宿願のゴーキョ・ピーク



一歩足を運ぶごとに、頂上にはためく五色のタルチョ(祈祷旗)が近づいてくる。右手に見えるサガルマータ(エベレスト)がぐんぐんせり上がってくる。その頂上を隠していた雲も次第に薄れてきた。何度も深呼吸して息を整え、ついに岩屑が積み重なった細長い頂上の最高点に立つ。私たち夫婦にとって三つ目の5000m峰だ。「カラパタールより楽だったでしょう」。頂上にカタ(祝福や祈願用のシルクのスカーフ)を結わえ終えた渡部TLが、笑顔でねぎらってくれる。楽だったような、辛かったような複雑な思いだ。ただ、ここからのサガルマータは明らかにカラパタールから見るよりも大きく、高く、そして堂々としている。距離的には離れているが、ヌプツェやローツェとの重なりが少ないせいだろうか。「登れるだろうか…」という年齢的な不安があっただけに、登頂の喜びがより大きいからかも知れない。見渡せばヒマラヤの、いや世界の山の盟主を守るようにずらりと居並ぶ白銀の峰々…。「やはり来て良かった…」顔を見合わせて、心からそう思った。和子の目も少し潤んでいるようだった。

ゴーキョ・ピークはドゥード・コシ源流のゴジュンバ氷河西側に位置し標高5,360m(一説には5,483m)。サガルマータはじめ8000m峰4座の展望台として名高い。クーンブ氷河をトレッキングしカラパタールやエベレストBCを目指す、いわゆるエベレスト街道からは脇道になるため、その分静かな山旅が味わえるという。

99年のカラパタールから4年。「もう一度世界最高峰が見たい」思いは日毎に強くなっていた。今年も富士山で高度順化をすませ、二人で手配旅行の準備を進めていた矢先、新聞やネットでネパールの国情不安を目にする機会が多くなる。特に9月末の外務省渡航情報ですっかり弱気になり、せっかく取れていたカトマンドゥ直行便のチケットもキャンセルしてしまった。しかし、昔風に言えば古希を迎える今年が、最後のチャンスになるかも知れない。「どうしても今登っておきたい」と、健康管理面でも安心なA社のグループ・ツァーに参加を申込む。ところが10月下旬、山行帰りの運転で腰の痛みが耐えられなくなった。出発まであと10日。連日、整形外科に治療とリハビリに通った。ドクターに「まず大丈夫」と言って貰ったものの、果たして再発しないか、不安とともに貼り薬と痛み止めをいっぱい持っての旅が始まった。

【日  時】2003年11月8日(土)〜11月20日(木)
ネパールへ 6日13時、関空を発つ。バンコク空港で今回のツァーメンバーと顔合わせ。TLの渡部氏はアウトドア全般の達人で、山についてはいうに及ばず、今回もカラパタールから下山したばかり。参加者は東京からS氏、N氏、Y氏、N嬢の4人、名古屋からK夫妻、大阪から私たちの計8人。Sさんは元証券マンで25年前から清里でペンションを経営している。自然観察指導員だけあって鳥類など動物に詳しく、山岳ガイドでもある。Yさんは私の一歳下の、物静かな元大学教員、大学山岳部の元顧問。N嬢は元気で明朗な渋谷のOLで、いつも「相棒」と呼ぶピグレット(「クマのプーさん」の仲間のブタ)人形と一緒。そしてKさん夫妻はJACの東海支部会員で、私と共通の知人が何人かあることが分かった。お二人とも多彩な趣味の持ち主である。この日はバンコク・パレスホテルに泊まる。
7日。晴。バンコク空港でフライト待ちの長い時間を過ごし、昼過ぎカトマンドゥに着く。車がやたらと増え野良牛は減ったが、ごみごみした町の印象は以前と変わらない。聖と俗、富と貧困、美と醜、過去と近代…あらゆる相反する要素が入り交じり混沌としている。舞い上がる塵埃、鼻につく異香の匂い…しかし私はこの町が好きだ。マオイストに備えてか、王宮付近を始め市内各所で銃を持った兵士が警戒する姿が目立つ。ラディソン・ホテルに荷を下ろした後、タメルに旧知のラディス氏を訪ねる。タクシーでホテルに帰ると、東京のN氏が39度の発熱で、ドクターが来る。結局、帰国日までカトマンドゥに滞在された。さぞ無念だったことと思う。

トレッキング開始  第1日(11月8日・土)ルクラ〜パグディン

晴。8時半の飛行機に7人に減ったメンバーとTLが乗り込み、ルクラへ。白銀のヒマラヤを見ながら40分のフライト。
ルクラの飛行場は拡張、舗装され、管制塔など新しい建物が何棟も出来て、少しは「エアポート」の名にふさわしくなった。しかし砂埃を舞い揚げながら今にも山肌に衝突かと思わせた、あのスリルはなくなった。周囲には鉄条網が巡らされ、兵士の警備がものものしい。写真を取ろうとしたら「早く行け」とやんわり追い出された。 飛行場横のロッジで、サーダーのパサンらスタッフとと合流。いよいよトレッキングの始まり。ダッフルバッグはゾッキョ(ウシとヤクの混血種)が運んでくれるので、ザックの中身は軽い。
商店街を通り抜けてカンニ(仏塔門)を潜り、ドウードゥ・コシ(ミルクの川の意。雲母などの細粒が溶け込んで青白く濁っている)沿いの道をパグディン(2,610m)へ向かう。ルクラの標高は約2800mなので、いったんかなり下ることになる。4年前、雪崩で道が崩壊した後で大迂回を強いられた、沢を横切る所は補修された水平道になっている。しかし崩壊は毎年のように続いているそうだ。
道端にハハコグサやキリンソウなど日本でもお馴染みの花が多い中に、竹のような幹にツツジのような花を付けている木がある。(シェルパのデンジーに聞くとバンゴフルの花。前は確かティハールと聞いたが?)これはダリアに近い種とTLに教えて貰う。渡部氏はヒマラヤに関してだけでなく実に博学で、何をたずねても即座に的確な答えが返ってくるのに驚く。(近頃では珍しくなくなった皇帝ダリアである)
 陽が出ていると汗が流れるほど暑いのに、かげると肌寒さを覚える。道が平坦になり、右手(東)にクスム・カングール西峰を仰ぐ頃、タドコシに着く。ここで昼食。以後、食事は殆どロッジ屋内でとるが、料理は私たちのコックが作ってくれる。食後、いったんドウードゥ・コシを離れて尾根を捲き、再び流れが見えてくるとガットの村。大きな
マニ石やマニ車を納めたお堂など、前回お馴染みの光景が懐かしい。
山腹の道を行くとパグディンの入口。村は次第に下に延びて来たようで、立派なホテルのようなロッジが建設中である。村の中を通り抜け、コシにかかる吊り橋を渡ってキャンプ地に着く。なんと前に泊まったロッジの庭にテントが張られている。広いスペースのテントに、厚いマット、シュラフは二重で暖かく実に快適に眠れた。


【コースタイム】ルクラ09:15〜10:05…タドコシ12:00〜13:30…パグディン14:30

シェルパの故郷へ 第2日(11月9日・日)パグディン〜ナムチェ

2時頃、ドゥード・コシの音に雨かと驚いて目を覚ます。テントから首を出すと、満天の星が満月に近い月光に負けずに輝いていた。6時のモーニング・ティーに始まり、暖かいお湯で洗顔、ロッジでの朝食のあと出発。今日は第一の難関、ナムチェ(3,446m)まで標高差約800mの登りだ。松林の中に続く右岸沿いの道をアップダウンしながら進み、岩壁に滝がかかる横を通る。少し登るとベンカールで、村の中央にある大きなマニ石の上にタムセルク(6,623m)が白く眩く輝いている。
ゆるく登って木橋を渡ると、サガルマータ国立公園のチェック・ポイントがある。この「モンジョのケンモンジョ」で手続き(サーダーがまとめてしてくれる)をすませ、少し下って吊り橋を対岸に渡るとジョサレである。ここで昼食後、しばらく河原を歩き、吊り橋で渡り返してさらに河原を行き樹林帯を少し登る。
河原に出て吊り橋で左岸に渡る。見下ろすドゥード・コシは豊かな水量で滔々と流れている。行く手にはシェルパ族の「聖なる山」クンビラ(5,761m)が黒い岩肌を見せる。樹林帯を行き、小さな沢を渡って少し登ると「温泉あります」の看板がでているチュモアのロッジ前に出た。
ドゥード・コシにかかる吊り橋を渡ると、いよいよ標高差約600mあるナムチェへの急登が始まる。マツなどの樹林帯の中、ジグザグの道をゆっくり踏みしめて登る。
 ふと横の斜面に目をやるとヒマラヤン・リンドウが薄青色の可憐な花を咲かせていた。尾根の末端に出ると、かってバッティがあったトップダラというところで、ここでしばらく休む。林の向こうにローツェとエベレスト、その左にタウオチェが小さいながら初めて姿を見せた。ここで登りのほぼ半分。
 少し傾斜が緩んだ松林の中を行く。右から落ちる水流を渡り、前方にナムチェの家並みが見え出してからも結構長い。
15時にナムチェ入口のカンニ(仏塔門)を潜る。
ナムチェには新しいロッジや店が増え、郵便局が移動するなど町の様子が少しずつ変わっている。サーダーが経営するバッティで、奥さんから山盛りのふかし芋(ジャガイモ)をご馳走になった。やや小粒だが実に旨い。子どもの頃の記憶にある「本当の」ジャガイモの味だ。
私たちの世話になるキャンプ地は商店街の中程を入ったところにあり、マニ石の横に大きなパラボナ・アンテナが据えられている。ロッジにあるネット・カフェ用である。アンテナを挟んでマニ石の反対側には、真っ赤なダリアの花が咲いている。はるか頭上に美しく彩色した仏像を描いた岩があり、西の空にコンデ・リ(6,187m)の特徴的な姿が浮かんでいる。
K夫人はさっそくスケッチブックを取りだし、絵筆を走らせる。テントからはご主人の吹く尺八の音色が響いてきた。大きな犬が現れて私たち二人のそばを離れず、食事の間、テントの前に座って留守番をしてくれるつもりらしい。今日から朝夕、パルス・オキシ・メーターで血中酸素量と心拍数を計測し、希望者はダイアモックスを服用して高山病に備える。Y氏が不調で、ロッジで寝ることを希望された。この夜はあちこちで犬が吠え、ヤクの鈴の音も煩くて、あまり眠れなかった。
【コースタイム】 パグディン07:30…モンジョCP09:50〜10:05…ジョサレ(昼食)10:20〜12:00…最後の吊り橋12:35…ナムチェ14:50

エベレスト・ビュー・ホテル 第3日(11月10日・月)

今日は高度順化でナムチェに滞在する。8時過ぎにビュー・ホテルに向けて歩き出すが、村を抜ける最初の登りがやはりきつい。集落西端のゴンパ(僧院)が修理中で、その内部の様子を見せて貰った。ここから山腹のジグザグ道をぐんぐん登り稜線にでる。
見下ろすと、馬蹄形に拡がった盆地にロッジ、店、民家が階段状に密集したナムチェの様子がよく分かる。さらに登って一軒のロッジ横にでるとシャンボチェ飛行場の西端である。 飛行場の上部から山腹道を辿って、前回お茶を飲んだシャンボチェ・ビュー・ホテルの裏手に来る。エベレスト(8,848m)、世界第4位の高峰・ローツェ(8,516m)をはじめ、鋭い三角形のタムセルク(6,623m)、白い馬の鞍・カンテガ(6,685m)、母の首飾り・アマダブラム(6,812m)などの山々がずらりと見渡せる。すでに標高は富士山頂を超え、3900mに近い。ここから少し先の松林の中にエベレスト・ビュー・ホテルが建っている。
ホテルのテラスでゆっくりと景色を眺めながら紅茶を飲む。マツや岩が点在する庭園のような景色の中に、タンボチェのゴンパが豆粒のように見える。その左上にエベレスト、ローチェをはじめ白い山々が浮かんでいる。エベレストの左にはタウチェ(6,501m)。ときどきガスが流れて山々の姿を隠すが、しばらく待っていると再び大展望が拡がる。ホテルのガラス窓に映るアマダブラムが美しい。
テラスに東海支部ローチェ南壁隊のメンバーが来られた。JAC100周年記念に冬季初登攀を目指しておられる。Kさんの紹介で、田辺治隊長とローツェを背に記念写真を撮り、心からご成功を祈ってお別れした。
 午後はチベッタン・バザールを冷やかしたり、和子は台所でチベット風揚げパンを作らせてもらったりして過ごした。このロッジの娘さんナム・ヤンジェはなかなかの美人で、インターネット・カフェも切り盛りしている。
夕食はピザ、カレー、ニンジン、ナスなどの野菜炒め、デザートにバナナパイとなかなかのご馳走である。昨日は大串のヤキトリと、コックがいろいろと工夫してくれている。ただ、高度が上がると、沸点の関係ですべて高圧釜で料理しなければならず、どうしても普通にできる揚げ物が多いメニューになる。菜種油を使っているようだが、これがだんだん鼻について食べづらくなってきた。ヤクの肉も叩いて軟らかくしてあって美味しいのだが、どうもあまり食べたくない(前回はこんなことはなかったのだが…)。
ナムチェ08:05…エベレスト・ビュー・ホテル10:30〜11:15…ナムチェ12:20

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