2011年 イタリアの旅(1)


2011年12月8日 ミラノ MILANO  
 冬のイタリアの旅はミラノから始まった。
 昨夜は時差ボケでよく眠れず、早くから目覚めた。思ったより暖かい朝である。この時期には珍しく真っ青な空がホテル外壁に写っている。イタリアで泊まったホテルはどこも、建物の外観を始め部屋内部の設備、器具一つひとつのデザインも洗練されていて、さすがに長い芸術の歴史を持つ国だと感じた。
 8時過ぎ、専用バスでミラノ市内観光に向かう。古い芸術品のような美しい建築物の横をトラムが走っている。
 北イタリア最大の都市・ミラノは商業・金融の中心だが、ミラノ・コレクションで知られるようにファッション関連産業でも有名である。

スカラ広場の前でバスを下りる。今は市庁舎として使われているマリーノ宮が建ち、その前にはの4人の弟子を従えて「最後の晩餐」を製作中のレオナルド・ダ・ヴィンチの銅像がある。
 右手は「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリーナ」、広場の背後にはスカラ座がある。かってサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会があった場所に、1778年建てられたオペラの殿堂である。2004年、大改築されてミラノの代表的な劇場となり、スカラ広場の名前もこのスカラ座から来ていまる。昔、大阪ナンバ千日前にも同じ名前の映画館があったことを思い出した。

凱旋門のような形をした門は「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリーナ」の入り口で、スカラ広場とドゥーモ広場を結ぶ巨大なショッピング・アーケードである。
 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はイタリア統一戦争を終結させて初代国王の座に着いた人で、その名に因んでつけられた。
 ガラスと鉄骨のアーケードの下は、グッチなど高級ブランド品店を始め、書店からオートクチュール店まで、お洒落な4階建ての店が軒を連ねている。美しい幾何学模様の天井に覆われ、建物の壁面上部には四大陸を表すフレスコ画が描かれている。ガッレリーナの中心は左右のアーケードが十字形に交わっている。左側はプラダの本店、右手にはルイ・ヴィトンの店がある。

 足元の美しいモザイクはつい最近に修復が終わったばかりで、この楯の形をした牡牛のモザイク(隣りの州都トリノの紋章)も、この間まで股間の辺りに穴が開いていた。もともと、牡牛の急所のところは少しくぼんでいて、ここに靴の踵をあてて一回転する(3回転の説もあります)と幸福がもたらされるといわれ、大勢の人がクルクル回ったために、すり減って穴が開いてしまったそうだ。
 ガッレリーナを反対側に通り抜けたところはドゥオモ広場である。まだ朝陽の影が長いのだが、今日12月8日は「聖母マリア処女懐妊の祝日」。これから増える人出を見越した警備のため、パトカーが停まり、パトロールする警官の姿も見えた。現地在住の日本人女性ガイドから、ドゥオモの説明と雑踏で暗躍するスリなどの注意を聞いたあと、自由行動の時間になった。

集合場所がドゥオモの階段の上なので、先にスフォルツェスコ城へ歩く。両側に商店の並ぶダンテ通りを約15分。トラムの線路を渡ると騎乗のスフォルツァ公の銅像があり、その先の円形噴水の向こうに、中央に巨大な塔を持つスフォルツェスコ城の堅固な城壁が連なっている。
 この城は1450年、ミラノ公フランチェスコオ・スフォルツァが、かつてのヴィスコンティ家の城跡を改築して現在の姿の居城としたものである。
 建築にはレオナルド・ダ・ヴィンチも関わったといわれ、塔の入口をくぐると内部はミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」始め、数々の美術品が展示された市立美術館になっている。また城の背後には美しい大庭園があり、公園となっているが残念ながら時間がなく、ここから引き返した。

ドゥオーモ DUOMO
1386年から500年の歳月をかけて建設が続けられた世界最大のゴシック式建築である。空に向かって突き上げるように聳える尖塔の数は135本。その一つひとつの上に聖人の像が立っている。中でもでも中央にある塔の高さは108.5m。黄金のマリア像が燦然ときらめいている。
 入口には5枚の大きな扉があり、それぞれにミラノの歴史など異なった彫刻が見られる。長い行列に並んで入場すると、教会内部は美しいステンドグラスを通して柔らかい光が降り注いでいる。 静寂の中に敬虔なカトリック教徒の人たちがミサを捧げていた。両側の通路を含めて内陣から先は教区の信者以外は立ち入ることができない。数々の貴重な遺物や美術品があるが、異教徒の私たちにはその有難味がよく分からず「猫に小判」。
 神聖な空間、重い雰囲気から解放されて外の空気を吸うとほっとする。陽が高くなるにつれて参詣者が増え、広場に集まる鳩も多くなったようだった。

ヴェローナ VERONA
昼食後はナポリから離れること約160km、バスで約2時間半走ってワインの酔いも醒めた15時過ぎ、ヴェローナに着いた。
 ヴェローナは古く12世紀から都市国家として発展したところで、シェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台になった町。今は「高貴なる都市」と呼ばれ、中世の香りを残す町として世界遺産に登録されている。
 14世紀の中頃、デッラ・スカーラ家の住居兼要塞として20年かけて建築されたカステル・ヴェッキオの前でバスは右折して、カヴゥール大通りに入ったところに駐車した。ここから「ジュリエッタの家」に歩く途中には、2000年前の古代ローマ時代の遺跡があった。

人波を縫って「ジュリエットの家」に来る。通りからの入口は暗い煉瓦作りのアーチになっていて、モザイク状に埋め込またタイルには凄い数の落書きが残っている。中庭に入ると少しはましになったが、それでもスリが喜びそうな人混みである。みんなが見上げているのはこのバルコニー。
 シェークスピアの戯曲第二幕の「バルコニーのシーン」でのジュリエットのTwitt、「おおロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの」はあまりにも有名である。
 中庭の最奥には金色のジュリエットの像がある。彼女の乳房に触れると、「素晴らしい恋」が成就するという。
 雑踏を縫って、別の道をバスに帰る。

途中、エルベ広場を通る。
 エルべはイタリア語の「野菜」で、もとは野菜中心の市場だった。今は土産物、日用雑貨品など色んな露店がぎっしり並んで賑わっている。左手奥には高さ84mの「ランベルティの塔」が建っている。正面奥のバロック様式の建物は17世紀に建てられたマッフェイ宮殿である。
 アレーナ・ディ・ヴェローナというローマのコロッセオに似た円形の屋外闘技場の上に、満月に近いまん丸いお月様が登った。
 クリスマスシーズンで美しいイルミネーションが設けられているエルベ広場から、しばらく歩いて17時過ぎにバスに帰った。今夜の宿のあるヴェネツィア近郊のメストレまではヴェローナから約115キロ。2時間足らずで到着する。

2011年12月9日 ヴェネツィア VENEZIA
 ヴェネツィアは私たち古い人間にはべニスと言った方がなじみの深い町である。シェイクスピア「ベニスの商人」、トーマス・マン「ベニスに死す」の文学作品、映画ではキャサリン・ヘップバーンの「旅情」、そのテーマ曲「ベニスの夏の日」は今も耳に残っている。他にも「007」や「インディ・ジョーンズ」シリーズも一部ベニスが舞台だった。最近ではヴェニス映画祭でその名を耳にすることが多くなった。もともと海洋都市国家、14〜15世紀に貿易で栄えた「水の都」、今は街とそれを取り巻く潟全体が世界遺産になっている。
 そそくさと朝食を終えて、バスで50km離れたヴェネツィア本島のトロンケットへ向かう。船着き場からヴァポレット(水上バス)に乗り込む頃は、雲は多いもののまだ青空も覗いていた。船は航跡を曳きながらジュデッガ運河を本島中心部へ向かう。少し寒かったが、風の当たらない艫(とも)に出て移りゆく景色を楽しんだ。しかし、本島の中心部に向かう頃から、次第に雲行きが怪しくなってきた。
 大運河の入口・税関岬に立つサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を過ぎるとサン・マルコ教会が近づき、サン・ザッカーリア港に着き下船した。ゴンドラがたくさん繋がれた運河沿いにはヴェネツィアン・グラスの街燈が並んでいる。青いゴンドラとピンクの街灯のコントラストが美しい。対岸にサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会を見ながらサン・マルコ広場へ歩く。
 右手には新牢獄、ドゥカーレ宮殿と古い建物が続く。
 新牢獄は宮殿の一部で、その間には狭いサンズリアン運河があり、バリア橋が架かっている。
 橋上から
ため息橋が見える。白大理石製で覆いがあり、格子窓が付いている。ここから牢獄に曳かれる囚人たちが外を見て、シャバの見納めと溜息をついたといわれている。
サン・マルコ広場の入口には、2本の円柱が建っている。右の円柱の上には、ヴェネツィアの守護聖人・聖マルコ」の象徴「翼のある獅子像」が乗っている。左の円柱に立つのは聖マルコ以前の街の守護聖人・聖テオドロス像である。広場左には旧行政館、奥にはほぼ100mの高さのある大鐘楼がある。(広場側から撮ったので左右の説明が逆になっている)

18世紀、この地を占領したナポレオンは、この広場を「屋根のない宮殿」「世界で最も美しい広場」と讃えたという。正面に聖マルコ寺院を見て、右側はドゥカーレ宮殿である。ヴェネツィアが共和国だった時代の総督公邸で典型的な後期ゴシック建築である。中央の窓上部にはやはりヴェネツィアの象徴「翼のある獅子」が見える。左奥の茶色の建物は大鐘楼。

サン・マルコ寺院の前には長い行列ができていた。浸水の時の通路として長机が置いてある。ヴェネツィアは地盤沈下が進み、これから地球温暖化が拍車をかければ街全体が水没してしまう恐れもあるという。この日も高潮の時間がせまり心配だったが、幸い大したことはなかった。
 寺院は828年、聖マルコの遺体を祀るために、現在では寺院に隣接しているドゥカーレ宮殿の場所に建築された大聖堂である。聖マルコの遺体は、エジプトのアレキサンドリアから運ばれ(といえば格好いいが実際は盗まれた)ので、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルにあった聖使徒大聖堂に模して造られたと言われている。そのため当初ビザンチン様式の建築が、何度も改築された時代のゴシックやルネサンス、ロマネスク様式が加わって現在の形になった。幸い団体入口からあまり並ばずに内部に入れることにった。金色に彩られた祭壇の衝立を始め、天井画なども素晴らしいものでしたが、時間に追われ駆け足で通り抜けたのであまり印象に残っていない。

寺院を出ると北側にレオーニ小広場がある。ここには名の通り赤褐色大理石の一対のライオン像があり、狛犬のように対になっている。子供がまたがって記念写真を撮って貰っていた。後ろにはクリスマスの飾り物で馬小屋のマリア様とキリストが置かれていた。
 小広場の後ろには
ムーア人の時計塔が聳えている。15世紀終期の建築で、屋上に二人のムーア人のブロンズ像(自動人形)が立っていて、正午になるとときを告げる鐘を鳴らす。後でゴンドラを下りて再びサン・マルコ広場に入った時に、この鐘の音を聞くことができた。時計は24時間制だが黄道十二宮を表す12の星座が内側を飾っている。塔の上部には、ここにも「翼のある獅子」が見える。

ヴェネツィアングラス工房で製造方法を見学したあと、少し離れた乗り場からゴンドラに乗る。船体はすべて黒い色に統一されている。17世紀の法律で決められたものが、いまでも伝統になっているということである。一台のゴンドラに5〜6人づつ分乗したが、私たちの舟が先頭だった。舳先に赤い造花を付けていて、たくさんのゴンドラが往来する狭い水路を竹竿一本で見事に船を操っていく。ゴンドラの船頭さん・ゴンドリエーレの制服は、赤いストライプ模様のシャツに黒い上着である。カンツォーネを聞かせてくれることもあるようだが、私たちのゴンドリエーレさんは鼻歌混じりだった。水位が上がったのか橋の下が通れず、Uターンして頭を打ちそうな別の橋を潜る。ゴンドラのコースはその時の水面の高さによっても変わるので一定していない。時には家の壁すれすれに通り抜けたりした。途中から雨が降り出し、ゴンドリエーレも傘をさしている船もあった。

大運河に出て、ドゥカーロ宮殿前を通過、対岸に建つバロック様式の八角形のクーポラが特徴的なサンタ・マリア・デッラ・サルータ教会を見たりするうちに、サン・マルコ広場が近づいた。 再び狭い水路に入り元の船着き場へ帰る。乗船時間は約30分足らずだった。ムーア人の時計台が正午を告げるのを聞きながらサン・マルコ広場に帰った。
 ここで自由解散になったが雨が激しくなったので、、新行政館1階にあるカフェ・フローリアンに入る。創業1720年、イタリアいやヨーロッパで一番古い歴史を誇る老舗のカフェで、詩人・バイロンを始めディケンズ、プルーストなど多くの著名人も訪れている。また映画「旅情」の舞台にもなった店である。内装、外装すべて美術品のようで美しかった。
 集合時間になって店を出る頃、雨はやみ昼食を済ませてヴァポレットでトロンケットへ帰る。イタリアの旅2
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