宿願のゴーキョ・ピーク

(2)




サイド・モレーン帯よりゴーキョ・ピーク(右奥)を仰ぐ


雪男の頭皮とダフェ  第4日(11月11日・火)ナムチェ〜キャンヅマ

夜中に小用に起きると目の前に大きなヤクがいて驚いた。ナムチェから上は高所に強いヤクがゾッキョに変わって荷を運んでくれる。昨日、竈の廻りに肉が吊り下げて薫製にされているのを見たが、骨から糞まで捨てるところがないという貴重な動物だ。朝の気温マイナス5℃。出発前、サーダーが稜線の岩の上にタール(ゴラールとも。たてがみカモシカ)が4頭いるという。Kさんに双眼鏡を借りてやっと確認出来るほどの遠さだが、彼らの目の良さには驚く。
途中まで昨日と同じ道で、一度歩いているだけに少し楽だ。シャンボチェの飛行場近くで、ローチェ隊が荷物をヤクに積んで出発準備をしているのを見る。ビュー・ホテルへの道と分かれ、松林の中のなだらかな石畳道を行く。ここからは初めての道だ。少し石段を登り、広い草原の中にマツなどが点在する美しい庭園のような所を通る。
次にタケカンバの林を抜けるとクンデの村が目の前に開けた。「知恵の目」が描かれたチョルテンの横を通って村に入り、右に折れて長い石垣に沿って進む。正面にアマダブラムを仰ぎながらの楽しい道をクムジュン村に向かう。
村に入ると土壁のゴンパがあり、その前の広場に立つ大きな木に馬が二頭繋がれている。ビュー・ホテルに宿泊中の日本人夫妻が乗ってきたそうだ。いつか私たちも、こんな優雅な旅行が出来るだろうかと思う。ゴンパ内部は正面の金色の仏像を鮮やかな原色の幡などが取り巻き、両側の壁には無数の抽斗が並んでいる。その一つ一つにお経が納められている。 伝説のイェティ(雪男)の頭皮は鍵のかかったガラス箱に納められ、傍らに寄付を入れる箱が置いてあった。ゆっくり見学を終えて、マニ石があるところを通り、村を出る。
急な石段を下り、最後は大きな岩の間の溝状の所を下ると、見覚えのある所に出た。カラパタールに行くとき、ダフェ(ただし雌)を見たシャクナゲ林だ。ナムチェの方に少し引き返す形で、今夜のキャンプ地・キャンヅマ(3,660m)に着く。夕方、ロッジのすぐ下の畑に二羽のダフェが来る。帝王キジともいうネパールの国鳥で、鮮やかな青と黄色が目立つ極彩色の美しい鳥だ。昨夜よく寝られなかったせいか、眠気がして食欲が少し減る。

ナムチェ08:00…シャンボチェ09:15…クンデ10ケ05…クムジュン10:30〜11:00…キャンヅマ11:30

モーン峠越え 第5日(11月12日・水)キャンヅマ〜ポルチェタンガ

朝の気温マイナス7℃。今朝もロッジの下の畑にダフェが来ている。今日は行程中の第二の難関、モーン・ラ(3,979m)を越える日だ。昨日の道を少し戻り、カラパタールへの道を右に分けて登りになる。右下に前に泊まったサナサのロッジが見える頃、荷を積んだヤクがカラパタールの方へ行ってしまい、ヤク使いやシェルパが大声を出してゴーキョの道へ引き戻す。
ヤクも嫌がるジグザグの急坂でシャクナゲ、カンバ、ヒバの林を抜けると山腹の緩い登り道となり、峠にたつチョルテンが見える。それがなかなか近くならない道をだらだら行く。深い谷の対岸の岩場でタールが立ち往生?している。最後にひと登りがあって峠にでる。 モーン・ラにはロッジがあり、可愛い子どもが「コンニチハ」と声をかけてきた。
チョルテンを前景にしたアマダブラム(6812m)や
タウツェ(6501m)の姿が美しい。
峠からは樹林帯の中を、帰途が思いやられるほどジグザグにグングン下る。遙か下のドゥード・コシ対岸にポルチェの村が見える。ようやくコシの河原まで下って木橋を渡り、今日のキャンプ地・ポルチェタンガに着く。タンガは「下」という意味でここは「ポルチェの下村」。 昼食後、上の村、ポルツェへ高度順化に登る。標高差約200m、ゆっくり林を抜けて尾根の端に出ると村の入口で古いチョルテンが立つ。ここから長いメンダン(マニ石の壁)が上に見えるゴンパに続いている。ポルチェは、ジャガイモを畑の穴に貯蔵したり、階下に家畜を飼っているなど昔の日本の農村を思わせる静かな村だ。
今日の案内役、ドルジェの家もここにある。14歳のドルジェはシェルパとしては異例の若さで、トレッキング中すれ違うポーター達から羨望と嫉視を浴びていたが、本人は控えめではにかみがちな少年である。彼も通ったであろう小学校裏の台地に登る。うねうねと流れるドゥード・コシが光り、今日辿ってきたキャンヅマからモン・ラ、ポルテタンガのルートが一望できた。 キャンプ地に帰り、15時のお茶の頃から雪が舞い始めた。テントの周囲がすぐに白くなる。今日は骨折した白人女性と出会ったが、今も馬で下ろされる男性がある。天候が悪くならないことを祈るのみ。

【コースタイム】キャンヅマ07:50…モーン・ラ09:35〜09:55…ポルチェタンガ11:05

高山病の兆し? 第6日(11月13日・木)ポルチェタンガ〜ドーレ

気温マイナス10℃。テントの周りは雪で真っ白だが、幸い快晴で明けた。まず右岸の、蕾がたくさんついているシャクナゲ林の中を行く。花期にはさぞ見事な眺めだろう。その向こうに初めて純白のチョー・オユー(8,201m)を見る。林が続き、カンバの木にはサルオガゼが一杯ぶら下がっている。石段を登り大きな谷を越える。
左側に美しい無名峰が望め、その間からいくつも滝が落ちている。大きな滝の横で少し休み、再び登ると樹林が消え荒涼とした風景に変わった。この辺りが森林限界のようだ。
小さなカルカ(夏の放牧地)を通り尾根を横切っていくと、開けた谷間のカルカ、ドーレ(4,040m)に着いた。
この辺りで最初の高度の影響が出てくるのか、今日の行動は僅か2時間半だが、昼食後に標高差250mの丘へ高度順化に行くのも億劫だった。S、Y両氏は自重して休養をとる。しかし明日以降の行動を考え、自らを励まして登る。 ジグザグの道を登りきって尾根に出ると、草原のような斜面に豆粒のように小さなリンドウが点々と咲いていた。ほとんど空身なのに息があがる。カンテガとカムセルクが大きく村の背後に聳えている。
キャンプ地に帰ると、反対側の低い丘にカメラマンの影が多数見える。残照のタムセルクを狙っているようだ。今日はどうも風邪気味で食欲がない。今朝はお粥に「ふりかけ」や昆布の佃煮、梅干し、それに茹で卵。昼はラーメンとジャガイモ少し。飲み物は無理をしてホット・チョコレートなど飲んでいるが、本当は玄米茶が一番旨い。ナク(雌のヤク)のミルクも鼻について飲まなかったら、今度はひどい便秘になり、カトマンドゥに帰るまで苦労することになる。夕食を摂らずに18時から寝る。
【コースタイム】 ポルチェタンガ08:00〜滝09:15〜ドーレ10:20


シャングリラ 第7日(11月14日・金) ドーレ〜マッチェルマ
晴。気温マイナス8℃。汗をかいて外側の寝袋はびっしょり濡れていた。ぐっすり寝たせいか、体調やや快復する。和子は、計測では心拍数が100を越えているのだが、息苦しさなどの自覚症状はないそうだ。カラパタールの時のようなムーン・フェイスの徴候もなく元気そのものだ。
 今日は最初の
乗越、ラ・パルマまで頑張ると、後は山腹をほぼ水平に捲いていく。行く手にチョー・オユーが眩しく光っている。背丈10〜20センチほどのシャクナゲやユキヤナギの類が山肌を覆い、ビャクシンの仲間だろうか、とてもいい香りが漂ってくる。ユキヤナギの綿毛が雪のようで、その中に深紅のウメモドキの実や、ヒイラギの仲間・ヒロハヘビノボラズ(現地語ではクァラ?)の紅葉が散りばめられて実に美しい。

なだらかな道に足どりも軽く、「いいところだなあ」とつぶやくとサーダーが「シャングリラだ」という。彼はわれわれにつかず離れず、いつの間にか現れてサポートしてくれている。英語はもちろん、日本語もジョークを交えて話せ、いつも暖かい笑顔を絶やさない頼もしい人である。たえず私たちの健康を気遣い、「サムイ?」と聞いて両手で手を包んでくれる。彼の手はごついが素手でもとても暖かく、自分で「パサン・ジー(爺ではなく「〜さん」の意味)の手、ゴアテックスね」といっている。
マニ石の横を通り、いくつか小さな尾根を越してマッチェルマ(4,410m)に着く。今日も3時間ほどの行動だが、午後はキャンプ地背後にある標高差200mの丘へ往復1時間あまりの高度順化に行く。 尾根の乗越に登ると、明日歩くルートの一部が見える。青い屋根のロッジがある辺りがパンガで、95年11月に日本人のトレッカーとシェルパ、併せて25人が季節外れの雪崩で犠牲になったところだ。
V字谷の奥に雪煙を上げるチョー・オユーが望めた。乗越を左に折れて、タルチョーのはためく丘に登る。尾根の奥に真っ白なマッチェルマ・ピーク、その左にキャジョ・リ(6,186m)が錐のように尖った凄い山容を見せる
キャンプ地に帰ると、ヤク遣いのシェルパニが生まれたばかりの黒い犬の子をロッジに連れてきた。こんな高い場所にあるカルカなのに、可愛い馬の仔もまだヘソの緒のついた仔牛もいる。この仔は水溜りの氷に足を滑らせながら、舐めていた。犬の仔はヤクの糞を燃やすストーブの下で気持ちよさそうに居眠りをしていた。夕方、先程の丘からパラグライダーが舞い降りてきた。赤い色に興奮したのか、ヤクが一頭、もの凄い勢いで駆け寄って行く。日が暮れると文字通り満天の、星で埋め尽くされそうな空を流れ星がいくつも走っていった。
ドーレ07:45…ラ・パルマ(峠)08:50…ルザ10:00…マッチェルマ11:00

三つの氷河湖  第8日(11月15日・土)マッチェルマ〜ゴーキョ
昨日の乗越に登り、ゆるく下ってパンガのカルカに来る。石囲い中にライチョウに似たきれいな鳥(コーマ、グランダラとも)がたくさんいた。まるでニワトリが群れているようで、人の姿にも驚かない。 いつの間にかドゥード・コシを離れてゴジュンバ氷河のアブレーション・バレー(氷河側谷)からの水流に沿っている。大きな岩に付けられた階段を登る。岩の上を走る流れが凍りついて滑りやすく、慎重に歩く。
ちょっと苦しい登りが終わると、木の橋で左岸に渡って更に岩がゴロゴロする道を行く。既にゴジュンバ氷河末端のサイド・モレーン(堆石)帯を歩いているのだ。行く手にゴーキョ・ピークに続く大きな茶色の山塊が横たわっている。 アブレーション・バレーの中、歩きやすい平坦な道になってしばらく行くと、美しい湖が現れた。湖畔を行くと木曽御岳の賽の河原を思わせる荒涼とした場所を過ぎ、第二の湖 ツォ・パルワ(Tso Palwa)に来る。
さらに流れに沿って登っていくと辺りが広く開け、三つ目の湖、ドゥード・ポカリに来た。静かな湖面にアカツクシガモの夫婦が仲良く泳いでいた。この湖の色はくすんだエメラルド色というか、何とも表現の難しい色だ。氷河が運んできた微細な土の粒子を含んでいるからだという。
 湖畔を10分ほど歩いてゴーキョのカルカ(4,791m)に来る。何軒かあるロッジの庭がキャンプ地である。
昼食後、今日もピークと反対側にある丘へ登る。標高差約100m。目の下にキャンプ地とドード・ポカリが見える。湖に流れ込む水流を飛び石伝いに渡るパーティの姿が見える。私たちも明日、このコースから右手に見える急な岩尾根に取り付くのだ。
幅1q、長さ16qに及ぶゴジュンバ氷河が、大小の岩石の集合体であるサイドモレーンを従えて横たわっている。所々に氷河湖が見えるが、カナダやスイスで見た白い氷河とはまるで違う、工事現場のよう荒々しい様相である。ときどきどこかで崩壊の音がして、氷河が今も生きて動いていることを実感させる。上空をヒゲワシが悠々と飛んでいた。帰るとテントの近くまでイワヒバリが遊びに来た。

マッチェルマ07:45…峠08:00…最初の湖10:00…ゴーキョ11:30




念願のゴーキョ・ピーク(3)へ      「ペンギン夫婦お山歩日記」TOPへ
inserted by FC2 system