太古ノ辻〜持経ノ宿〜行仙岳

大峰奥駈道(6)





奥駈第六回目は前鬼から太古ノ辻に登り南奥駈道に入る。いくつものピークを越えて無人の持経ノ宿で一泊。更に南下して行仙岳を越えるロングコースだったが、幸い好天に恵まれ、シャクナゲやヤシオツツジなど美しい花々に慰められながら予定通り踏破することができた。

【登 山 日】 2005年5月13 日(金)〜15日(日)
【メンバー】日本山岳会関西支部 14名、会員外 4名 計 18名
【コースタイム】
(13日)七重滝展望所17:45…前鬼小仲坊18:30
(14日)前鬼小仲坊6:00…両童子岩07:05〜07:18…太古ノ辻08:00〜08:15…蘇莫岳08:35…石楠花山09:05…天狗山09:25〜09:43…奥守岳(二七)10:00…嫁越峠10:16…天狗ノ稽古場10:41…地蔵岳(子守岳二六)10:50…鞍部(昼食)11:00〜11:33…般若岳(二五)11:53…滝川ノ辻12:15…最低鞍部(乾光門二三)12:33〜12:45…涅槃岳(二四)13:08〜13:27…証誠無漏岳13:50…阿須加利岳14:30…持経ノ宿(二二)14:50
(15日)持経ノ宿05:40…中俣尾根分岐06:23…平治ノ宿(二一)06:37〜07:10(朝食)…転法輪岳07:32…倶利迦羅岳08:05…怒田ノ宿(二十)09:30〜09:40…行仙岳(十九)09:55〜10:18 …行仙宿10:33〜11:03…三ノ川林道11:30…国道425線11:48


13日。天空から落ちるような豪壮な七重滝を見て、貸し切りバスは更に山深くへ。三つのトンネルを抜け終わったところまで進めてもらう。まだ明るい林道を歩くこと45分。汗びっしょりになって前鬼小仲坊に着く。五鬼助さんの暖かい笑顔に迎えられ、風呂で汗を流した後、おいしい夕飯を頂く。明日のコースについてお話を聞き、消灯の21時に横になると、すぐに眠り込んでしまった。
14日。宿坊の庭に咲く深紅のツツジが朝日に輝いている。前回の厳しい下りがまだ脳裏から去らず、やや不安な気持ちで出発する。パーティの先頭でゆっくり歩くが、すぐに汗ばんでくる。杉林を過ぎて広葉樹林帯に入り、二度川を渡り返して、更に強まった地蔵ノ尾の登りを頑張る。両童子岩で初めてザックを下ろす。新緑の中に薄紅色のシャクナゲとツツジの花が妍を競っている。存分に目を楽しませて、長い木道の登りにかかる。右手に仰ぐ大日岳の山肌にも、所々にピンクの色が散りばめられている。
低い笹原の登りになり、頭上の青空がぐんぐん広がって稜線にでた。「案ずるより産むが易し」二週間前に下りで要したのと同じ二時間で最初の難関を突破して、まずは一息つく。しかし、いよいよここから南奥駈道に入ると思い、気を引き締める。
最初のピーク・蘇莫岳へはヒメザサの中を登って岩上に立つ。いったん下った次の石楠花岳は、その名に恥じず満開のシャクナゲ林の中にあり、岩峰に登ると釈迦ヶ岳と大日岳が正面に見えた。しばらく明るいブナの林を行く。小さなコブを上下して着いた天狗山(1537m)の頂上は背の低い笹原で、広々とした大展望に恵まれた。ここからブナやミズナラなどの林が続く稜線の道を辿る途中で、西側に大きく切れ落ちたナギを二箇所通過する。奥守岳の標識を見て大きく下るとバイケイソウの大群落に出会う。きっとこの辺りは残雪が多い所なのだろう。

←天狗山から釈迦ヶ岳、孔雀岳
嫁越峠は『十津川村と北山村を結び、奥駆道が女人禁制であった時代には、幅一間だけ女性の通行が認められていたという(森沢義信氏「奈良80山」)』。今は単なる鞍部に過ぎず、花嫁が馬の背に揺られながら越えた風情を忍ぶすべもない。広々とした草地の「天狗の稽古場」を過ぎて、地蔵岳(1464m)への急登になる。しかし、それも10分程で終わり、あまり特徴のない頂上を通過する。下りになると背丈を超すスズタケの切り開き道になる。新宮山彦ぐるーぷの皆さんの献身的な奉仕で、楽々と歩かせて頂けることを本当にありがたく思う。般若岳への登りを控え、手前のコルで昼食をとる。東側の見晴らしがよい場所で、暑くもなく寒くもなく快適なランチタイムだった。
般若岳へは短いが急登である。頂上付近にはミツバツツジやアケボノツツジが美しく咲いていた。少し狭まった尾根道を下ると滝川辻で、西に下ると十津川側の滝川である。雑木林の中をさらに下った最低鞍部にくる。エアリアマップでは、ここに笹の宿跡、ヒクタワとともに剣光門の文字がある。宮家準氏「大峰修験道の研究」によると、「乾光門」の鳥居と金剛童子をまつった小祠があり、吉野から発心門、等覚門、妙覚門とこの乾光門で四門を越えたことになるので、ここから山上権現、釈迦、弁才天、さらに大峰一山を拝み返す所であったという。しかし鳥居や祠は見あたらなかった。森沢さんによると、本来の「拝返し」はこの先の聖誠無漏岳ではないかということである。次のピーク・涅槃岳(1346m)へも急な登りがある。山頂で一息入れるが、あまり展望はよくない。緩やかなアップダウンで聖誠無漏岳にきて、大きなシャクナゲの木が群がる中を下る。背丈より高い笹の緑とピンクの花のトンネルがしばらく続く。鎖のついた大きな岩を下り、再び鎖で登り返す。最後の阿須加利岳からは急坂をどんどん下る。急に小屋の屋根が見えて、予定より大分早く持経宿に着いた。
小屋では先着の男性二人が食事中だった。私たちが予約してある旨を告げると、快く1時間先の平治宿まで足を伸ばしてくれることになったが、気の毒で少し後ろめたい思いがする。未舗装の林道を400mほど下って水を汲みに行き、明るいうちに食事を済ませる。囲炉裏の周りに車座になって、薬罐で沸かしたお湯でお茶やコーヒーを頂く。暫く火を見ながら談笑したあと、用意された毛布にくるまって寝についた。
15日。雲海の彼方から深紅の太陽が昇る。すばらしいご来光を見て、小屋の掃除を済ませ出発する。林道を横切って山道に入ると、すぐ持経千年檜に出会う。横に新しい不動尊の祠があった。ブナやヒノキ、ミズナラなどの巨木を見ながら、小さいピークを上下する。中又尾根分岐の標識があるピークを下ると平治宿である。そっと戸を開けて見ると、昨日の二人はもう出発した後らしく、小屋はきれいに片づけられていた。小屋の前の広場で朝食をすませ、なだらかな道をしばらく進む。
わずかの急登で着いた転法輪岳(1281m)の頂上は樹木が多く、あまり印象に残っていない。少し下るとルンゼ状の岩の間に鎖場があり、ここでもシャクナゲが美しかった。岩と木の根で階段状になっていて鎖は不要と思ったが、私が手がかりにしたヒメシャラの太い根はパーティの途中で折れてしまったそうだ。倶利伽羅岳の頂上は狭いが、すぐ先の岩の上から、北方の釈迦ヶ岳や西の中八人山の展望が得られた。岩の横に咲くアカヤシオが青空に映えて得も言われぬ美しさだった。
急な下りを終えた鞍部で、思いがけず山彦グループの玉岡さんに出会う。とても八十歳近いと思えない若々しいお顔で、矍鑠としておられる。旧知の内田さん、中谷さんが懐かしそうに駆け寄られた。私は初対面だが、親切に今後の行程を教えてくださった上、行仙の小屋でコーヒーを沸かしておいたので飲んでいくように言ってくださった。ご一緒に写真に入って頂いて、平治宿まで行くという玉岡さんとお別れする。さらに二、三のアップダウンがあり怒田宿跡に来る。すでに行仙岳の登りにかかっていて、その中腹にある狭い平坦地だ。行く手高くに山頂が望まれる。指導標には10分とあるが、この時間ではとても無理だろう。今回では一番と思う程の急登で長い階段道が終わると、最後は右へ山腹を捲くように登って電波中継塔の立つ山頂に着く。行仙岳三角点(1227m)はその一段上の枯れ木の下にあった。振り返ると、これまで辿ってきた釈迦ヶ岳から延々と伸びる山稜が、重なるようにうねっていた。ようやく此処まで来たと思うと感無量である。西側に回ると中八人山が大きい。全員で記念写真を撮り、すぐ近くなった笠捨山を正面に見ながら下る。
行仙宿では新宮グループの女性二人がコーヒーの接待をして下さった。行者堂で勤行される森沢さんの後ろで般若心経を唱和させて頂いた後、美味しいコーヒーをお代わりして頂く。明るい尾根道の途中で浦向の登山口に降りる道と分かれ、ヒノキ林の急坂をジグザグに下る。セメント袋を背負った山彦グループの男性が登ってくるのと出会った。登山道補修のために休日を返上して汗を流されるのかと、安穏とその道を使わせて頂いていることを申し訳なく思う。
最後は赤い鉄ハシゴで四の川林道に降り立つ。かんかん照りの林道を両側に聳える大きな岩や新緑の山肌を見ながら下り、国道425号線に合流したところで待っていたバスに乗る。下北山温泉「きなりの湯」で山の汗を流し、ぐっと生ビールを飲み干すと疲れは一度に吹き飛んで、今回も無事歩き通せた満足感がひしひしとこみ上げてきた。

*このページで人物の入った写真は、森沢義信さんに写して頂いたものです。先達としてご案内頂いたこととあわせ、厚くお礼申し上げます。

 奥駈道7へ    紀伊山地の参詣道TOPへ       
inserted by FC2 system