2011年 イタリアの旅(2)


2011年12月10日  フィレンツェ FIRENZE
トスカーナ地方の中心・フィレンツェは、古代ローマ時代に花の女神・フローラの町「Florentia」と名付けられ、英語名Florenceにその名残が見られる「花の都」である。15世紀にメディチ家の庇護のもとにルネサンスの中心地となった「芸術の都」であり、町自体が「天井のない美術館」と言われるほど美しいところである。
 昨夜はヴェネツィアから約245km離れたカレンツァーノのホテルで泊まった。一番再訪を楽しみにしていて、和子にもゆっくり見て貰いたかったフィレンツェの町だったが、無情にも今日は朝から冷たい雨が降っている。駐車場から傘をさして石畳の道を中心部へ向かう。

最初に出会うのは サンタ・クローツェ聖堂 Basilica Di S.Clroce である。フィレンツェの数ある建築物の中でもゴシック建築の最高傑作とされ、ガリレオ、ミケランジェロ、ロッシーニなど多くの有名人が埋葬されている。 蛇足だが、サンタ・クローツェとは「サンタ・クロースのお爺さん」のことではなく「聖なる十字架」のことで、「聖なる十字架の発見」はこの教会の中央礼拝堂のフレスコ画になっている。<Sillabe社の日本語版ガイドブックによる>。
 見所の多いところなのだが素通りして、ウフィッツイ美術館の予約入館時間までの間、「皮製品店でショッピングタイム」。この先の通りは昔から革職人が多く住んでいたところらいく、工房や革製品店が並んでいる。
シニョリーア広場 Piazz Deiia Signoria に入る。 古くローマ時代からフォルム(市広場)として栄え、周囲に市場、公衆浴場、劇場などがあったことが発掘調査で分かっている。中世(13〜14世紀)にフィレンツェが自治都市だった時代はもとより、今も重要な市の政治中心地である。
 左の人物像が立っているところがヴェッキオ宮殿(現在の市役所)、その右・白い4階建ての建物がウフィッツイ美術館、更に右のアーチ型の回廊はロッジア・ディ・ランツィ。
ロッジア・ディ・ランツィは広場南側にあるアーケイド形のロッジア(回廊)。大きなアーチ型が特徴で、14世紀終期には市民の集会所だった。今は美術品の残る屋外ギャラリーになっている。左のブロンズ像は「B.チェッリーニ作・メデューサの頭を掲げるペルセウス」。メデューサの首から血が滴っているところなど描写が細かい! 右端はジャン・ブローニュ作の「サビニの女たちの略奪」。その隣は同じ作者の「ケンタウロス・ネッソスを打つヘラクレス」。いずれも白大理石製である。前のライオン君もなかなかいい。
ヴェッキオ宮殿 Palazzo Vecchio
「ヴェッキオ」とは「古い」の意味で、14世紀に建設され15世紀にはシニョリーア宮殿だったが、1565年に宮廷が移ってから、こう呼ばれるようになった。1865年から5年間、フィレンツェがイタリアの首都だったときは国会として使われた。
砂岩粗石積みの要塞のような作りで、鐘楼は94mの高さがある。
宮殿正面にはミケランジェロの「ダビデ像」のレプリカが立っている。
 広場反対側には大理石とブロンズでできたネプチューンの噴水がある。

予約時間の10時15分まで長い行列に並んで、ウフィッツイ美術館に入場した。入口では厳重な手荷物検査が行われる。まず4階まで登って、そこから順に3階2階と約1時間、メディチ家の残した膨大な歴史的美術品を鑑賞して回る。
 このボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を始め、ミケランジェロ、ラファエルなどの有名な絵画展示されている。残念ながら館内は全て撮影禁止。写真はネット上のフリー画材から借用した。唯一、外の景色が撮れたのが窓からの風景…ヴェッキオ橋である。

ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio
アルノ川に架かる三つのアーチ型の上下二層になった橋である。洪水に流された古い橋を14世紀に再建したものでフィレンツェで一番古いもの。橋の上には金細工店が並び、二階部分は「ヴァザーリの回廊」として、かってはヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿の間の通路となっていた。今はテラスからアルノ川の景色を眺めることができる。
 ウッフィッツイ美術館の見学を終え、1階の売店でガイドブックなどを買って外に出ると、雨は止み薄日が射していた。
シニョリーア広場の北西隅から通りを北へ歩く。頭上にクリスマスらしい街灯が並ぶ濡れた石畳の道を急ぎ足で10分ほどいくとサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 Basilica di S.Maria Del Flore にくる。
 これは少し離れた西側から見た全景で、左からサン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモDuomo(大聖堂)、鐘楼。この三つの建築物の総称が大聖堂である。
 サン・ジョヴァンニ洗礼堂は八角形をした11世紀に造られたフィレンツェ最古の建物の一つで、ダンテなど多くの有名人もここで洗礼を受けた。東の扉はレプリカだが、改装されたばかりで黄金色に輝いている。扉はミケランジェロが「天国の扉」と絶賛したことで有名で、10枚のパネルに新約聖書の物語が浮き彫りされている。
 巨大な柱状の建物が鐘楼で、作者の名前を採って「ジョットの鐘楼」Campaniele di Giotto という。ゴシック様式で高さ84.7mある。
大聖堂は1296年から140年以上かけて建築された。石(大理石)積建築のドームとしては世界最大で、クーポラ(丸い天蓋91mある)とランターン(採光部)は初期ルネサンス、ファサードはネオゴシックによる混成形式である。
 写真はドゥオモ「花の聖母教会」のネオ・ゴシック式ファサード(正面の装飾)
 記念写真を撮った後、昼食。その後、自由行動になってサンタ・マリア・ノヴェッラ駅(中央駅)近くのオベリスクが目印の集合地点まで歩き、途中の中央市場でお土産のお菓子やパスタを買う。
また雨が降り出した。中央駅裏側に駐車していたバスに帰ってピサへ向かう。

ピサ PISA
フィレンツェから約1時間、113km離れたピサへ移動した。シャトル・バスに乗り換えて5分ほど走るとドゥオモ広場の外壁が見えてくる。雨上がりの濡れた舗道を歩いてドゥオモ広場に入る。

ピサの大聖堂(ドゥオモ)Duomo di Pisa
緑の芝生の向こうに美しい大理石の建物が並んでいる。前にきたときの第一印象は「ピサの斜塔は大阪通天閣のように独立した塔でなく、薬師寺や法隆寺の塔のように寺院の一部なんだ」という、ごく当たり前のことだった。左から墓所(カンポサント) 、大聖堂、鐘楼(ピサの斜塔)。
大聖堂(ドゥオモ)は1063年に都市国家であったピサが、パレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念して建築を始めたといわれている。全体としてロマネスク様式だが、数百年にわたる改修でイスラム、ビザンチンなど様々な建築様式が混在している。
 内部に入ると、ずらりと並ぶ円柱はパルレモの古代遺跡から戦利品として運ばれたものが多いと言われる。正面の聖壇や、その手前の巨大なブロンズ製の燭台に目を引かれる。説教壇は14世紀に造られたゴシック様式で、周囲の素晴らしい彫刻が見ものである。

ピサの斜塔 La torre di Pisa 実は大聖堂の鐘楼である。ついでだが、斜塔だけでなく「ピサのドゥオモ広場」全体が世界遺産に登録されている。
 斜塔は1173年着工。3階まで造られた段階で地盤沈下のために傾き始め工事が中断、その後も傾きを修正しながら現在の姿になった。斜塔の高さは予定よりも低くなり、地上55m。現在の傾斜角は5.5度で傾斜の進行は止まっているそうだ。
 今回は時間がなくて登れなかったが、前回(1979年、これも夕方)は屋上に登って絶景を楽しむことができた。297段の螺旋階段は身体を傾けながら登る感じで、途中の窓から外を覗くと地面が傾いて見えたのが面白かった。日没寸前で、塔の屋上からはモンタ・カラーダ(大理石の山)が名前の通り、夕映えでピンク色に輝いていたことを懐かしく思い出す。
 再び降りだした雨の中、またシャトル、貸切バスと乗りついで連泊のホテルのあるフィレンツェへ帰る。

ミケランジェロ広場 Piazzale Michelangelo
アルノ川沿いの小高い丘の上の展望台は夕暮れから夜景にかけての展望を見るのに絶好の場所で、またロマンチックなデートスポットでもある。広場の中心にはミケランジェロのダビデ像が立っている。
 広場の端っこにあるレストランで、美しい夜景とキャンドルの灯りとともに夕食。この日は私たち夫婦のン回目の結婚記念日だった。この旅行で仲良くなった二組のご夫婦も一緒にワインで祝って下さった。ホテルに帰るバスの窓から見る町は、クリスマスのデコレーションが美しく輝いていた。

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