カラパタールにて(背後正面サガルマータ、右はヌプチェ)
手の届く近さに見えている頂上が限りなく遠い。鉛の塊を付けられたように重い足を引きずり、何歩か登る。立ち止まり、薄い空気を精一杯、肺に送り込む。再びのろのろと足を運ぶ。
 急に目の前が開けた。濃紺の空の下、神々が住まうという白銀の嶺が私たちをぐるりと取り囲んでいる。ケルンに結ばれた五色のタルチョー(祈願旗)がバタバタとはためく。とうとう、辿り着いたのだ。長い間の夢であった5545m、カラパタール頂上に!


「世界最高峰をこの目で見たい」…若い頃からの二人の願いだった。リタイヤ後は時間の余裕はできたが、体力的な衰えが日ごとに加わっていく。95年秋・スイスアルプス、97年春・アンナプルナ展望、98 年夏・カナディアン・ロッキーと海外トレッキングは経験しているが、今回は到達高度、所要日数からも今までのようにはいくまい。躊躇する自分にプレッシャーをかける意味もあり、98年秋にY高校山岳部OB会で思いを明かした。ところが思いがけず石本、岩本両君が同行してくれることになり、この心強いサポートも後押しして、いよいよ夢が現実のものになった。



【メンバー】芳村嘉一郎、芳村和子、石本博敏、岩本幸子
サーダー Min Bahadur 、シェルパ Radu Nang、コックYuflats  キッチンボーイMohan Thapa、Ram Kmur、Mak Bahedur 、他にポーター4人 。サーダーのミン君、コックのユーフラッツ君は97年の時のメンバーである。



トレッキングの始まり 第1日(11月16日・火)ルクラ〜パクディン

トリブヴァン空港(カトマンドゥ)で搭乗手続きを終え、朝食の弁当を食べている間に出発時間となり、慌てて16人乗りの小型機に乗り込む。山のよく見える左側(1列)の席は確保できたが、雲の上に連なるヒマールはどれがどれやら見分けがつかなかった。

40分ほどの飛行でルクラへ。山あいの飛行場は、話に聞いていたとおり猫の額ほどの空き地だが、着陸にそれほど恐怖感はなかった。懐かしいミン君が迎えに来ていて、すぐ横にあるロッジに案内される。
出発準備をする間、飛行場上の広場で各国のトレッカーに混じって、次々と発着する飛行機を見る。ゾッキョ(ヤクとウシの合いの子)の背に荷物を積み込んでいるパーティもある。私たちの荷物は4人のポーターの背で運ばれていく。
昼食後、いよいよ出発。正面にコォンデ・リを見ながら行く道はずっと下り気味で、帰り道が思いやられる。タドコシの手前で、去年6月に雪崩で道が崩壊したところを迂回する。巨大な岩石や樹木が谷を埋めんばかりで、自然の恐ろしさを思い知らされる。 タドコシのバッティで休むと、雲の上にクスムカングール東峰(5577m)が見える。石本が「あの高さまで登るんだ」という。
 ガットの集落には、
大きなマニ車を納めた祠経文が彩色された大きな石があった。
こういう聖なる場所では必ず左側を通らなければならない。だから下に見える大きな経文石には両側に道が付けられている。 平坦な道から吊り橋を渡ってパグディンへ。新築のきれいなロッジに入る。(Yuflatsと)
【コースタイム】ルクラ8:00〜10:45…タドコシ12:45…パクディン14:30

シェルパのふるさと    第2日(11月17日・水)パクディン〜ナムチェ



松や杉の樹林帯の中、ドゥード・コシを右に見下ろしながら歩く。「ミルクの川」の名の通り、乳白色に濁っている。モンジョの学校へ通う子供たちと前後する。左の岸壁に何百メートルもの大きな滝がかかっている。ミンに名を聞くと「ジャルナー(滝)」という。知らないのでなく名がないのだ。小さな尾根を越えベンカールへ。タムセルク西峰が見える。日本人ツァー一行が写真を撮りまくり、添乗員から「今からそんなならフィルムが何本あっても足りませんよ」と言われている。村の中央の大きなマニ石を前景に
タムセルク(6623m)が姿を見せる。
樹林帯を出ると正面にクーンビラ(5761m)を仰ぐ。この山はシェルパ族の聖なる山で、お正月には山麓のクムジュンに集まってお祈りを捧げるという。 欄干にタルタア(経文を刷り込んだ白い布旗)のはためく長い吊り橋で支流を渡り、モンジョへ。村の中央に鯉のぼりが立つ学校とゴンパがある。
村はずれには銃を持った兵隊が立つチェックポイント。一人はマシンガンまで持っているが、審査は簡単に終わる。そういえば今回はトレッキングパーミッションも不要になったが、西遊旅行のラクパ氏によると、政府が変わり旅行者への対処も変わったそうだ。(その代わりビザ代が値上げされている)。大きな岸壁に滝のかかった所を下り、ジョサレからはドウドウー・コシの左岸河原を行く。
吊り橋を渡り、いよいよナムチェへの標高差600mの登り。1時間程、急坂を登ったところで初めて木の間からサガルマータが見えた。まだ遠く小さいが、やはり感激する。あとは真っ白なクォンデ・リ(6011m)を見ながら、山腹の捲き道を登っていく。
ゆっくりのペースだが、覚悟していたよりも簡単にナムチェに到達できた。
村の入り口で、おとなしいゾッキョ君が出迎えてくれた。
シェルパの故郷・ナムチェは南西以外を山に囲まれた擂り鉢状の地形である。その山腹にロッジ、レストラン、登山用具店、土産物屋など約1000の民家がひしめいている。土曜日バザールの立つ商店街の端から中央部に進み、そこから村の中を石段を登ってロッジに着くまで、結構長くかかった。
【コースタイム】パクディン7:30…ジョサレ10:45〜11:45…ナムチェ15:00

エベレスト・ビュー・ホテル    第3日(11月18日・木)
快晴。高度順応のためエベレスト・ビュー・ホテルへ登る。村の中の急坂を登り、タンボチェへの道と分かれて直登する。クムジュンにある学校へいく子供たちが何人も追い越していく。標高差350mの急坂を毎日だから大変だ。足も強くなるだろう。1時間ほどで尾根に出て、後は気持ちの良いアルプ状の所になる。途中、新しいシャンボチェ・ビュー・ホテルがある。すでに高度は3885mで富士山の高さを超えている。 南にヌプラ(5885m)、その右にクォンデ・リ、北にクンビラ、東にタムセルク(6623m)とぐるり山に囲まれている。タムセルクの左肩に見えるのはカンテガ(6685m)、クスム・カングール(6367)も白い。腰を下ろし、われわれだけで独占のこの景色を堪能した後、ゆっくりとホテルに向かう。
エベレスト・ビュー・ホテルは、この地に魅せられた日本人が造った高級ホテルである。裏のテラスに出ると、眼下は大きな岩がちりばめられた自然の庭園で、遠くタンボチェの僧院が見える。 その上にサガルマータ(エベレスト8846m)、ローツェ(8516m)、アマダブラム(6812m)、カンテガ、タムセルク…と続く白銀の山々。世界最高の眺めにコーヒーの味もひときわ旨かった。
シャンポチェ経由で下る。シャンボチェには飛行場があるが、そこをゾッキョが歩いているという長閑さである。水がないのでナムチェから運び揚げているという。大きな岩がごろごろした庭園風の所を下ってナムチェへ下る。 午後はバザールで買い物をした。登山用品などもすべてここで揃えられる。上部での寒さに備えて、ヤクの毛で編んだ帽子(RS.190)を買った。
村の真ん中辺りに水場があり、そこから流れる水が五つ並んだマニチェルン(赤い屋根の建物)を通って、水車でマニ車を回している。信心深いのか、手抜きをしているのか、理解に迷う。その横の広場ではチベットから来た商人がテントを張って、主に中国製の衣料品を売っている。 その中に丸い皮袋状で細い紐がついているものが混じっている。「ヨ・ケ・ホ?(これ何ヤ)」と聞いてみると、手真似で「ウシ(ヤク?)の内蔵、くすりヤ」といって、「ナンボで買うか?」と聞く。これから山に行くからと、お断りしたが驚いた。夜になると各家に灯が点る。ナムチェはこのクーンブ地方で最初に電気が来たところで、その夜景の美しいことは格別である。
【コースタイム】ロッジ8:00…エベレスト・ビュー・ホテル10:00〜10:45…シャンボチェ11:30…  ロッジ12:30


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