マナスル三山展望トレッキング (1)





今年2006年は、日本山岳会が我が国初のヒマラヤ8,000m峰・マナスルに登頂した1956年からちょうど50年目にあたる。当時の登頂隊員・今西寿雄氏は日本山岳会関西支部長、会長を歴任された登山家であり、故人となられた今も、何かと関西支部とはご縁が深い。今年は東京本部でもマナスル周辺トレッキングが企画されているが、これとは別に関西支部独自でトレッキングが行われることになり、二人で参加した。
 なおマナスル三山とは、マナスル(8,163m)とその南に位置するP29(7,871m)、ヒマルチュリ(7,893m)を指し、いずれも日本隊が初登頂を果たした山である。

【登 山 日】2006年9月30 日(土)〜10月8日(月)
【メンバー】重廣恒夫、久保和恵、先水美智子、廣瀬健三、芳村嘉一郎、鹿田匡志(TL)
(会員外) 井上芳明、井山孝仁、芳村和子

9月30日。
 昼前に関空発のタイ国際航空機で、バンコク経由でネパールに向かう。5時間半のフライトでバンコク郊外23キロにあるスワンナプーム空港に着く。
 新しいこの空港は二本の滑走路を持ち更に二本が建設中で、現在でも一時間に最大76便の発着、年間最大4,500万人輸送が可能な巨大空港である。
しかし、僅か2日前の9月28日に開港したばかりで、空港職員の人数、経験不足からトラブルが多発していると聞く。私たちの機内預け荷物もロストバゲージを予測して、いったんここで降ろすことにしていた。
 ターンテーブルから荷物がなかなか出てこない上に、現地係員も不慣れなため時間がかかり、ようやく迎えのバスに乗れたのは着陸後一時間をゆうに過ぎていた。
 高速道路を一時間ほど走って、五つ星クラスのラディソン・ホテルに着く。

10月1日。
 朝のタイ航空機でようやくネパールへ。スワンナプーム空港内の装飾はきらびやかで目を引くものが多いが、まだ工事中のところや開いてないテナントもある。それでも少し遅れただけで無事にテイクオフ。
 2時間あまりのフライトの終わり近く、雲の上からヒマラヤの峰々が顔を見せた。真っ白なエベレストを和子がめざとく見つける。私は左にある山がそれと思っていたが、支部長から「あれはガウサンカール」と教えられる。かっては世界で一番高いと思われていた山だそうだ。エベレストの右にマカルー、ずっと離れてカンチェンジュンガも見えた。
            

右端がエベレスト
そうこうするうち、3年ぶりに懐かしいカトマンドゥのトリヴァファン国際空港に降り立った。これまでのヒマラヤ・トレッキングでは感じなかった、湿気を含む高い気温に少し戸惑う。出迎えの車で現地ガイドから、今年は雨期が長く、ようやく先週あたりから晴れの日が多くなったと聞く。今日の宿泊場所、ラディソン・ホテルは王宮の北にあり、ゴーキョピークの時もお世話になった豪華ホテルである。
ホテルに荷物を置いて全員で市内観光に出かける。ネパールは今、ダサインというお祭りの真っ最中。この国には雑多な民族が住み、宗教もヒンドゥー教や仏教の他に民俗宗教的なものを信仰するグループもあって、いわば年中、何らかの形のお祭が行われている。そのなかで最大の秋祭りがこのダサインで、14日間にわたる盛大なものである。休日は初日と7日目から14日目までの8日間で、今日はその7日目にあたる。
スワヤンブナートは小高い丘の上に立つ、ネパールで一番古いといわれる仏教寺院である。モンキーテンプルとも呼ばれるほど猿の多いお寺で、食べ物と間違えたのかカメラを獲られた人もいた。いつも正面から階段を登っていたが、4度目の今回は車で寺院の左側をかなり上まで登り、噴水のある池から正面奥へ参道を進む。
 始めて見るストゥーパ背後からは、手前に仏龕(ぶつがん)が並び、その向こうにストゥーパが見える。ストーパ右手のゴンパでは、厳かに勤行が行われていた。「万物の創造者(スワヤンブー)」である大日如来を祀るストゥーパには、緑の幔幕がかけられていた。
 境内から、しばらくカトマンドゥ盆地を眺める。ダサインで子供達が上げるたくさんの凧が青空を舞っている。
かってこの盆地は大きな湖だった。あるとき池中央の島に咲く蓮華の花の上に大日如来が姿を表した。文殊菩薩がその礼拝に向かう途中、この地には人々を苦しめる大蛇が住むと聞く。携えた利剣で山を切り開くと湖も怪物もなくなって、後に肥沃な盆地が出来た。文殊菩薩は小高い丘になった島の上にストゥーパを建立し、大日如来を祀ったという伝説がある。
 ところが実際に、カトマンドゥ盆地は3万年前までは湖で、文殊菩薩が切り開いたというチョバール付近の山が崩壊して水系が変わった結果、今の盆地が生じたということが地質調査で判明しているそうだ。伝説と科学の、何と不思議な偶然の?一致だろう。
次にダルバールへ行く。
 古い寺院が建ち並ぶ旧王宮前の広場は、世界遺産に指定されてから外国人観光客は入域料200ルピーが徴収されるようになった。晴れ着姿の鮮やかな色彩が狭い通りを埋め尽くしている。
 シヴァ寺院の基壇を登って縁側にでる。きれいなペイントを施した女の子の掌を見せて貰った。
シヴァ・パールヴァティ寺院の右に大勢の人が並んでいる。タレジュ寺院にお詣りするための行列である。王様一族の守護神を祀る高さ36.6mの寺院で、最近までこれより高い建築物を建てることは禁じられていたという。庶民が入れるのは年に一度のダサインの期間だけで、日本で言えば秘仏のご開帳といった感じだろうか?
 いつもお馴染みのカーラ・ヴァイラーブ、一本の木で作ったと信じられているカスタ・マンダブなどを見て広場を後にする。
 殆どの店がお休みのニューロードを、人々の間を縫うようにして通り抜けて車に乗り、ホテルに帰る。

2日。 6時半カトマンドゥを離れ、マイクロバスでベシサールへ。途中、サーダーのマイケルが車に乗り込む。彼の本名はテンジン・ドルジェ・シェルパ。エベレスト、ダウラギリなどの登頂経験を持つ優秀な高所シェルパだったが、足を痛め、家族の将来も考えて、安全なトレッキングガイドに転向したようだ。ドゥムレまでは、99年にカラパタールのトレッキングを終えたあと、チトワン国立公園へ遊びに行ったとき往復した懐かい道である。ドゥムレからポカラ、チトワン方面への道と分かれ、マルシャンディ川に沿った道を登って行く。
いくつかの村や町を通り抜け、予定より早く11時35分、ベルサールへ着いた。チェック ポスト横のレストハウスで昼食。カトマンドゥで積み込んだ「ふる里」の弁当を食べ、冷えたビールを飲む。
 テラスで見ていると、いろんな国のトレッカーが次々に車やバスを降りて、トレッキングの手続きをするために隣のチェックポストに入っていく。トレッキング許可証には裏に2,000ネパールルピーの領収証がホッチキスで止められていて、邦貨にして3,400円。ここではかなりの大金である。
ベシサールはかなり大きな町で、テント地はレストハウス前の道をずっと下って、もうひとつ坂を上下したロッジ裏にある。草地のテント場はとても暑いので、みんなで町はずれの河原に降りる。川では女性が水牛に水浴びをさせ、洗ってあげている。その横では子供達がブランコ遊びに興じている。このブランコは木や竹を組んだもので「ピン」といい、祭りの期間だけ大人達に作って貰う。この後も、どこの町でも村でもこのピンを楽しむ子供達を見かけた。 少しの散歩で汗まみれになって帰り、食事テントで重廣支部長のヒマラヤ登山の話を聞いたあとで夕食。日が落ちるとやや涼しくなり、夕食を終えて暗くなる頃にはテントの前をホタルが飛び交い、和子は大喜びした。

10月3日。
 夜半より時々激しい雨がテントを叩き、その度に目を覚ます。明け方雨が止み、安心して少し眠った5時になると、上のゴンパの拡声器から単調な祈祷のメロディーが流れ、ニワトリやツグミに似た鳥が騒ぎ出した。
 8時前、出発。20分の急登で町を見下ろすゴンパ(僧院)までくる。ゴンパの前で休憩。村々をつなぐ街道の所々にはこのような石で囲んだ休憩場所−チョータラがあり、大きな菩提樹などの木が涼しい日陰を作っている。子供達がキャロム−オハジキに似た遊び−に興じていた。
二度目はゴンパから一時間歩いたビンタビレの村で休む。マイケルの子供・ダワ君(9歳)も、ちょうど私たちの日程がダサインの学校休みと重なるので一緒にきている。将来、お父さんのような立派なシェルパになるべく、テントの中でも英語や日本語の勉強に余念がない。石垣の横にはタキギの束、家の前にはトウモロコシを干している、昔の日本の農村を思いださせる村々をいくつか過ぎていく。 右手の谷間越しに白い峰が姿を現した。ピーク29。K2と同じく測量番号で、現地名はNgadichuli。マイケルの発音では「ナティチュリ」と聞こえた。
日が昇るにつれ次第に暑くなった。見事な段々畑を見下ろしながら次第に高度をあげる。水場で昼食をしたが、暑いのであまり食欲がない。チキンラーメンに似た味の麺だけをすする。
 午後になると雲が出て、少し涼しくなる。急な石段を羊の群れと行き違いながら登る。最後のチョータラの休憩でパラパラと来たので傘を出して歩くが、間もなく雨も止み、車も通れるような広い道にでた。
13時過ぎ、標高1,620mのバグルンパニテント場着。朝から標高差800mの登りだった。
 靴を脱ぐと、右足に血を吸って丸々太ったヒルが付いていた。テントの中にも2匹入る。雨が降って出てきたらしい。テント場は何段かになった草の平地で、下の道はパグルンバニの村に続いている。道の向こうは水溜まりのような大きな池で、ガンの群れ、水牛、ヤギなどが次々に訪れる。その横にピンがあり、村の子が交代で遊んでいる。

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