道の両側に奇岩の連続する変化の多い地形となり泣不動に着く。稜線に出て矢筈ヶ岳への道を分けると間もなく二尊門。「右しがらき道」(現在は廃道)という古い石の道標と木の門があり、その奥の対になった石の童子が微笑ましい。
門をくぐると四十四丁の町右があり、ここから広い参詣道を登る。四十八丁でもう一つの山門をくぐり、折れ曲がった長い石段を登る。さらに石段を登る。寺務所から急な階段を登ると不動寺。岩にのしかかるように作られた舞台作りの本堂が建っている。二等三角点の埋まる頂上はさらに石段を登った奥ノ院手前にある。下山は稜線に帰り北に向かう。林の中の八丁坂を下ると砂岩帯となり少し登ると天狗岩がある。木曾駒のものよりずっと小型だが、鼻の形が高いだけこちらの方が天狗らしい。ここからの下りはブッシュの中だったが、今は全コースが東海自然歩道になっている。道は西に曲がり吉祥寺川の流れを何度か渡り返して、新免古墳群や磨崖仏をみて新免バス停に出る。(全行程約11km

 
矢筈ヶ岳(562m)
【やはずがたけ】尖った双耳峰を矢筈(弓の弦をつがえる矢の尾部のくぼみ)に見たてた山名である。

上述の田上山の迎不動から富川道に入る。両岸には黒い岩がそそり立ち、清らかな流れに沿う気持ちのよい道を登ると御仏河原にでる。右をとると笹間ヶ岳への道である。左手の雑木林を登り稜線に出ると、やがて出合峠に着く。右に折れ急登10分ほどで失筈ヶ岳の頂上に立ったが、狭い頂上は樹木に囲まれ、わずかに南西方が望めるだけである。太神山へは出合峠に戻り北へ向かう。ここからはかなり複雑な地形で、ルートファイティングに苦労した。最後に谷の源流のようなところを渡ると、間もなく二尊門に出た。



笹間ヶ岳(433m)
地元では権現山と呼ばれている。田神山と同様、神社仏閣の建築用材を伐りだした山である。
登山口の上関近くにある新茂知神社に参拝して林道を進む。やがて深い翠緑を湛えた美しい池・図越池の横を通る。雑木林の中の緩い登りから、深く決られた溝状の登りを過ぎて尾根に出る。
1978年11月に子供たちも一緒に登った時は『尾根筋へ出て大きな岩のある展望の良いところで一服。正面に立木観音の屋根が小さく望まれる。ここから痩せ尾根を登り、最後は樹林帯の中、えぐられた道の急登となる。』と山日記に記している。
1993年に来た時は林道や河川砂防工事中で各所に青いビニールシートが敷かれ、登山道も味気ない風景の中だった(この辺りの登山路の状況は現在かなり変化しているようだ)。笹原へ出てしばらくで笹問ヶ岳頂上である。八幡岩という巨岩があり、登ると上は思ったより広く、反対側は20mはあろうかと思われる絶壁になっていて、眺望はすばらしい。
琵琶湖大橋が遠く光り、宇治川の流れが帯のようだ。醍醐山、瀬田川、琵琶湖、遠く比叡、三上山、近くに堂山から太神山への稜線と期待通りの展望が楽しめた。稜線上の小さいピークをいくつも上下して、尾根から離れて沢筋を大谷河原に下る。ほぼ池塘が点在するほぼ平坦な湿地帯を行くと、御仏河原に出る。ここから出合峠までも尾根や谷の入り混じった分かり難い道だった。93年には御仏河原から天神川へ下り、堂山へ向かっている。

堂山(384m)
迎不動から天神河原の流れを飛び石伝いに渡る。若女谷左岸の道をしばらく行くと鎧ダムの堰堤がある。その先で河原の奥まった処を左手の松林の中に入る。高原状の湿地帯を20分ほど行き、少し登ると見通しの良い尾根に出る。小さなピークがいくつも連続する露岩の多い尾根道歩く。頂上直下のコルからいったん大きく下り、岩場を登ると頂上に着く。大きな岩があり360度の展望である。下りは天神川ダムに向かって下る。露岩と低い松の尾根道で、やがて谷に向かって急降下するが、所々、道が不明瞭な所がある。沢に降りると何度か流れを渡り返し、時には徒渉を強いられたり、沢沿いの道を探したりしながらどんどん下って天神川ダムにでた。アルプス登山口までは数分の距離だった。この翌年には逆コースを歩いた。

私の関西百山
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