39 龍門岳(904m)




【りゅうもんたけ】奈良県吉野郡吉野町と宇陀市大宇陀区の境にあり、竜門山地の主峰にふさわしい堂々とした山容である。『大和志』に「竜門荘(りゅうもんのしょう)山口村の上方(かみつかた)にあり。山林遠く望めば蔚然(いぜん)(草木の茂るさま)として青々たり」と記されている。文政元年(1818)、竜門郷14カ村の百姓が代官所を襲う一揆が起こった。いわゆる竜門騒動である。長らく旱魃に苦しんできたこの土地に、1951年、灌漑用ダムとして津風呂湖が造られ、新しい観光資源ともなっている。
  1968年11月、大阪山友クラブの17名で初めて津風呂湖より全山紅葉の龍門岳へ登った。その後、数度登っているが、いずれも山口からのピストンである。
登山口にある吉野山口神社は徳川家光寄進の石灯籠や、天然記念物のツルマンリョウ自生地として知られる。 並んで建つ高鉾神社は、もと竜門岳山頂にあったことが『大和名所図会』で分かる。共に延喜式内社である。
集落を過ぎて杉林の中をしばらく登ると水道の貯水槽がある。2004年7月1日、二人で来た時はここに車を置いた。
 古い下乗石を見送り竜門寺址にくる。平安から室町にかけて栄え、宇多上皇や藤原道長も参詣したと『懐風藻』に記されている。
近くの竜門滝は落差25m。元禄元年(1688)、吉野を訪ねた芭蕉が立ち寄り、「竜門の 花や上戸の 土産(つと)にせん」の句を残している。
ここから緩い勾配の舗装路を沢沿いに進む。沢を離れて植林帯に入る。急な岩交じりの道を登ると再び沢に出会い、堰堤を越えて急勾配のジグザグ道を登る。支尾根に取り付く辺りは1998年秋の台風で、かなり様相が変わっていた。暗い樹林帯は伐採され、小さな苗木が植えられて少し明るい雰囲気になった。しかし急な尾根道の苦しい登りは変わらず、ジグザグをくり返して息を切らす。やがてクマザサが現れ、植林帯に入る。
ちらちらと樹間に津風呂湖を見ながら最後の急坂を登って、タカミムスビノカミの祠が立つ山頂に出た。祠の前に一等三角点があるが、スギやヒノキに囲まれて展望は殆ど得られない。吉野町山口から竜門寺址、竜門滝を経て山頂まで約2時間である。

私の関西百山
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