01 伊吹山 (1377m)





長浜城址より(Feb.1975)

【いぶきやま】山頂は滋賀県米原市に属すが大きな山体は岐阜県関ヶ原町、揖斐川町にまたがっている。古代から強風を吹き降ろす山として知られ、「神の息吹(いぶき)」の山と名付けられた。古事記や日本書紀で日本武尊を死に至らせた荒ぶる神の住む山であり、「大乗峠」として修験道の聖地でもあった。また「かくとだにえやはいぶきのさしも草(艾)…」と百人一首に歌われたように薬草の多い山で、織田信長がポルトガル宣教師に薬草園を作らせた。山頂の草原地帯は高山性のお花畑でよく知られている。
<頂上からの大滑降>
何度か登ったが、夏季、高山植物を見るために、バスやマイカーで九合目まで行って頂上を目指すことが多い。 しかし最初に頂上に立ったのは厳冬期、しかもスキー登山だった。山を初めて間もない1961年2月。山好きな職場の先輩たちと前夜、山麓の民宿で泊り、リフトで4合目へ。シールを付けて八合目まで登り、当初はデポする予定だったがアイゼンに履き替えて、急斜面に息を切らせながら頂上へ。
 『測候所は一面エビノシッポで覆われて、まるでおとぎの国の城みたい。14~5mの西風は強いが、時々ガスが晴れた時の素晴らしい眺望に満足』していよいよ滑降。五合目までは斜滑降、キックターンの連続。ここから快晴となって長い斜滑降とボーゲンで滑り下る。数えられぬほど転倒したが楽しかった。
<夜間登山>
「興地志略」に『宵より麓を出で、暁この処(山頂)に至る』とあるように、夜間登山は江戸時代から行われていたようである。私が1970年代に勤めていた高校では毎年、山岳部主催で一般生徒対象の夜間伊吹登山の行事があった。1977年9月23日、近江長岡駅を22時50分に出発。登山口の神社境内で夜食を喰って、秋分の日の24日0時45分出発。『一合目のスキー場を過ぎると、ススキの原の急坂の登り。二合目で休憩。吹き降ろす夜風に汗ばんだ肌が心地よい(2時)。五合目から七合目までは町々の灯りを見下ろし、いい調子で登る(3時)。七合目を過ぎて、岩がゴロゴロしているところでは、ムカデの幼虫らしい奴がビッシリ岩には張り付いていて気味悪い。このころからガス。…』4時15分、ようやく小屋に入り、夜食の残りを食べ、ウィスキーを飲み、キルティングをかぶって時間ほど仮眠する。明け方の冷え込みで目を覚まし外へ出たが、濃いガスで殆ど視界ゼロ。6時過ぎ、下山開始。『三合目の広場で朝食をしていると快晴になって、山頂も青空にくっきりと浮かび上がっていた。』

<親切な山小屋>
2004年7月。町内と近郊の人で作っている山の会・17人で翌月の夏山(白馬岳)のトレーニングに行ったが、ゴンドラ駅前の駐車場に着くと、あいにく雨になった。三合目から雨具をつけて、雨に濡れた花を見ながら登る。『八合目からの岩のゴツゴツした急登になる頃から、霧も出てきて、まるで夕方のように暗くなってきた。…下りてくる人が、流れる雨水に足を滑らせて難渋している。』頂上に着き、日本武尊像の前でこれからの行動を思案していると『親切なメキシコ人の小屋アルバイトがいて、三角点まで案内して記念写真のシャッターを押してくれた上、高山植物の説明までしてくれた。
彼の働いている小屋主の奥さんも「気にしないで、空いたところを使って…」と言ってくれたので、ご好意に甘えて靴を脱いで上がり込んで弁当を使わせて貰う。おかげで雨に濡れず食事が出来たが、別に買い物を強制するわけでなく、実に気持ちのいい応対だった。』ゆっくり食事をさせて貰って、山頂の遊歩道を巡り終えるころ雨は止んだ。ガスの中を元の三合目に下る。下は強風でゴンドラは運転休止になっていたので、薄日に光る琵琶湖の湖面を見下ろしながら駐車場へ歩いた。

伊吹の名を冠した植物も多い。
これはイブキジャコウソウ

私の関西百山
inserted by FC2 system