花と雨の四姑娘山トレッキング

2.二度の高度順応




四姉妹の山  7月25日(水)晴 日隆滞在=高度順応日
高度順化のため、町はずれのラマ寺跡までハイキング。サンドイッチ、蒸したジャガイモ、ゆで卵などのお弁当を持って、8時半に出発。町はずれに、道を挟んで大きなショッピングセンターと小さな郵便局があり、踏切様のゲートがある。右手に大姑娘山から南西に延びる長い尾根を見ながら、長坪江(チャンピンコウ)の流れに沿っていく。
 草原に色とりどりのパオが10近くも建ち、背後にマニ石がある。これも山荘である。
その側で橋を渡って、少し尾根を登る。
 道の両側にはすっかりお馴染みになった花々が咲いているが、中で珍しいのは
ステレラカマエヤスメである。長い花柄の上に頭花の集まりを球状につけるが、色が赤から黄、白、紫と様々で、それがいくつも束になって小さい花火のようだ。
尾根を下って木橋を渡り、対岸の山腹道をまっすぐ登る。長坪という村の中で、林道のような広い水平道にでる。こんな山中に学校があり、あまり豊かでなさそうな家にパラボラアンテナが建っている。かっては人一人通るのがやっとの道だったと、TLは感慨深そうである。
 大きくカーブして角を曲がると、急に目の前に大姑娘山から四姑娘山に続く山々が姿を現した。主峰の四姑娘山は雪の鎧をまとい、堂々とした風格である。我々の登る大姑娘山は一番右側で、台形の頂上を持つ穏やかな山容だ。
しばらく休憩して、飽かず山を眺める。足元にはエーデルワイスがたくさん咲いている。カッコウが鳴き、真っ赤な鳥が飛ぶ。魏嬢によると、日隆は動植物が豊富で特に鳥類は192種が生息しているそうだ。黄色い菜の花と青紫のカスミソウに似た花が、麦畑の緑と美しいケルト模様を描いている11時、車道との合流点に出た。美しい鞍をつけた馬がたくさんいる。中国の人達はここまで車できて、馬に乗り換えて遊覧するようだ。10人近い民族衣装の女の子が私たちのグループについてくる。その後から、馬を連れた男の子たちもやってくる。どうも写真好きな、いい商売相手と見たらしい。
広い車道を10分ほど行くと、ラマ教廃寺跡で、崩れた煉瓦の外壁に囲まれた中庭に夏草が茂っている。標高は約3700m。青草の上に腰を下ろし、馬の群れと貸し衣装屋の女の子に囲まれながら、弁当を食べる。青い空に白い雲が流れ、ゆったりと時間が流れる。食べている間にも、土産物売りの老婆が布切れを手に買えと勧めてくる。「不要(プーヤォ)」と言っても笑顔で動じない。こちらも無視して食べ続ける。
魏さんが四姑娘山の伝説を語る。「古い昔、この地方の王と戦って破れたムオラトゥオラという悪魔が、洪水を起こして下の村(日隆?)を滅ぼそうとしました。王様の四人の娘は、山になってそれを防ぎ村を守ったので、今もこの辺りの人々は<四人の娘の山>と呼んで崇敬しています。」
 四姑娘山の名には別の由来もある。「その昔、山でパンダが豹に襲われた時、四人の娘さんが身を挺して豹に食べられてしまった。その後、娘さん達は生まれ変わって四つの美しい山々になり、いつしかこれらの四山を総称して四姑娘山と呼ぶようになった。こんな伝説が山麓の日隆に伝わっている」(脇坂順一「八十歳はまだ現役」)。
 食後、5元で借りた民族衣装を和子が着て、廃寺跡で写真を撮る。フイルム交換の時にイラクサに触れたらしく、みるみるミミズ腫れができたが、先ほどの老婆がオンタデに似た草の葉を揉んだ汁をつけてくれると、すぐに痒みが消えた。先ほど邪険にしたので、ちょっと気が咎めた。
私たちが帰途につくと、貸衣装屋や土産物売り、馬子たちもぞろぞろと一緒に帰り始めた。先ほどの車道との合流点で、手を振って別れる。
 対日感情が悪いのではと心配していた中国の人達はおしなべて好意的で、この後も行き会う人ごとに笑顔で「ニーハオ」と挨拶されて、すっかり認識を改めた。
 15時、四姑娘山酒店に帰り、甘いスイカを食べる。Wさんがアメリカで買ってきた浄水器を貸してく下さったので、洗面所で飲み水を作る。

天界の花園をBCへ 7月26日(木)曇  日隆〜老牛園子
車で町を通り抜け、昨日の登山口を過ぎて臥龍の方へ戻るような形で別の登山口へ。昨日見えていた尾根の末端を捲いて、反対側を昨日の方向(北)へ行く格好になる。馬に乗って下りてくる中国の人に出会う。馬上の客も、馬子さんもにこやかに挨拶してくる。
山腹の道を、大きくジグザグを切りながら登る。花に詳しいK夫人から日本で似た種類の花の名を教わる。 1時間足らずで、なだらかな尾根の上にでる。建設中の仏塔があり、尾根沿いにずっと五色のタルチョーが並んでいる。左手奥の四姑娘山は今日は雲の衣装をまとい、ときおり顔を見せるだけ。
しばらく尾根の上を歩き、いくつかの仏塔を過ぎ、タルチョーがたくさん立っている一番上の塔の所から右手に緩く下って山腹の道を行く。尾根を曲がると、正面に四大姑娘山が昨日よりずっと大きく見えた。
草原のお花畑がずっと続き、ワスレナグサや、ケマンに似てブルーの鮮やかな花、キキョウに似た花、トラノオ、キンポウゲ、フウロなどが無数に咲いている。そして、エーデルワイスが足の踏み場もないほど咲き誇っている。薄緑のキャンバスに、ピンク、黄、白、紫の絵の具の飛沫をブラシで飛ばしたようにも、場所によっては特定の花が固まっているので地上の虹のようにも見える。
 昼食も、こんな花園の中に散在する石の上に腰を下ろして食べる。足元の花を踏まないようにするのが難しい。
緩くアップダウンを繰り返して、二つの支尾根の鞍部状の所に来る。この辺りはサルオガセを垂らした小さな木々の林である。小さな沢を何度か渡る。節を付けて歌うような珍しい鳥の鳴き声を聞く。少し登りになり、今度はヒイラギに似たチンカンスウの林の中を行く。
 軽い疲れを感じる始めた頃、林を抜け出し、目の下に草原の中を流れる河と幾張りものテントを見る。ここは老牛園子(ラオニューエンツー)と呼ばれるカルカ(夏の間だけの放牧場)で、石積みのがっしりした小屋から煙があがっていた。テントキーパーの鈴木さんに迎えられ、ここでも甘いスイカにかぶりついた。
夕食まで辺りをブラブラする。10年くらい前までは、テントはエーデルワイスの花の上に張った(やむを得ず)そうだが、少なくなったとはいえ今でもかなりの数の花が地上の星のようである。美しい花々は馬やヤクの食べ物でもあるので、至る所、彼らの落とし物がある。これにはちょっと閉口したが、私たちが彼らの領域に入り込んでいるのだから文句はいえない。夕方、TLが各テントを訪れ、指にパルスオキシメーターを挟んで血中酸素濃度と脈拍数を計る。また、明朝からは高山病予防のためダイアマックスを半錠づつ飲むことになる。高度障害対策は万全である。
夕食は大きな食事テントに全員が集まり、日隆名産の松茸ご飯に舌鼓をうつ。宿泊テントは二人には十分広く、快適な居住性でぐっすり眠れた。
【コースタイム】日隆<3155m>9:15…昼食12:00〜12:30…BC<3600m>14:45

山中の湖 7月27日(金)雨 BC〜花海子〜BC
2度目の高度順応日は雨の音で目を覚ました。ゆっくりと朝食を済ませ出発。
 今日の案内は「老牛園子の主」楊(ヤン)さんである。深い皺の刻まれた日に焼けた顔がとても優しい。雨合羽を着て長靴を履き、ときおりパイプをくゆらしながら先頭を行く。雨はそれほど強くないので、雨具はつけているものの傘をさして歩く。
 お花畑をしばらく登るとほとんど水平な道になり、右手にテント場に流れていた河−海子江(ハイツウコウ)を見下ろしながら行く。
チンカンスウの棘を避けながら30分足らずで、道は巾広くなった川に合する。その先は大きなダムのようになっている。
 石積みの小屋があり、犬が吠えてきた。このカルカは大海子(ターハイツ)というがハイツとは山中の湖の意味である。
 少し休んで、この湖の横を行く。澄んだ湖面に魚影が見える。湖を通過するのに15分を要した。
再び林の中の水平道を行き、花海子(ホワハイツウ)に着く。ここも昔は湖だったが、上流(源流は三姑娘山に発する)から流入する土砂で、今では湿原となっている。花の多いところだそうだが、残念ながら雨が降り止まないので、少し休憩して引き返すことになる。標高差200m、時間にして3時間足らずのハイキングだったが、BCに帰ると暖かい汁粉が待っていた。午後は沈殿して、上部への行動に備える。カレーライスをメインにした夕食が終わる頃、雨は小やみになり明日に期待を持たせた。
【コースタイム】BC<3600m>9:00…大海子9:50〜10:00…花海子<3800m>10:45〜10:50…BC<3600m>12:05

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