28 尼ヶ岳・大洞山


尼ヶ岳(958m) <室生火山群>
【あまがたけ】山名の由来は山頂部が尼僧の頭に似ているためという俗説があるが、新日本山岳誌によると、高所を意味する「アマ(天)」からきているという。谷文晁の日本名山図会にも「天岳」と記載されている、伊賀一の高峰で伊賀富士と呼ばれる美しい山である。

 
尼ヶ岳頂上から大洞山

大洞山(雌岳985m)<室生火山群>

【おおほらやま】三角点のある雌岳と最高点1013mのある雄岳からなる双耳峰である。山容が山伏の吹く法螺貝に似ているので大螺山という別称がある。

*尼ヶ岳と大洞山は大タワという鞍部を挟んで北と南に対峙しているので、私たちは続けて登ることが多い。ここでも一つの項にまとめた。
 最初にこのニ山を登ったのは1971年9月12日である。当時、所属していた大阪山友クラブの地域研究グループ8人で登った。『タクシーで太郎生に入り、民家の間を通って山へ取りつく。稜線へ出るまでの道が、田の中を通ったりして、かなりややこしい。尼ヶ岳へは峠からかなりの急登で、潅木を両手で持ってよじ登る感じとなる。大洞へは人の通った後がなく、薮漕ぎをくり返して道を探す。稜線へ出れば顕著なピークを3つ越えて、最後の急登で大洞山に着く。日の暮れかけた道を急いで、元の太郎生の集落に降りる。』当時の山日記の全文だが、当時はまだ、あまり歩かれていなかった様子である。写真も残していない。
6年後の1977年4月10日に、千日町ハイキング同好会例会で大洞山へ登った。
 小学生だった子供たちも含め21人で名張に着いたが、長瀬付近で山崩れのためバス不通。やむなくタクシー4台に分乗して杉平から登った。
 帰りはキキョウ平より東海自然歩道を中太郎生へ。迎えのタクシーが峠で事故があって遅れ、また1時間以上待たされた。事故現場の峠で対向のトラックとのすれ違いに肝を冷やしながら名張へ帰った。
大洞山の南山麓には三多気の桜で有名な真福院がある。参道はもとより、ここから仰ぐ大洞山も桜で埋まっている。1987年4月にはここから大洞山を往復した。
1990年代になると子供たちは成長して、町内の同好会は中高年の大人だけになった。
 毎年夏には北アなどに登るので、1990年8月5日には10名で白山のトレーニングに行った。マイカーで下太郎生から林道・倉骨線に入り、倉骨峠に駐車した。
 大洞山の二峰は西側をまき、一峰の石段状の下りを終えると大タワに着く。

(←倉骨峠より尼ヶ岳)
2000年代、同好会が町内以外のメンバーを加えて千日山歩渉会となった後も何度かこの二山を登ったが、2005年6月19 日には14人のメンバーで歩いた。

『…暑さもうなぎ上り。この時期の低山で涼しいところといえば一押しの、この二山で今月の例会は決まり。』…

太タワから尼ヶ岳へは、ところどころに階段を交えた標高差300mの急坂だが、ヒノキ植林の中は風が通り、ひんやりして気持ちがいい。

 頂上は広い草地で二等三角点が埋まっている。小タワからはススキ原のカンカン照りとなり、苦しい登りを終えて三等三角点の埋まる、開けた山頂に立つ。
 帰りは大タワを過ぎると苔むした石段の道で、東側から肌寒いくらいの冷たい風が吹き上げてきて快適だった。

私の関西百山
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