24 綿向山(1110m)


【わたむきやま】雨乞岳の西、鈴鹿山脈が滋賀県側に突出した西端に位置する。近江平野に水をもたらす日野川源流にあり、古くから近在の人々に崇敬されてきた近江4霊山の一つである。

<表参道を登り、水無山北尾根を下る>
日野町西明寺からの表参道から三度登った。1992年3月20日、初めて町内のハイキングクラブで来たときには道路工事が行われていて、水木野集落の空地に置かせて貰った。
今は御幸橋に駐車場があり、20分ほど歩いたヒミズ谷出合小屋が表参道登山口になる。
 頂上まで整備された立派な道が続き、各合目ごとに標高と頂上までの距離が示された標識が設置されている。樹林帯をジグザグに登り五合目に着くと避難小屋があり、奥の平林道からの道と合流する。ここから道は右手にヒミズ谷を見下ろしながら、一度も折れ曲がる事なく七合目まで続き、この山の大きさが分かる。
七合目には小さな祠があり、行者コバ(山伏コバとも)と呼ばれる所である。昔はここでお山に登る服装を整えたという。

2002年 3月24 日、日本山岳会関西支部例会の時は、ここで雪が降り出してみるみる銀世界になった。
 八合目を過ぎると、右手下に金明水が見え、年中、涸れないこの水場がちょうど標高1,000M地点である。
最後は急勾配の108段ある石段を登り、古い鳥居をくぐると正面に綿向神社奥の院の祠、その右に大きなケルン状の青年の塔が立つ頂上の広場に出る。
帰りは水無山北尾根を下る。「文三のハゲ」を横に見る鞍部まで下りて、急坂を水無山(995m)に登る。
 1992年には深い熊笹の中に道標もなく、ルートファイティングに苦労した。ヒミズ谷へ入り込んでしまって、分かりにくい踏み跡を辿って、何度も沢の流れを渡り藪漕ぎを繰り返してヒミズ谷を下った。10年後にははっきり立派な道が続いていた。水無山は灌木に囲まれた狭い頂上で、少し先に展望の良いところがあり、東峰との間は深いキレットになっている。
北尾根の道は崩壊した箇所や狭い足場のトラバースが多く、のんびり歩ける表参道の登りとは一転して、少し緊張させられる、それだけに山歩きの味わい深い道である。
登りとほぼ同じ二時間でヒミズ谷出合の登山口に帰り着いた。

<竜王山より展望とイワウチワの尾根道縦走>
2000年5月3日、日野町の「綿向山を愛する会」のHPで「健脚向き」とされているコースを二人で歩いた。西明寺から水木林道に入り竜王山登山口に駐車。最初からかなりの急坂だが、20分程登ると傾斜が緩んで山腹を捲く。
山頂直下の新しい階段道になり、見上げるような急勾配を5分ほど頑張ると、太い松の木が何本もまばらに立つ龍王山頂上である。
 小さい石を祀った小台地で、南東に綿向山、雨乞岳が見える。南西には水田が美しい幾何学模様を描く近江平野が拡がり、すぐ下にブルーメの丘、蔵王ダム、その上に猪ノ鼻ヶ岳が懐かしい姿を見せている。
綿向山へは東へ延びる稜線を行く。道の両側は満開のアセビの林が続き、その上でコブシが咲き誇っている。
 15分ほどで送電線鉄塔が建つ草地のコブが二つある。ここは360度の大展望地で、雨乞、綿向はもちろん琵琶湖、三上山、近江平野などが一望の下。
 向かい側の山腹にはまだ色濃いヤマザクラとコブシ、咲き始めたミツバツツジが散りばめられ、ありふれた表現ながら絵のようだった。
少し下ったコル状の所から再び厳しい急坂を登り切ると、思いがけずイワウチワの大群落に出会った。
 両側の疎林の中はもちろん、登山路の足元にもずっと並んで咲いている。やがて917峰の標識がある。いったん下って登り返すと小さな岩稜の突起になり「綿向山へ1時間15分、龍王山へ50分」の標識。
 この辺りから尾根は大きく右(南)へ回り込んでいくが、ここでも素晴らしい展望が得られた。
下りきった所からも水木林道へ下る道がある。次の登りはコース全体で一番険しく、木の根を掴んで身体を引き上げるような急坂だが、道の両側に咲くイワウチワが激しい登高を慰めてくれる。
 また下り、雑木林の中の急坂を登る。最後はクマザサの急坂となり、登りきると雨乞岳から来る稜線上に出た。懐かしい鈴鹿の峰々がずらり並んで出迎えてくれる。道はここで右に直角に折れ、綿向山までは笹原の緩やかな尾根が続いている。
 下りは表参道を五合目で右に折れ、スギやヒノキ植林の静かな北参道を奥ノ平に出る。谷沿いの林道歩き20分ほどで朝の駐車場所に帰った。


私の関西百山
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