09 西方ヶ岳(764m)、栄螺ヶ岳(686m)


西方が岳

【さいほうがたけ、さざえがたけ】敦賀市と美浜町の境界となる敦賀半島の主稜線を構成している二つの山で、すべてが花崗岩でできている。所々で白く風化して美しいアルペン的な風貌を見せる。1992年10月10日に縦走した。

<犬が案内してくれた敦賀の山>
海の見える山に登ろうと妻を誘って1泊の旅に出た。気比の松原を過ぎ、敦賀半島を東海岸沿い北上して常宮神社の駐車場に車を置く。山支度をしていると、宮司さん宅の庭から中型で自茶の斑犬が出てきて、先に立ってトットと歩きだした。人なつっこそうな顔をした、おとなしい雄犬である。
 西方ガ岳へは海抜0mからの登りである。犬は7、8m先をつかず離れずに歩き、間隔が開くと立ち止まって、振り返って待っていてくれる。
呼べば木霊が返るという鸚鵡岩に来た。犬は岩上に駆け登って「早くおいで、いい景色だよ」と言ワンばかりの顔。
ブナ林の中の七曲がりの急坂を登り、764mの頂上に着いた。しゃれた三角屋根の避難小屋に4人の登山者が先着していて、犬はなにかご馳走をもらっていた。私達は頂上広場に腰を下ろして、湯を沸かし昼食の準備を始める。犬が尻尾を振って跳んできた。「ごめんね。なにもなくて」。パンをちぎって手のひらにのせると、おいしそうに食べる。地元の若いカップルから、この犬がTVでも紹介されたジョンという名の山好き犬、と教えられた。「あなた達は運がいいですよ、1日にせいぜい2組案内するだけですから」。
ここから敦賀半島の背骨にあたる山稜を北へ約2キロの、蝶螺ガ岳への縦走にかかる。小屋の横から熊笹の下り道になる、その入り口でジョンが見送ってくれた。ちょっぴり名残惜しい気がする。「帰りはひとりで山を降りるのだろうか」と話していると、ガサガサと薮を分けて駆け降りてきた。嬉しく思ったが、心配でもある。なにしろ、下山予定地の浦底はジョンの村から山道で8キロ、海岸つたいでも7キロは離れているのだ。「もういいよ、お帰り」。それでも平気で先に立って歩いていく。
縦走路をそれたカモシカ台という大きな岩がある。ここでも、私達にはとても登れない天辺に駆け登って、得意気に見おろしている。なるほど敦賀湾の眺めが素晴らしい。
 リンドウの群生する尾根道を登り下りしながら蝶螺ガ岳に来た。
休憩の間、ジョンは気持ち良さそうに横たわって、目を閉じていた。
 ここからは登りにも増して厳しい下り。眼下の海がだんだん近くなる頃、ジョンの姿が見えなくなったが、清流のほとりで待っていた。「この水は飲めるのかな」というと、「大丈夫だよ、ほら」とペロペロなめてみせる。やがて浦底側の登山口に着く。「注意!熊が出没します」という立札がある。
 とうとう今夜泊まる民宿までついてきた。ご主人に頼んで常宮神社へ車を取りに行くのに一緒に送ろうとしたが、どうしても乗らない。
常宮神社に行くと、宮司さんの奥さんが花の手入れをしておられる。「ジョンはお宅の犬ですか」「そうですが、ジョンがどうかしましたか」「山を案内してくれて、今、浦底にいます」「あの犬は悪戯が過ぎるので、放っておいたら村中の犬になりました。山が好きでお供したんでしょう。そんなに遠くまで行きましたか」「おかげで助かりました。ありがとうございました」「ジョンが帰ったら、そう伝えておきましょう」。
 車で民宿に帰る道で、家路を急ぐジョンを見た。窓を開けて名を呼ぶと、止まって顔を見て歩いて行った。「ジョン、ありがとう。」妻の目が潤んだ。その夜の眠りは2人とも浅かった。ジョンは事故にあわず無事に帰ったろうか。
 朝、急いで神社に行ってみた。いた!「ジョン!」ちぎれるように尾を振りながら、腕の中に飛び込んできた。「僕の家はいいところだよ」。広い境内を案内してくれて、手と尾を振りあって別れた。「うちの美鈴(雌の柴犬)と夫婦になれたらいいのにね」。妻が泣き笑いの顔でいった。
 
(雑誌「旅」1993年2月号旅のエチュード欄に投稿、掲載された文章です)

私の関西百山
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