サガルマータ展望トレッキング(2)

ナムチェより(左端・タウチェ、サガルマータ、ローツェ(雲が懸かっている)、アマダブラム)

豪華な山岳展望  第4日(11月19日・金)ナムチェ〜ディンボチェ

目を覚ますと窓から見えるクァンデ・リがバラ色に輝いている。今日も快晴。ミンがチェック・ポストでトレッキングの手続きをしてくれている間に、ラデュの案内で国立公園・ミュウジュアム前の広場から山岳展望を楽しむ。もう一度サガルマータを始め山々を見た後、新しいもう一つの博物館の横を通り、水平道にでる。紅葉したレッサム(棘のある低木。フォークソング「レッサム・ピリリ」の歌詞に「棘がピリリ、飛んでいくか、棘で止まるか…」)のブッシュが並んでいる。リンドウの仲間の小さい紫色の花も咲いている。
右手に一昨日渡ってきたドゥードゥ・コシの吊り橋を見おろしながら、のんびりと辿っていく。正面にサガルマータ、その右にローツェ、タムセルク、カンテガ。アマダブラムが次第に右に傾いていくように見える。頭上近くワシが二羽、三羽舞っている。ネパールでは馬肉は食べないので、馬の死骸を狙っているのかも知れないそうだ。
キャンヅマ近くのシャクナゲ樹林の中で、ネパールの国鳥・ダフェの鳴き声を聞き、そっと近づいて写真に納める。キジに似た鳥だが残念ながら今の時期は色が悪いそうだ。
道の両側にチベッタンの土産物屋があるサナサから急坂を下り、対向のヤクやゾッキョを待って吊り橋を渡るとプンキタンガである。ついでながらゾッキョは高所では行動できず、逆にヤクはナムチェより下は苦手という。総体にヤクの方が角が大きく毛が長く、性格も荒い。 昼食後、プンキタンガからまた標高差600mの登り。モミなどの樹林帯の急登は30分ほどで終わり、尾根の山腹を1時間ほど行くと慰霊碑の並ぶ峠に出た。正面にカンテガが大きい。
ここから間もなく山門を潜り、タンボチェのゴンパ(僧院)前に出る。この僧院は10年ほど前焼失し(漏電で!)93年に再建されたものである。
 この台地でティータイムの後、正面にサガルマータ、ヌプチェを見ながらシャクナゲ林をどんどん下る。せっかく登ったのに「なんでこんなにサガルマータ」とぼやくうち、今夜の泊まり場・デボチェに着く。
ここは尼僧の村だそうだが林の中の静かな所である。ロッジの主人が僧服なので聞くと、タンボチェの医務僧で10年程前日本へも招かれたことがあると英語で語ってくれた。新幹線で大阪へも行ったそうだ。

【コースタイム】ナムチェ8:30…プンキタンガ11:45〜12:45…タンボチェ13:50…デボチェ14:30

U字谷に吹く風  第5日(11月20日・土)デボチェ〜ペリチェ
タンボチェを過ぎるとトレッカーの姿が少なくなり、特に日本人ツァー客は全くといっていい程見かけなくなった。イムジャ・コーラに架かる釣り橋を渡り、山腹の岩道を行き、チョルテン(仏塔)を過ぎてカンニ(仏塔門)を潜るとパンボチェである。 このパンボチェは上下二つの村に分かれている。上村のゴンパにはイェティ(雪男)の頭皮があったが、199年、何者かに盗まれてしまったそうだ。ここがいわゆる「エベレスト街道最奥の村」で、これから先で村のように見えるのはカルカ(夏期の放牧地)である。
パンボチェを過ぎ、マニ石やメンダンの並ぶ道を行く。やがてイムジャ・コーラを見下しながら緩く登る。ニンマ派開祖の肖像が書かれた岩があった。やがて前方にショマレ・カルカが現れた。ここで昼食。 午後は山腹を登って峠に立つ。アマダブラムがすぐ近くなり、双耳峰がここでは一つに見える。クワンデ・リはすでに小さくなった。
ローツェとヌプツェの大岸壁、イエローバンドを眺めながら高原状の大地を行く。左手は久住山の「賽の河原」を更に凄くしたような荒れた山肌である。 広い河原沿いにいくつかロッジが見える。なだらかな下りで標高4243mのペリチェに着く。
夕方になるとストーブに火が入った。燃料はヤクの糞を乾燥したものである。これを素手で放り込む。臭いもせずよく燃えて暖かい。ここはU字谷のど真ん中で風の通り道であり、夜中からの風の音の凄さには石造の小屋も吹き飛ぶかと驚かされた。
【コースタイム】デボチェ8:30…ショマレ11:00〜12:00…プンキタンガ13:15〜13:45…ペリチェ15:50

高山病との闘い 第6日(11月21日・日)ペリチェ  

快晴。高度順応日であるが、朝から二人とも軽い頭痛に悩まされる。すでにパクディン辺りから鼻水が止まらず風邪かと思っていたが、いよいよ高度の影響が出始めた。体を動かすのも億劫で、食欲もあまりない。
9時頃からロッジの正面のピークに向け、のろのろと登り出し、チョルテンの立つ乗越に出た。右にディンボチェに下る道が見えるが私たちは、左へ稜線をさらに登る。 左に見える円丘が推定標高4,600mの最高到達点である。イムジャ・コーラの流れとディンボチェ・カルカを見下しながら一歩一歩登る。
最高点に着いた。背後の魁偉な岩峰はTaweche(タウチェ・6501m)Cholatse(チョラツェ・6440m)である。語尾に付くcheとtseが紛らわしいが、チェは昔の高僧チェ・リンボチェに由来するらしく、ツェはチベット語で「峰」の意味である。 イムジャ・コーラの谷奥にアイランド・ピーク(6160m)が見える(写真左端の山)現地名はイムジャツェである。ヌプツェの大イエローバンドが近く、初めてマカルー(8463m)も見えた。
午後は日当たりの良い小屋の土壁にもたれて、ミンとラデュからフォークソング「レッサン・ピリリ」を教わり、お返しに「雪山賛歌」を教えて過ごす。ここから荷物が少なくなったのでポーターを二人帰した。
 高山の影響のうち、今のところ一番大きいのは脱力感である。例えばシュラフをケースに押し込むのに力が入らず、時間がかかる。次に顔の「むくみ」。これは4人とも多少の差はあれ現れている。二人とも頭痛はやや収まり、吐き気やめまいなどはなく、睡眠も普通にできる。あとは食欲が減退したことか。これは高所に来て食材が不足してきたことも関係するだろう。旨いものが目の前にあれば手が出るかも知れない。(この夜、キツネウドンを喰っている夢を見た)。夜遅く外に出ると満月に近い月が皓々と輝き、その明るさは日本ではとても経験できないものだった。

二人の老人  第7日(11月22日・月)ペリチェ〜ロブチェ     

晴。今日は「いい夫婦の日」、そして、私の65歳の誕生日である。ここまでICレコーダを使って記録し、夜、整理することを続けてきたが、高山病がひどくなったこれから三、四日間の記録は正確さを欠くかも知れない。
ともあれ8時前、ペリチェを出た。しばらく平坦な河原の砂地をロブチェ東峰(6119m)を仰ぎながら行く。少し雲が出てきた。トゥクラのバッテイで朝のお茶。ここで前回「アンナプルナ・トレッキング」の時のキッチンボーイ・ダネイ君と再会した。笑顔がとても素晴らしい青年である。 外の椅子に座り、マニ車を回しながらぶつぶつ念仏を唱えている老人がいる。英語が話せるようなので年を聞くと、何と64歳だという。が、どう見ても80歳近く見える。
「それなら私と同い年だ。ただし、私は今日が64歳の最後だがね」というと「あんたが兄貴だ。しかし若く見えるね」といって握手してくれた。後で聞くとミンの父親は50歳代後半だが、とても山など歩けないそうだ。過酷な生活が老いを早めるのだろうか。しかし、実はこの時私も「高山ぼけ」のせいか、てっきり今日が21日だと思いこんでいたのだ。ひとのことを言えたものではない。
ここからは標高差約300m、ジグザグの急坂の登りだが、この間のことは殆ど覚えていない。辛かったようでもあり、それほどでもなかったような気もする。フラフラ登って乗越に出るとチョルテンやケルンがたくさん立っていた。エベレストで遭難した人たち慰霊碑である。ここはクーンブ氷河のモレーンの上という。振り返るとタムセルクやアマダブラムが並んでいる。
サイドモレーンのがらがら道を下り、チョラチェから来る道と合流する。荒涼とした風景の中をロブチェに向かう。プモリ(7165m)、リンテルン(6749m)、クームツツェ(6665m)が並んで出迎えてくれる。
ロブチェに着いた。標高4940m。ここが初めての若いポーター(15)も高山病に罹りフラフラになった。小屋は超満員で寝場所の確保を巡ってトラブルまであり、人ごとながら嫌な思いをした。ユーフラッツがせっかくバーズディ・ケーキを焼いてくれたのに、一日早いと思っていたので、ろくに礼も言わず悪いことをした。
【コースタイム】ペリチェ7:45…トゥクラ9:30〜10:50…ロブチェ13:00

カラスの墓場  第8日(11月23日・火)ロブチェ〜ゴラクシェプ

晴。朝夕は流石に冷えるが、想像したほどではなく我慢できる。行動中は、風がなければ日差しが強いので汗ばむほどになる。8時発。最終泊地のゴラクシェプに向けて荒れ果てたクーンブ氷河のアブレーション・バレー(側谷)に沿って行く。
プモリ(7161m) を見上げながらのサイドモレーンの登りは標高差100mの筈なのに、とても苦しかった。やっと丘の上に出て、ガラガラの道を下ってゴラクシェプに着いたときは、岩本、石本より1時間近く遅れていた。高山病を自覚するほどになり、身体がフラフラする。 しかし、しばらく休んで目前に見えるカラパタールの途中まで高度順応に向かう。最初は広く荒れた砂地を行き、山腹の急な道に取り付く。ガラガラの岩屑の道で歩きにくい。横の斜面には、大きな霜柱がエビノシッポ状に地面から突き上げていた。
見下ろすと右手にクーンブ氷河が青白く光っている。エベレストBCへの道が続き、小さい凍結した氷河湖も見える。標高差推定100m程登ったところで引き返した。 ゴラクシェプは全く緑の見あたらない、荒涼とした感じの所である。地名の意味は「カラスの墓場」で、一時期、そういう渾名もあった私には縁起が悪いところだ。ロッジの前にはこ奴らが沢山舞っていた。明日は果たして登れるのだろうか?
【コースタイム】ロブチェ8:30…ゴラクシェプ13:00

ペンギン・ホームページへ             カラパタールの蒼い空(3)へ
inserted by FC2 system