小 辺 路 ( 1.伯母子越)



【登 山 日】2006年3月25 日(土)〜26日(日)
【メンバー】JAC関西支部 15名、会員外 9名、計24名


小辺路(こへち)は大辺路、中辺路とともに「紀伊路」と呼ばれ、険しい峰や峠を越えるため、三つの紀伊路の中で一番厳しい道とされている。高野山と熊野の二つの霊場を結ぶ最短の道だが、その全長は70qに及ぶ。今回はJAC関西支部創設70周年記念山行「紀伊山地の参詣道」の一環として、その前半部を歩いた。
24人のパーティで高野山金剛三昧院前を午前10時にスタート。道脇のバイカオウレンを見ながら、かなりの急坂を登ってろくろ峠に出ると、雲一つない快晴の空の下に高野の山が連なっている。ここからは平坦で明るい尾根歩きになる。行く手の無線中継塔の立つピークは1012.4m峰で、薄峠はその50mほど手前にある。せっかく稼いだ標高差200mを吐き出して、ここから御殿川(おどがわ)の畔まで一気に300m下る。美しい清流にかかる真っ赤な鉄橋を渡ると、再び急な登りになる。何度かジグザグを繰り返して車道に出ると、そのすぐ上に新しいトイレと休憩舎があった。ここが標高800mの大滝(新家)である。
 休憩所前の民家から出てきた人が「あなたたちは精進がいいから、今日は滅多にないいい天気だなあ」と話しかけてきた。「かって20軒あった集落が現在は8軒に減った」ことなど話して、「高野山〜水ヶ峰」のパンフレットを下さった。昼食を始めると大きなビニール袋を持ってきて、弁当などのゴミを入れるようにという。私たちは持ち帰ることにしていると辞退したが、「私たちがお客として迎えたのだから」と重ねて言われて、好意に甘えることにした。 この辺りではコウヤマキの栽培が盛んで、たくさん挿し木がしてある。その横にはシャクナゲの苗木も植わっていた。
コウヤマキの緑の間から先程降りてきた薄峠の無線アンテナが光って見えた。最後の民家を過ぎると舗装は終わるが、広い道が山腹を捲くようになだらかに続く。やがて高野龍神スカイラインに出て、車の往き来する横を歩く。15分ほどで立里荒神への分岐があり、少し入った広場からは大日岳、稲村ヶ岳から弥山、八経ヶ岳、そして仏性ヶ岳へと続く大峰の山々が一望できた。八経ヶ岳には雪が残り、その上に白い雲を浮かべている。釈迦ヶ岳の姿は手前の荒神岳に遮られて見えなかった。
美しい絵入りの案内図板が立つ所でスカイラインを離れ、山道に入る。水ヶ峰への登りはやや急だが短くて、間もなく林道の通る峠状のところに来た。左手にあるピークを求めて少し行くと、「水ヶ峰へ15分」の小さな標識がある。楽に往復できる距離なので不満顔の人もいたが、後の行程を考えて諦めて貰った。真っ青な空を背景にして白いブナの樹が並ぶ尾根通しの広い道を辿る。道脇の高みに登ると双耳峰の荒神岳と大峰山脈の眺めが美しい。水ヶ峰集落跡を過ぎて舗装林道に合流し、四阿があったのでティータイムの大休止をとる。
 ここからは林道と古道を交互に出入りする格好で歩く。平辻には錫杖を持った古い石仏が、脇に小さい仏を従えるように一緒に佇んでおられた。仏像の両側に「右くまの本宮これより十四里半、左 ざい志やうみち…」と彫ってある。大股への分岐で林道を離れる。ガイドブックでは階段道を尾根にあがるようになっているが、民宿の看板は左の広い道を指している。新しくできた道のようで、これを下っていくと尾根からの道に合流し、ジグザグに下って川に出た。橋を渡ったところが大股バス停で、公衆電話で連絡すると、すぐに3キロ離れた「ホテルのせ川」から迎えのバスが来た。ゆっくり温泉に浸かり、雉肉の小鍋や鹿肉のカツ、アマゴの塩焼きなどの山の幸を賞味して、16q、6時間を歩いた疲れを癒した。
【コースタイム】 (25日)金剛三昧院10:00…ろくろ峠10:15…薄峠10:50〜11:00…大滝11:50〜12:25(昼食)…スカイラインに出る13:00…立里荒神への分岐13:15〜13:27…水ヶ峰分岐13:50〜14:05…休憩舎14:40〜15:00…平辻15:30…大股16:10

 2日目は大股バス停から、いきなりの急登で始まった。集落最後の民家を過ぎると左に水道施設、右に墓地がある。その少し上の登山口標識を8時ちょうどに通過。今日は昨日とうって変わって、どんよりとした曇り空である。急だがよく整備された道がジグザグに続いている。ゆっくり登っていると、高校生くらいの若い男女4人と単独行の男性(先生?)が元気に追い越していった。その後は、伯母子岳頂上で中年のペアに会うまで誰にも会わなかった。そういえば、昨日は終日、他の登山者を見かけなかった。途中のエスケープルートがある中辺路と違って、安易な観光気分では歩けない道だと改めて思う。杉林の中を小一時間登って、小広い平地になっている萱小屋跡に来る。
 道は自然林の中を行くようになり、ふわふわの落ち葉を踏んで行く。檜峠は「弘法大師が捨てた箸が檜になった」という伝説の残るところである。「伯母子山頂まで1.9q」の標識があった。平坦な道になって夏虫山分岐を過ぎると、目指す伯母子岳のなだらかな山容が、葉を落とした自然林越しに次第に近づいてくる。四つ辻になったところに「護摩壇山遊歩道」の標識があった。右は護摩壇山、左は小屋への道標もある。直進して、小辺路での最高点・伯母子岳山頂へ登る道をとる。
10分あまりで登り着いた1344mの山頂は広々として、視野を遮るものがない。快晴の昨日ほどではないが、大峰山脈、奥高野の山々がずらりと居並んで出迎えてくれた。記念の集合写真を撮り、やや滑りやすい道を小屋のある伯母子辻に下る。頂上に着いた時みかけた夫婦は、先に三浦口に向かったらしく姿がない。ここへは轍の跡がある林道が登って来ていて、小屋の裏にはバイクも置いたあった。風を避けて、淡い日だまりの斜面に腰を下ろし昼食の弁当を食べる。
「十津川村三田谷12q」の標識の指す道を、左に深い谷を見下ろしながら下る。右手斜面や谷の所々に白く雪が残っていた。急斜面にへばりつくような細い道の所々で、新しい橋が架かったり道が均されたりしている。標高差100m、45分ほど下って上西家跡の台地に来ると、伯母子岳はすでに見上げるように高く遠くなっている。しばらく休んで歩き出すと、山仕事の格好の男女3人が登って来た。この人たちが道を整備されているのかも知れない。
(写真:浦上芳啓氏)
この先で沢が抜け落ちたようなところがあり、「熊野参詣道 小辺路」と彫った石に埋め込んだ新しい標識が右手の斜面を指している。少し先には「この道は小辺路ではありません。引き返して下さい」の立て札があった。下り一方だと思っていたので少しがっかりしたが、古い道が荒れているのだろうと想像して斜面の道を登る。登りが終わって自然林の中で少し休んだあとは尾根通しに進む。予想外に古くからある道のようで不審に思っていたが、後で地図と見比べるとこちらが旧道だった。どうも最近になって見付かった道を整備中のようだ。いったん沢に下り、再び尾根に登る。要所には例の新しい標識があり心強い。
 ヒノキやスギが植林された、個人の持ち山の中を行くようになる。山仕事の道と何度も交差するたびに、「山道です。小辺路ではありません」と親切な表示がある。小辺路は巡礼道であっただけでなく、生活の道でもあったことを改めて知らされる。更にいい加減うんざりするほど下ると石畳の道になった。「待平屋敷跡」という広場を過ぎると、木の間からちらほらと民家の屋根などが覗えて、人里が近くなったことを知る。
下るほどに川のせせらぎも次第に大きくなり、真っ赤な鉄橋と、対岸のトンネル手前に迎えのバスが見えた。ここで伯母子岳で会った夫婦に追いつく。朝、私たちより30分ほど早く出て、今夜は十津川泊まりだそうだ。
 下りきって舗装路に出ると、「熊野参詣道小辺路(三田谷〜伯母子)登山口」の大きな標識があった。三田谷にかかる鉄橋を渡り、待っていた貸し切りバスに乗り込む。今日は16q、休憩を含めて7時間の行程だった。幸いに二日間とも天候に恵まれて無事に長い道のりを歩き通し、担当の責を果たせたことにほっとして帰途についた。
【コースタイム】 (26日)大股07:50…伯母子岳登山口08:00…萱小屋跡08:40〜08:50…檜峠09:45〜09:55…夏虫山分岐10:00…峠への分岐10:25…伯母子岳(1344m)10:40〜11:00…伯母子峠11:10〜11:45(昼食)…上西家屋敷跡12:25〜12:35…尾根上の小ピーク13:50〜14:00…侍平屋敷跡14:20…三田谷鉄橋14:45…五百瀬(バス発)15:00

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