2011年 イタリアの旅(1) |
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2011年12月8日 ミラノ MILANO |
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スカラ広場の前でバスを下りる。今は市庁舎として使われているマリーノ宮が建ち、その前にはの4人の弟子を従えて「最後の晩餐」を製作中のレオナルド・ダ・ヴィンチの銅像がある。 |
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凱旋門のような形をした門は「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリーナ」の入り口で、スカラ広場とドゥーモ広場を結ぶ巨大なショッピング・アーケードである。 |
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足元の美しいモザイクはつい最近に修復が終わったばかりで、この楯の形をした牡牛のモザイク(隣りの州都トリノの紋章)も、この間まで股間の辺りに穴が開いていた。もともと、牡牛の急所のところは少しくぼんでいて、ここに靴の踵をあてて一回転する(3回転の説もあります)と幸福がもたらされるといわれ、大勢の人がクルクル回ったために、すり減って穴が開いてしまったそうだ。 |
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集合場所がドゥオモの階段の上なので、先にスフォルツェスコ城へ歩く。両側に商店の並ぶダンテ通りを約15分。トラムの線路を渡ると騎乗のスフォルツァ公の銅像があり、その先の円形噴水の向こうに、中央に巨大な塔を持つスフォルツェスコ城の堅固な城壁が連なっている。 |
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ドゥオーモ DUOMO |
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ヴェローナ VERONA 昼食後はナポリから離れること約160km、バスで約2時間半走ってワインの酔いも醒めた15時過ぎ、ヴェローナに着いた。 ヴェローナは古く12世紀から都市国家として発展したところで、シェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台になった町。今は「高貴なる都市」と呼ばれ、中世の香りを残す町として世界遺産に登録されている。 14世紀の中頃、デッラ・スカーラ家の住居兼要塞として20年かけて建築されたカステル・ヴェッキオの前でバスは右折して、カヴゥール大通りに入ったところに駐車した。ここから「ジュリエッタの家」に歩く途中には、2000年前の古代ローマ時代の遺跡があった。 |
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人波を縫って「ジュリエットの家」に来る。通りからの入口は暗い煉瓦作りのアーチになっていて、モザイク状に埋め込またタイルには凄い数の落書きが残っている。中庭に入ると少しはましになったが、それでもスリが喜びそうな人混みである。みんなが見上げているのはこのバルコニー。 |
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途中、エルベ広場を通る。 エルべはイタリア語の「野菜」で、もとは野菜中心の市場だった。今は土産物、日用雑貨品など色んな露店がぎっしり並んで賑わっている。左手奥には高さ84mの「ランベルティの塔」が建っている。正面奥のバロック様式の建物は17世紀に建てられたマッフェイ宮殿である。 アレーナ・ディ・ヴェローナというローマのコロッセオに似た円形の屋外闘技場の上に、満月に近いまん丸いお月様が登った。 クリスマスシーズンで美しいイルミネーションが設けられているエルベ広場から、しばらく歩いて17時過ぎにバスに帰った。今夜の宿のあるヴェネツィア近郊のメストレまではヴェローナから約115キロ。2時間足らずで到着する。 |
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2011年12月9日 ヴェネツィア VENEZIA ヴェネツィアは私たち古い人間にはべニスと言った方がなじみの深い町である。シェイクスピア「ベニスの商人」、トーマス・マン「ベニスに死す」の文学作品、映画ではキャサリン・ヘップバーンの「旅情」、そのテーマ曲「ベニスの夏の日」は今も耳に残っている。他にも「007」や「インディ・ジョーンズ」シリーズも一部ベニスが舞台だった。最近ではヴェニス映画祭でその名を耳にすることが多くなった。もともと海洋都市国家、14〜15世紀に貿易で栄えた「水の都」、今は街とそれを取り巻く潟全体が世界遺産になっている。 |
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そそくさと朝食を終えて、バスで50km離れたヴェネツィア本島のトロンケットへ向かう。船着き場からヴァポレット(水上バス)に乗り込む頃は、雲は多いもののまだ青空も覗いていた。船は航跡を曳きながらジュデッガ運河を本島中心部へ向かう。少し寒かったが、風の当たらない艫(とも)に出て移りゆく景色を楽しんだ。しかし、本島の中心部に向かう頃から、次第に雲行きが怪しくなってきた。 大運河の入口・税関岬に立つサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を過ぎるとサン・マルコ教会が近づき、サン・ザッカーリア港に着き下船した。ゴンドラがたくさん繋がれた運河沿いにはヴェネツィアン・グラスの街燈が並んでいる。青いゴンドラとピンクの街灯のコントラストが美しい。対岸にサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会を見ながらサン・マルコ広場へ歩く。 |
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右手には新牢獄、ドゥカーレ宮殿と古い建物が続く。 新牢獄は宮殿の一部で、その間には狭いサンズリアン運河があり、バリア橋が架かっている。 橋上からため息橋が見える。白大理石製で覆いがあり、格子窓が付いている。ここから牢獄に曳かれる囚人たちが外を見て、シャバの見納めと溜息をついたといわれている。 |
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サン・マルコ広場の入口には、2本の円柱が建っている。右の円柱の上には、ヴェネツィアの守護聖人・聖マルコ」の象徴「翼のある獅子像」が乗っている。左の円柱に立つのは聖マルコ以前の街の守護聖人・聖テオドロス像である。広場左には旧行政館、奥にはほぼ100mの高さのある大鐘楼がある。(広場側から撮ったので左右の説明が逆になっている) |
18世紀、この地を占領したナポレオンは、この広場を「屋根のない宮殿」「世界で最も美しい広場」と讃えたという。正面に聖マルコ寺院を見て、右側はドゥカーレ宮殿である。ヴェネツィアが共和国だった時代の総督公邸で典型的な後期ゴシック建築である。中央の窓上部にはやはりヴェネツィアの象徴「翼のある獅子」が見える。左奥の茶色の建物は大鐘楼。 |
サン・マルコ寺院の前には長い行列ができていた。浸水の時の通路として長机が置いてある。ヴェネツィアは地盤沈下が進み、これから地球温暖化が拍車をかければ街全体が水没してしまう恐れもあるという。この日も高潮の時間がせまり心配だったが、幸い大したことはなかった。 |
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寺院を出ると北側にレオーニ小広場がある。ここには名の通り赤褐色大理石の一対のライオン像があり、狛犬のように対になっている。子供がまたがって記念写真を撮って貰っていた。後ろにはクリスマスの飾り物で馬小屋のマリア様とキリストが置かれていた。 小広場の後ろにはムーア人の時計塔が聳えている。15世紀終期の建築で、屋上に二人のムーア人のブロンズ像(自動人形)が立っていて、正午になるとときを告げる鐘を鳴らす。後でゴンドラを下りて再びサン・マルコ広場に入った時に、この鐘の音を聞くことができた。時計は24時間制だが黄道十二宮を表す12の星座が内側を飾っている。塔の上部には、ここにも「翼のある獅子」が見える。 |
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ヴェネツィアングラス工房で製造方法を見学したあと、少し離れた乗り場からゴンドラに乗る。船体はすべて黒い色に統一されている。17世紀の法律で決められたものが、いまでも伝統になっているということである。一台のゴンドラに5〜6人づつ分乗したが、私たちの舟が先頭だった。舳先に赤い造花を付けていて、たくさんのゴンドラが往来する狭い水路を竹竿一本で見事に船を操っていく。ゴンドラの船頭さん・ゴンドリエーレの制服は、赤いストライプ模様のシャツに黒い上着である。カンツォーネを聞かせてくれることもあるようだが、私たちのゴンドリエーレさんは鼻歌混じりだった。水位が上がったのか橋の下が通れず、Uターンして頭を打ちそうな別の橋を潜る。ゴンドラのコースはその時の水面の高さによっても変わるので一定していない。時には家の壁すれすれに通り抜けたりした。途中から雨が降り出し、ゴンドリエーレも傘をさしている船もあった。 |
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大運河に出て、ドゥカーロ宮殿前を通過、対岸に建つバロック様式の八角形のクーポラが特徴的なサンタ・マリア・デッラ・サルータ教会を見たりするうちに、サン・マルコ広場が近づいた。 再び狭い水路に入り元の船着き場へ帰る。乗船時間は約30分足らずだった。ムーア人の時計台が正午を告げるのを聞きながらサン・マルコ広場に帰った。 |
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イタリアの旅2 ペンギン22・海外の旅 | ペンギン夫婦お山歩日記 |