マナスル三山展望トレッキング (2)




左からマナスル、P29、ヒマルチュリ

10月4日。
 快晴の朝を迎えた。テントから北東にマナスルとP29、そしてヒマルチュリのマナスル三山が次第に明るむ空に浮かんでいる。ヒマルチュリの右肩がご来光に輝きだした。高いところでは風が強いのか、三山とも頂上付近は雪煙を上げている。少し上の台地に登ると、西にアンナプルナW、マチャプチャレ、少し離れてラムジュンヒマールが良く見える。
テント地8時発、殆ど平坦な尾根道をガンポカラ方面へ向けてトレッキング。マナスルはすぐ雲に隠れたが、ずっとラムジュンを見ながら歩く。
 バグルンパニからハイティーンの女の子4人と付き添いのオバサン、重廣隊長の後ろからは黒い大きな犬が付いてきた。
途中のバッティでチャイを飲み、木に巻き付いた蔓性のランの花や、名前の分からない足元の花を見ながら歩き、最後に少し登ったチョータラで弁当を食べて引き返えした。テントには15時に帰った。今日はヒルも出ず、ぐっすり眠れた。

10月5日。
 早くも山を下る日になった。マナスル三山とのお別れに、隊長から頂いたお揃いのユニフォームで記念撮影。今日は山頂付近も穏やかに晴れ上がっている。ラムジュンヒマールを背に、しばらく山々と名残を惜しむ。ネジバナと一緒に青い色の小さな花が咲いている。
8時下山開始。流石に下りは早く、40分で急坂が終わり下の道に出た。水場からは一昨日と別の林の中の道を下る。 アンナプルナトレッキングの時にロッジの前でよく見かけた、大きな地図板を三つも背負った人が登ってくる。
 ゴンパ10:45。今日も子供達がオハジキをしている前を、ニワトリを入れた籠を背負った老人が登っていった。ベシサール11:15着。
 今日も暑く、さっそくロッジでビールを飲む。瓶のラベルは「エベレスト」。3年前が世界最高峰登頂50周年だったので、その名残りだろうか?
 昼食後は椅子に座ってロッジの犬と同じようにぼんやり通りを見て過ごす。することもなく退屈で、犬の気持ちが分かるように思う。15時半、シェルパが呼びに来てティータイム。テント整理をしてから食事テントに入り、支部長から4夜連続、今夜が最終回のヒマラヤの話を聞く。
第一夜は「僕のヒマラヤ事始め」。第二夜「チョモランマ以降」。第三夜「マナスル登山の歴史」最終回の今宵は「最近のヒマラヤ事情」だった。エベレスト、K2、カンチェンジュンガ、ブロードピークの8000m峰4座。更に7000m峰4座のサミッターの正確な記憶に基づく実話の迫力に加えて、ヒマラヤ秘話といった思いがけない内容の話もあり、この談話を聞けただけでも二人でこの隊に参加して良かったと思う。
お別れにコックさんがケーキを焼いてくれた。(初日にも井上さんの誕生日でバーズデーケーキが出て2回目)

 シェルパやコック達の笑顔に囲まれてツァーリーダーでもある鹿田隊員がナイフを入れる。満月近い月の光に負けぬ灯りをともして、今夜もテントの前にホタルが舞っていた。

6日。
 7時40分、ベルサールを発つ。車は凄いスピードでクラクションを鳴らし放しながら曲がりくねった山道を疾走する。対向車が互いに譲らないのでこれでは事故も当然で正面衝突を二度見た。一度は直後のようだった。何度もひやりとしたが、何とか無事に11時、ポカラのホテル・ストゥーパに入る。レイクサイドにあるこぢんまりした二つ星のホテル。湯が出ないので水シャワーを浴びて少しすっきりする。 
昼飯は日本食レストラン「古都」のスキヤキ定食でビールを飲み、市街の散策。
 ペワ湖の船着き場付近は、目の前に浮かぶ島にあるヴァラヒ寺院のお祭りで賑わっていた。お面、風船、綿菓子など昔懐かしい縁日風景だ。少し土産物を買ってホテルに帰る。夕刻より激しい雨。傘をさして夕飯を食べにネパール料理店へ行く。ネパールの日常食、ダルバートの高級版。帰りもまた雨で靴もズボンもびしょ濡れになった。

7日。
 9時の開場をまって国際山岳博物館に入る。この博物館は2004年2月、日本の資金協力で開館したものである。広大な敷地の中にたつ大きなマナスルの模型を横に見ながら進むと、三角屋根の建物が見えてくる。建物は2階から入って1階に下るようになっている。まず、ホールでエベレスト街道を中心とした映画を見る。展示は「山のひとびと」のセクションから始まる。ネパールの山岳民族の生活から世界各国の山民の風俗の紹介、日本の昔の山びとの人形もあった。次は「世界の山」セクション。ヒマラヤ8000m峰14座を中心とした山々の写真展示で、大森弘一郎氏が機上から撮影したエベレスト、カンチェンジュンガなどの大きな写真パネルが目を引く。ネパール山岳地帯の動物、昆虫、高山植物、鉱物などの標本や写真も展示。迫力満点の「雪豹」の剥製があった。
「登山活動」の展示では人類初の8000m峰・アンナプルナを初め8000m峰登頂時の装備、衣服などが写真と共に展示されている。特にマナスルの部分はスペースも広く、今西寿雄氏のマナスル登頂当時の日記、衣類、装備などがたくさん置かれていた。他に「イエティ(雪男)」のコーナーや野口健がヒマラヤから持ち帰った酸素ボンベなどもあり、熱心に見学していると、あっという間に2時間が過ぎていた。
山岳博物館の帰りに、女神ドルガを祀るヒンドゥーバシニ寺院に行く。旧市街地の小高い丘の上にある寺院は、ダサイン最後の日とあって大勢の人で賑わっていた。御廟に参詣するために人々が列を作り、その横で長い顎髭の行者が祝福を授けている。
 そこからオールドバザールで車を降りて、しばらく歩く。かってはチベットとの交易で栄えた町だが、今は人通りも少なく古い町並みだけが往事を語るようだ。今回の旅では、残念ながらポカラでは最後までヒマラヤの白い山を見ることができなかった。
15時のフライトでポカラを離れる。カトマンドゥまでは僅か30分あまりの短い空の旅だった。さっそくタメルの「マウンティン・ティー・トレーダー」へ行くが、ラディス氏は友人の結婚式で会えなかった。甥のビジェ君に「ふる里」で紅茶をご馳走になり、タクシーでホテルへ帰る。
 ネパール最後の夜は、カトマンドゥ市街南部のボジャングリハに案内された。1999年、カラパタールの帰りにも来たことがある有名な宮廷料理店である。料理を待つ間に、伝統的なネパールダンスが演じらる。ネパール最後の夜は楽しく更けていった。
8日。朝、カトマンドゥを発ち、バンコクで長い乗り継ぎ待ちの時間を過ごして、深夜便で関空に帰る。短い日程がやや残念だったが、何かと収穫の多い楽しい旅だった。

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