15 霊仙山 (1084m)



【りょうぜんやま】鈴鹿山脈最北端にある。全山が石灰岩からなるため、山頂部には笹原の中に石塔やドリーネが散在している。また山麓には洞窟や鍾乳洞が多い。7世紀終わりに山頂に建てられた霊仙寺で米をといだ水が溜まったのが「お虎が池」で、それが流れてお伊勢白水(漆ヶ滝)と白水谷(谷山谷)となったという伝説がある(日本山名辞典による)。 「霊仙とは惟喬親王とほぼ同じ時代に生きて、六年間唐に学び、日本に帰ろうとして、彼地で暗殺された高僧の名であるという。」(田中澄江「花の百名山」)

山を初めて間もない1958年12月、大学の同級生Nと二人で行ったのが、この山に登った最初である。
 いずれは旧版「近畿の山」に挙げられた全山を踏破する意気込みで、同書の冒頭に紹介されたこの山に、まず狙いを付けた。前日、米原の旅館に泊まり、一番の列車、バスを乗り継いで上丹生から歩き始めた。
 谷山谷の潜流を登り、柏原道を醒ヶ井に下った。途中、「こうもり穴」を覗きに行き、頂上からは白山と思われる雪をつけた頂きが見えたのが印象に残っている。
33年ぶりの再訪は妻とマイカー利用。早朝5時に家を出て上丹生に車を置き、歩き出す。
 屏風岩を見るとようやく山道らしくなる。勾配の緩い、歩き易い道が谷山谷の左岸に続く。流れが伏流になった地点から谷に下りて、真白で丸みを帯びた美しい大きな石灰岩の間に道を拾っていく。また流れが現れ、「一の谷」の道標。左岸の直ぐ頭上に、見覚えのある「こうもり穴」が不気味な口を開けている。ここから、右に左に忙しく河原を渡り返す。
 「二の谷」を過ぎると右岸に「廊下岩」があり、その下をトラバースする。

この辺りも美しい流れがある。再び伏流になり石の門になっている「くぐり岩」の間を抜ける。
急斜面を登り、崩れた斜面を高捲いたりしながら進み、「三の谷」の流れを横切ると、明るく開けた「漆ヶ滝」の下に出る。
 豊かな水量の滝を見ていると、これ程の水が伏流になるのが不思議に思える。対岸の山は、緑の地にスカーレットの紅葉模様の錦を纏い、思わず歓声が出るほど美しい眺めだ。
右手の山腹に取り付く。急な登りは僅かで滝の上を高捲く水平な道になる。
 左に連続する美しい滝を見下しながらしばらく行くと、右手の支沢に入る。がらがらの涸れ沢の岩梯子のような急な登りで息を切らす。勾配が弱まり、左へ大きく捲いてクマザサの原となり、尾根に出ると「四丁横崖」の標識のある柏原道の八合目である。
やがて笹の背も低くなり、次の高みを登りきると経塚山の頂上だった。
 行く手に西南尾根、最高点から右に本峰へ続く、なだらかな緑の稜線が見える。左下は池塘とドリーネの点在する草原、後ろには伊吹山の特徴的な崩壊した山肌。残念ながら雲が多く、伊吹の頭も琵琶湖も見えない。僅かに湖東平野の一部が見えた。(写真は1999年)
いったん緩く下り、笹原の中を登って頂上に着く。何人かの人が腰を下ろしていた。経塚山まで帰り、左へゆるい笹原の尾根を下る。八合日、鳥居のたつ「お虎が池」は雨乞いの為に昔から信仰されていて、琵琶湖の形をしているそうだ。ほぼ平坦な道も、七合目の大きな露岩のあるところから急に厳しい下りになる。 やがて静かで涼しい木立の中の「汗拭き峠」に着く。ここから無人の集落と言われた廃村・榑ヶ畑を通り、醒ヶ井養鱒場に下った。頂上での展望は、もう一つで期待はずれだったが、途中の渓谷の美しさ、山村ののどかさを満喫し、充実した楽しい山行だった。
1999年5月にはPATIO「低山徘徊派」オフ会に、若いメンバーに混じって参加した。コースは8年前に来た時と同じである。
 この日も曇り空ながら、キツネノボタン、ヤマシャクヤク、ナツトウダイ、ボタンネコノメソウ、ホウチャクソウ、キランソウ、イチリンソウ、ニリンソウ、ヤマルリソウと素晴らしい春の花の競演だった。

私の関西百山
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