37 学能堂山(1022m)





37. 学能堂山(1022m)
(がくのどうやま) 奈良県御杖村と三重県美杉町にまたがる。三峰山から北に延びる支稜上にあり、楽能堂とも岳の洞とも書かれる二等三角点の山である。学能堂の名は、かって山頂に文殊菩薩を祭る祠があったことから、学芸上達を祈願する人たちの思いを偲ばせる。「御杖村史」には、昔、能楽が催された山と記されている。三重側の美杉町で「岳の洞」と呼ぶのは「大の洞」(大洞山)と同様である。
  昭和48年刊の「大和青垣の山々」では、「大和最東端の山」として、「山頂に至る道らしい道が開かれていない」と記されているが、今は奈良県、三重県の両側からいくつかの登山道がある。

  私たちは1990年6月、杉平から水谷林道を経て県境尾根を登った。見通しのない杉植林の中を30分ほど登り、やっと稜線の908M地点に辿り着く。ここからは緩い尾根道の登りで、やがて下生えの熊笹の中を行くようになり、木の丈もだんだん低くなって、明るい日差しの中に飛び出したら頂上だった。一等三角点の標石の横には、「学能堂」「岳の洞」の二種類の標識が仲良く一本の柱に打ちつけられていた。ドーム型の山頂部はススキや笹で覆われて樹木が少なく、胸のすくような素晴らしい展望が開ける。北に倶留尊山と大洞山、尼ヶ岳、古光山。南には伊勢の局ヶ岳と高見山を東西に従えた三峰山が大きい。

また2006年12月には神末から小須磨山(850m)、小須磨峠を経る道を登った。最初は未舗装の林道を歩き、植林帯の支尾根を稜線通しに小須磨山(850m)へ。山頂を三峰山からの縦走路が通っている。しっかりした稜線上の道を小須磨峠に下る。「学能堂山へ2.1q」を示す道標がある。左手にシカ防護柵の金網が続く杉林の中を登る。白土山、東俣山の二つのピークを越して、佐田峠への道を分けると最後はカヤトの原の中、かなりの急登で学能堂山山頂に達する。この日は美しい銀世界だが無展望だった。

【参考コースタイム】駐車場所(みむね山観光案内所の先)10:10…林道終点10:40~10:45 …小須磨山11:25~11:30 …小須磨峠11:37…白土山12:01…東俣山12:13…学能堂山12:37~12:45 …佐田峠分岐12:58(昼食)13:30…小須磨峠14:08~14:13…小須磨峠登り口14:40…14:50 駐車場所(2006.12.18)

私たちは1990年6月、杉平から水谷林道を経て県境尾根を登った。
 見通しのない杉植林の中を30分ほど登り、やっと稜線の908M地点に辿り着く。ここからは緩い尾根道の登りで、やがて下生えの熊笹の中を行くようになり、木の丈もだんだん低くなって、明るい日差しの中に飛び出したら頂上だった。一等三角点の標石の横には、「学能堂」「岳の洞」の二種類の標識が仲良く一本の柱に打ちつけられていた。
ドーム型の山頂部はススキや笹で覆われて樹木が少なく、胸のすくような素晴らしい展望が開ける。
 北に倶留尊山と大洞山、尼ヶ岳、古光山。南には伊勢の局ヶ岳と高見山を東西に従えた三峰山が大きい。
また2006年12月には神末から小須磨山(850m)、小須磨峠を経る道を登った。最初は未舗装の林道を30分歩き、植林帯の支尾根を稜線通しに小須磨山(850m)へ登る(林道終点から45分ほど要した)。山頂を三峰山からの縦走路が通っている。
しっかりした稜線上の道を10分ほどで小須磨峠に下る。「学能堂山へ2.1q」を示す道標がある。左手にシカ防護柵の金網が続く杉林の中を登る。
白土山、東俣山の二つのピークを越して、佐田峠への道を分けると最後はカヤトの原の中、かなりの急登で学能堂山山頂に達する。小須磨峠からちょうど1時間だった。この日は美しい銀世界だったが展望は全くなかった。

他にも払戸、笹峠から登る道があると聞く。

私の関西百山
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