08 野坂岳(913.4m)



【のさかだけ】西方ヶ岳、岩籠山とともに敦賀三山の一つ。市街から近く「敦賀市民の山」「敦賀富士」と呼ばれ親しまれている。一等三角点を持つ展望のよい山である。

急に思い立って敦賀の山へ向かう。3時間ほどで「野坂山いこいの森」に着いた。登山口には「野坂嶽大権現由来」の大きな説明板と、登山者ノートが置かれていた。杉林の中の道は広いが最初から急である。テレビ塔への分岐から道は細くなり、沢に沿った草地をジグザグに登って行く。
「野坂嶽大権現由来」(登山口の案内板)
かって、この地にやってきた平重盛が「みるたびに富士かとぞ思う野坂山いつも絶やさぬ峰の白雪」と、歌にも詠んだように昔からこの野坂山は「敦賀富士」とも称され、人々に親しみ崇められてきました。この山の頂上までの道を初めて開かれたのは、弘法大師だとも伝えられています。諸国を回っておられた弘法大師が越前の国この敦賀の地まで来られた時、西南の山に美しい紫色の雲がたなびき、まばゆいばかりの光が輝いている様子をご覧になり、「これこそ仏のおわす霊地なり」と光のさすほうめざして登られ、そこで小さな仏像を発見されました。
 以来、この野坂山は「嶽権現」を祀る山として、広く近在近郷に知られ、昔からこの山に登る人のあとが絶えなかったと言われています。<後略>
栃ノ木地蔵は豊かな水量の沢の横に石のお地蔵様が二体。傍らのトチの木に「この水は敦賀の名水です」と記された札がかかっている。冷たくておししい水をたっぷり頂いて、身体の火照りを冷やす。辺りにはヤマジノホトトギスがたくさん咲いている。
 じぐざぐ道が終わり尾根に出ると、テレビ塔からの道と合流してやや勾配が緩まる。右手に行者岩を見て、更に少し登ると展望が開け「一の岳」の標識がある小広場に着く。北に懐かしい西方ヶ岳、南にこれから登る野坂岳のピークが見え、眼下には敦賀市街と敦賀湾が手に取るようだ。海から涼しい風が吹き上げてくる。ここから、しばらく登って二ノ岳を通る。今まで降りてくる人に出会ったが、ここからは二人きりの山になった。この辺りはブナの大木が多く、風も通り涼しい。さらに三の岳を通り、最後の急坂を上り詰めると立派な避難小屋があり、そのすぐ上が野坂山頂だった。誰もいない広々とした空間が拡がっている。
台地上の山頂には、一等三角点と展望図がはめ込まれた円い石柱がある。頭上から容赦なく陽が降り注ぐが、吹き飛ばされそうな強い風で暑さはまったく感じない。北に西方ヶ岳、その右に敦賀湾と敦賀市街、東には加越国境の山が霞んでいる。南に赤坂、三国山方面、西には三方五湖と若狭湾と周囲の展望は遮るものがない。ゆっくり眺めを楽しんだが、あまりにも風が強いので昼食は少し先に延ばす。避難小屋の扉を開けて入ると野坂権現が祀られていて、よく手入れが行き届いたきれいな建物だった。敦賀山楽会のノートが備え付けられていて、見ると毎日のように登ってくる常連さんも多いようだ。
来た道を降り、二ノ岳で道脇に腰を下ろし昼食。ブナの大木が並び、涼しい風が吹き渡る。
 一ノ岳でもう一度、山頂を振り返ってから行者岩に登る。小さな祠が埋まる大岩の左側、ルンゼ状の急斜面にザイルが張ってあり、岩の上に登れるようになっている。
 栃ノ木地蔵で空になったペットボトルに敦賀の名水を入れる。登山口近くまで来たとき、単独の女性が登ってきて笑顔で「ご苦労様」と言ってくれた。午後からでも登れる、まさに市民の山にふさわしい山だ。遠来の私たちにも、惜しみなく展望と海風を分け与えてくれたことに感謝して車に帰った。(2003.8.7) 

【コースタイム】登山口(野坂山いこいの森)8:50…栃ノ木地蔵09:20~09:25…行者岩分岐9:55…一ノ岳10:05~10:15…二ノ岳10:37…三ノ岳10:48…野坂岳10:55~11:25…二ノ岳(昼食)11:40~11:55…一ノ岳12:20~12:25…行者岩12:35…栃ノ木地蔵13:00~13:10…登山口13:30


私の関西百山
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