キナバル登山記(2)




3日。1時半起床。早くも出発していく人がいる。下の食堂に降りてコーヒーを頼み、バームクーヘンや「コパン」で軽く腹ごしらえをする。2時半にロジャーが迎えに来て、ヘッドライトを点けて小屋の外に出る。寒さを覚悟していたが思ったほどではなく、上のロッジのまで登ったところで防寒具を脱ぐ。再び歩き出すと高い段差で急勾配の階段が連続し、しかも各国のパーティが一列になって登るので、何度も渋滞待ちでペースが乱される。見上げると一列に並んだライトがのろのろと動いている。朝食を殆ど摂れなかった和子が苦しそうで、何度も休んで後続に道を譲る。パナール・ラバンの岩場にさしかかると、右手から強い風が吹き上げロープが大きく波打っている。岩場を登り終えてトラバース気味に斜上、予定よりかなり遅れてサヤッ・サヤッ小屋(Sayat Sayat Hut.3668m)に着く。
 吐き気を訴える和子は登頂を断念して、ここで私たちを待つことを自ら決める。せっかく此所まで来てさぞ口惜しい思いだろう。毛布もない殺風景な避難小屋だが、他にも同じような人もいるので、まず心配はないと思う。残った3人でIDカードのチェックを受けて出発。すぐに広大な灰色の花崗岩の大斜面になる。太いロープが上に向かってずっと延びている。見上げると遙か遠くまで続くランプの灯りの上に、降るような星空が拡がっている。北斗七星の方向に向かって進んでいく。見下ろす町の灯がちらちら輝く。今度は私が軽い腹痛を覚えたので、しばらく止まってKさんに一人先行して貰う。歩き出すとライトの灯りに、昨日見た地リス?が走り去っていく。岩場の窪みに薄い氷が張っている。暗がりの岩陰に座り込んでいる人が何人かいて驚く。富士登山でよく見かける光景に似ている。

いつの間にか薄明るくなってきてライトを消す。ぼんやりと周囲の岩峰が浮かび上がってくる。行く手にサウス・ピーク、その右に目指すロウズ・ピーク(Low's Peak)がせり上がっている。高度の影響が出てきたのか足が重く、何度も立ち止まって深呼吸をくり返す。頂上まであと少し、富士で言えば測候所への急なスロープというところで、遂に日の出の時刻を迎えてしまった。ご来光の写真を撮り、またノロノロ動き出す。
最後は岩梯子のような急登で、すぐ頭の上に頂上の人影が見えているのに、まどろっこしいほど近づかない。左手に影キナバルが浮かび上がった。その写真を撮るのにまた止まる。とうとう頂上に着いた。いろいろな国の人が交代で記念写真を撮っている。その中に、寒い中、私たちを待っていたKさんの笑顔があった。 
狭い頂上には二つの標識があり、一つは山名と標高を、今ひとつはこの山に初めて登ったグンティン・ラガダン(現地人)の名が記されている。苦労した割には、今ひとつ登頂の感激が湧いてこない。どこの山の登頂記念写真でも一緒に写っている相棒の顔が、今朝に限って見えないのが実に淋しい。少し下の岩に腰を下ろしてテルモスのコーヒーを分け合って飲んだ。頂上滞在30分で、下山にかかる。
サウスとの鞍部から左に曲がると、登るときは暗闇でよく分からなかった岩峰群が間近に奇怪な姿を露わにする。
 左手にアグリー・シスターズ・ピーク(醜い姉妹)、ついでドンキー・イヤーズ(ロバの耳)を見ながら、花崗岩の長大なスロープをロープ沿いに下る。岩の上には描かれたような線もあり、初めは目印の白ペンキかと思ったが、ロジャーに聞くと「ナチュラル」だそうだ。そういえば違った岩質の筋で、人間業では不可能な規模のものである。
ロウズ・ガリーの深い谷(1,600mあるという)を挟んで急峻な岩壁の連なる岩山が見える。剣の八ツ峰のスケールを大きくした感じである。
急な下りになると、お尻をついて降りるような人も何人か見かける。長い岩場の下りを終え、サヤッ・サヤッ小屋の外に出て待ちわびていた和子と合流する。ラバンラタで朝食をとり、小憩後10時に小屋を出る。ロジャーは下まで4時間と言ったが、すっかり元気を取り戻した♀ペンが鬱憤を晴らすようにどんどん下って、中間地点のラヤンラヤンまでは1時間で下ってしまった。後は少しペースを落として花などを見ながら下り、登山ゲートで登頂証明書を貰って迎えの車に乗る。
 この山で気付いたことがいくつかある。まず登山道も宿舎も、最盛期の富士山や北アルプスのような混雑がなく、実に快適なことである。これは宿舎の関係で入山者が制限されているためで、この日の登山者数は約120人と聞いた。また下山時のガイドはピンク色のビニール袋を持っていて、ここにゴミを入れて持ち帰ることが義務づけられている。途中のシェルターにもゴミ箱が設けられているし、概ね清潔な環境である。ただ、登山道に落ちているタバコの吸い殻が残念だった。
 この山へ登るのに必要なのは、登山経験や技術ではなく体力である。現に、まったく山を知らないような若者達が空身に近い格好で歩いていた。好天だったので、短パン、スニーカー姿の人もいた。(ただし、下りで爪を痛めた様子だったが…)。日本人の団体を別にすると若い人のグループが多く、われわれのような平均年齢65歳近くの高年者パーティは珍しいのではないか。下山途中で知り合った可愛いマレーシア女性は、私の年を聞いて少し驚いていた。確かに登頂日の行程、登り標高差800m・平均所要時間3〜4時間、下り標高差2300m・平均所要時間6〜7時間は、高齢者には厳しい数字である。ラバンラタで出合った日本人グループは、この小屋で二泊したそうだが、こうするとかなり余裕を持って行動できるだろう。
 私たちは山中の二日間とも幸い天候に恵まれ、午後に付きものというスコールにも遭遇せず、無事に登山を終えることができた。気のあった仲間同士で楽しい雰囲気の中で、特異な山岳風景、珍しい動植物にも接することができて収穫の多い山行だった。



(附記)キナバル公園近くで中華料理(芳香炉)の昼食後、コタキナバルのホテルに直行した。途中、川の中で水牛が水遊びをしていた。シャングリラ系のホテルは豪華で部屋も良く、ビュッフェの品数の豊富さは驚くばかり。翌24日は様々な熱帯の花が乱れ咲くホテルの庭園やビーチを散歩した後、市内のショッピングセンターを見物。夜はホテルの庭で、月を仰ぎ海風になぶられながらバーベキューを楽しんだ。深夜、コタキナバル空港を立ち25日朝、関空に帰着。短いが充実した南国の旅を終えた。

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