弥山・八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜前鬼  

大峰奥駈道(5)



釈迦ヶ岳北面(浦上芳啓氏撮影)

行者還トンネル東口から登り、一ノ垰(タワ)から奥駆道を南下、弥山小屋で一泊。近畿最高峰でもある八経ヶ岳から、激しい起伏の連続する大峰山脈の稜線を釈迦ヶ岳へ。そしてかっての修験集落・前鬼に下る。歩行距離27キロ、二日目の所要時間は12時間に及んだ。

【登 山 日】2005年4月29 日(祭)〜30日(土)
【メンバー】日本山岳会関西支部 18 名、会員外 6名 計24名
【コースタイム】  漢数字は靡き(順峰)
(29日) トンネル東口10:57…天ヶ瀬分岐11:13…一ノ垰(五七)12:10〜12:45(昼食)…石休宿(五六)13:52…聖宝ノ宿(五五)14:15〜14:30…弥山小屋15:35…弥山(五四) 
(30日) 弥山小屋05:00…頂仙ヶ岳遙拝所(五三)…古今宿(五二)…八経ヶ岳(五一)05:25〜05:37…明星ヶ岳<行所>(五十)06:00…菊ノ窟(四九)06:05…禅師ノ森(四八)…五鈷ノ峰(四七)…鞍部(朝食)6:40〜07:10…舟ノ垰(四六)07:50〜08:05…七面山遙拝所(四五)08:15…楊子ノ宿(四四)08:30…仏性ヶ岳<行場>(四三)09:10…仏性ヶ岳<三角点>09:33〜09:48…孔雀ヶ岳…孔雀ノ覗10:48〜11:00…両部分ケ(四二)11:15…橡ノ鼻11:20〜11:25…空鉢ヶ岳(四一)…釈迦ヶ岳(四十)12:20〜13:00…都津門(三九)…深仙ノ宿(三八)13:38〜13:50…太古ノ辻14:15〜14:20…両童子岩(三三)15:10〜15:20…前鬼小仲坊(二九)16:10〜16:45…七重滝展望所17:30


 29日。バスが行者還林道を上っていくと、新緑の山肌に淡いピンクのヤマザクラがあでやかな彩りを添えている。トンネル東口から、前回終了地点の一ノ垰に向かう。去年秋、台風の影響で中断してから半年ぶりである。いよいよ奥駆の核心部に入ると思うと、未知の山域への期待と不安が交錯する。照葉樹林の中をゆっくりと高度を上げていく。空はあくまでも青く、気温も高いのですぐに汗ばんでくる。一時間ほどの頑張りで奥駆道にでて、一の垰近くの笹原の中で昼食をとる。火照った身体に稜線を吹き抜ける風が快く、やがて肌寒さを感じるほどになる。いったん緩く下ってトンネル西口からの道をあわせ、針葉樹林の弁天ノ森にくる。ここは石休宿で1600m標石があり、世界遺産関連の新しい標識がやたら目につく。ブナの林を通り、理源大師聖宝像が祀られている聖宝ノ宿にくる。ここからは、名にし負う聖宝八丁の急坂。朝から調子が出なかったが、小屋を目前にしてとうとう足がつりそうになり、脂汗を流しながら弥山小屋にたどり着く。
小屋に荷物を下ろし少し休んで元気回復、天河弁財天奥社のある弥山へ登る。社の裏にある「国見」から風倒木のシラビ林を見下ろす。八方睨に回ると、北に山上ヶ岳、大普賢から行者還、一の垰とこれまで歩いてきた稜線が、そして南には八経ヶ岳、明星、仏生、孔雀岳と明日歩く峰々が連なっている。釈迦ヶ岳のピークは遙かに霞んで見えた。「遠いなあ…」と溜息をつくような誰かの声が聞こえた。小屋に帰って夕食をすませ、早めに横になる。今日が小屋開きだが、連休の初日ということでかなり混み合っている。私たちは幸い一部屋を独占できたが、遅くまで廊下がざわめいていて、なかなか眠りつけなかった。
 ←弥山より残雪の八経ヶ岳を見る
30日。浅い眠りから覚めると、外はまだ暗い。戸を開けてでてみると、弱い風に濃い霧が流れて肌寒い。明るくなった5時、雨具をつけて出発。針葉樹林の中をしばらく下る。頂仙ヶ岳遙拝所を過ぎて、鞍部の古今の宿から登り返す。両側にシカ除けネットが張ってある道を、何度か戸を開閉して通り抜ける。勾配が急になると残雪が現れ、その上を踏んで行くところもある。八経ヶ岳には、予定よりも少し早く到着した。大峰山脈はもちろん、近畿の最高峰であり、役行者が『法華経』八巻を納めたといわれている靡きでもある。しかし霧の中で、期待したご来光は望むべくもなかった。三角点で記念写真を撮り先を急ぐ。 
明星ヶ岳は山腹を捲いていく。山頂を目指した数名とは行所を過ぎた分岐で合流した。まもなく、去年秋に頂仙ヶ岳からきた道の分岐にくる。この先は私にとって初めての道である。禅師の森を過ぎ、五鈷ノ峰を捲くように越える。少し岩場を下った広い鞍部で朝食にする。ようやく陽が高く昇り、小鳥の囀りが聞こえる。霧が薄れると五鈷ノ峰の奇怪な岩峰群が姿を表した。1658mPを越えると舟ノ垰である。大きな舟型をした窪みで、バイケイソウの緑の葉が美しい。少し休んで歩き出すと間もなく七面山遙拝所で、西の七面山へ分岐する尾根がある。美しく広がる笹原に腰をおろして、しばらく七面山東面の大岩壁を眺める。次の鞍部にある楊枝ノ宿には新しい小屋が建ち、二、三人の人影が見えた。 
 目の前に立ちはだかる仏性ヶ岳への登りにかかる。かなりの急坂を登っていくと行所があり、更に登ったところから少し引き返す形でピークに立つ。針葉樹林に囲まれて無展望で、明星ヶ岳と似た感じのところだった。元の山腹道に戻って少し下り、緩く登り返すと倒木の多いところを通る。跨ぎ越えたり、下を潜ったり。「これも修行のうち」とMさん。孔雀岳も山腹を捲いていく。この横駆けの途中で、烏ノ水という美味しい湧き水を一口づつ頂く。ちょうど最高点の下を過ぎる辺りでは、登山道が凍結しているところがあった。この辺りからが奥駆道最大の難所ということである。孔雀覗きで暫く休み、遠く左手下方にニョキニョキと立ち並ぶ、五百羅漢、十六羅漢という名の岩峰群を見おろす。
しばらく進むと小尻返しという岩がある。「刀の鐺の意味でしょう」と先達の森沢さん。山伏が帯刀していたことをうかがわせる言葉である。続いて「貝摺り」という岩の裂け目を通る。これは法具である「法螺貝がこすれる」という意味であろう。次のやや大きな岩の裂け目を「両部分け」という。大峰を金胎両部の曼茶羅と見なし、吉野からここまでが金剛界、ここから熊野までが胎蔵界としたものである。ただし、この両部分けの場所については異説もあるらしい。次の大岩壁をトラバースしていく曲がり角が「橡(えん)の鼻」である。岩の下に蔵王権現像があり、たくさんの碑伝が打ってあった。鼻を回ると釈迦ヶ岳が正面高く聳えている。「橡の鼻まわりて見れば釈迦ヶ岳、弥陀の浄土に入るぞうれしき」 
最低鞍部までには、更に馬の背と呼ばれる所を通る。ただし穂高の馬の背に比べると広い背幅で高度感は少ない。杖捨を過ぎると、ようやく最低鞍部に着く。単独行の若い女性が休んでいた。ここから釈迦ヶ岳に向けて急登が始まる。あせらずにゆっくりと高度を稼ぎ、思ったよりも楽に頂上に立つことができた。何年ぶりかでお目にかかるお釈迦様が、暖かいお顔で出迎えて下さった。思わず手を合わせ般若心経を唱える。連休の日曜日、一等三角点の山頂は老若の善男善女で大賑わいだ。やや雲が出てきたが、大峰主脈、台高山脈、奥高野と素晴らしい展望が広がっている。山頂で昼食をとる。

釈迦ヶ岳山頂にて(浦上氏撮影)
笹原を少し下ると、前にきた木屋林道からの道が岐れる。極楽の東門といわれる都津門の岩洞を左手に見て、どんどん下ると深仙宿に着いた。灌頂堂が建つ広場には幕営する親子連れもいた。間近に五角仙(三六)の岩峰が並び、行く手には大日岳(三五)が聳えている。四天岩の下、岸壁から滴り落ちる香精水は枯れていた。小憩後、少し登った聖天ノ森(三七)から大日岳の基部を捲くようにして太古ノ辻にくる。「これより南奥駆道」の大きな標識があり、前鬼へは左に急坂を下る。最初は長い木の階段道が続く。続いて荒れた沢の横にでて、再びトチやナラの林に入る。制多迦童子・衿掲羅童子の両童子岩の下に薄紅色のミツバツツジの花が浮かび、山あいには既に夕暮れの気配が漂っていた。
前鬼までは、かなり遠く感じた。スズタケの切り開き道、草付きの急坂、さらに河原にでて流れを二度渡り返し、ようやく小祠が建つ平坦地にくる。立派な石垣の屋敷跡を見て、小仲坊の横に降り立つ。本来なら少し下でバスが迎えてくれる筈だが、道路が復旧工事中なので更に七重滝まで歩かなければならない。小仲坊で缶ビールを飲んで元気をつけて、舗装された林道をどんどん歩く。道路の崩壊場所を通り暗いトンネルを三つ抜けて、ようやくバスが待つ七重滝展望台に到着する。思ったより疲れもなく、長い念願のコースを歩き通した喜びに浸りながら、バスに揺られて帰途についた。 


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