果無山脈東部縦走 


【登 山 日】2005年3月27 日(日) 晴れ
【メンバー】JAC関西支部 17名、会員外 7名、計24名
【コースタイム】安堵山と黒尾山の鞍部7:30…黒尾山08:07…冷水山08:33〜08:50…カヤノ壇09:26…公門谷のアタマ10:10〜10:25…筑前タワ10:47…1117mピーク 11:05…ミョウガタワ11:11…1158mピーク 11:28…(昼食11:50〜12:25)…ブナ平12:35…石地力山13:05〜13:17…果無峠13:45〜13:55…果無登山口15:05〜15:15…蕨尾バス停15:55


果無山脈…なんと夢をかき立てる魅惑的な名前だろう。「大和 青垣の山々」(奈良山岳会編、1973)には『「十津川の桑畑から紀州田辺の牛の鼻まで二十里」とは土地の人いう果無山脈の全容である。桑畑から発した果無山脈は果無東山、果無西山、安堵山、和田森と紀和両国を分けて二十余キロ連なり、なお南西へ笠塔山、虎ヶ峰とその名の通り果てしなく続いている』と記されている。「いつかは歩いてみたい」と思いながら、なにしろ交通不便な山域だけに、これまで長い間果たせなかった夢であった。今回「紀伊山地の参詣道シリーズ」として、このルートもJAC関西支部創立70周年記念行事の一つに取り上げられ、やっと長年の夢が叶えられることになった。
26日朝、貸切バスでアベノを出発、高野山経由で龍神へ向かう。スカイラインに入ると残雪が現れ、昼食場所の護摩壇山へは一部分、壺足で登る。山頂は風が冷たく、数人を残してバスに帰って昼食をすませる。今日は、宿泊場所までバスで行くだけで、時間がたっぷりある。途中、美人の湯で名高い龍神温泉の元湯で一風呂浴びていく。
16時、丹生ノ川沿いの「ヤマセミの郷」に着く。廃校になった小学校跡を含む広い敷地に、キャンプ場やコテージが点在している。ログハウス風コテージは入浴と食事の施設がある「丹生ヤマセミ温泉館」の対岸にあり、「温泉館」から少し離れているのが難点だが、地元の木材を贅沢に使った清潔で暖かみを感じさせる建物である。夕食は長い橋を渡って「温泉館」へ行く。足許には無数のフキノトウが顔を出している。観光用の野猿で川を渡った人もあったが、金属製でかなり重量があったので手が痛くなったそうだ。大きな梁の下の座敷で、猪鍋と山菜のテンプラなど土地の香りいっぱいの夕食に満腹し、コテージに帰ってからも暫時、山の話に花を咲かせて寝についた。

27日7時、迎えのバスに乗り、狭い県道を登って広域林道龍神本宮線に出る。快晴で、フロントグラスから差し込む日の光が眩しい。ところどころに落石がある安堵山の山腹を絡み、黒尾山との鞍部、登山道に出会ったところで車を降りる。すでに標高1000m、ひんやりとした冷気が体を包む。真っ青な空の下に大塔山系の峰々がずらりと並んでいる。
見事な眺望に見とれる間もなく出発する。木の階段を少し上った小広い展望所から、背丈を超すスズタケを切り開いた道になる。少しの急登で笹原を抜けると1222mピークを越え、ブナやリョウブの自然林の中を行く。ふわふわの土を踏んで疎らに雪が残っている道を行くと、ウグイスが盛んに鳴いてうららかな春の風情である。黒尾山頂(1235m)に立つと、葉を落とした木の枝超しに冷水山が逆光で黒く見えた。いったん下って登り返すが、暖かい陽を浴びて次第に体が火照ってくる。
冷水山は標高1262m、一等三角点が埋まり、「果無山脈最高峰」の山名板がある。南北が開け、和州、紀州両側の重畳たる山並みを望むことができた。山頂で汗を拭っていると数人のグループが登ってきた。「東紀州テン・マウンティン」の人たちで、私達と同じコースで十津川に降りるという。果無集落に車をおいたパーティと途中で交差して車のキーを交換するそうだ。いかにも地元らしい、長い縦走の解決策に感心した。このグループとは、果無集落に下るまで何度か前後して行動することになった。
冷水山からは幅広い尾根となって明るい疎林が続く。ピークともいえない林の中の通過点に、カヤノダンを示す小さい標識があった。密生したスズタケの中の急な下りとなって、抜け出すと南側が大きく崩落している崖の上にくる。ワイヤーロープで土止めの金属ネットが張られている。公門の崩(ツエ)といわれるところで、ここからも大塔山系がよく見えた。少し登った「公門谷ノ頭」で小休止する。白い雪を頂いた釈迦ヶ岳から笠捨山に続く、大峰山系南部の山々が眺望できた。雪が消える来月からは、再び奥駈道の通るあの稜線を歩く楽しみが待っている。
公門ノ頭から自然林の中に入ると、尾根の幅が広くなり踏み跡が錯綜している。先頭集団は手分けして枝につけられた小さな目印を探し、それをたどって下る。左手稜線にシカ除けネットがあり、それに沿う踏み跡を下った最後尾の人たちとは、筑前タワで合流した。北側は倒木が積み重なるような斜面で、正面に釈迦ヶ岳はじめ大峰南部の山々がよく見えた。ここからは美しいブナやヒメシャラの林の中、はっきりした道となってP1117、P1158など小さなピークを上下していく。ブナ平は狭いということで、疎林の中で昼食となる。ヤマセミ館で用意して貰った弁当は、近頃では珍しい、心のこもった本格的なものだった。おいしく頂いて、腹がくちて重くなった足を励まし出発する。
予想通り10分ほどでブナ平の標識があり、そこを過ぎて少し登ったところにすばらしい展望地があった。南側が開け、眼下に蛇行する熊野川が光る。大齊原の大鳥居が小さく小さく見える。去年秋の中辺路、先月の法師山の帰りと二度も潜った懐かしい想い出がよみがえる。大雲取、小雲取の山並みも私を招いているようだ。
わずかな登りで石地力山(1139.5m)である。ここは冷水山が果無西山と呼ばれるのに対して、果無東山と呼ばれたところ。伐採された西側斜面が開け、振り返ると朝から歩いてきた峰々が延々と続いている。冷水山は稜線の右肩に小さく頭をのぞかせている。その右手には牛廻山、護摩壇山が見え、山座同定に忙しい。いったん100mほど下って、最後のピーク1114mに登り返す。高度が下がり、シキミやサカキなどの緑が目につくようになった。まだ蕾ながらアセビの花も見る。
急坂を下るとスギ林の中の果無峠に到着。十津川から本宮へ通じる小辺路の最終行程・果無越えで、西国三十三カ所をかたどった観音さまの第十七番目が安置されている。角の取れた宝筺印塔もあった。地図の「果無山脈」の字はここから西の尾根上に書かれ、尾根の末端は二津野ダムの方に向かっているが、破線路は峠でT字形に行き止まりになっている。小憩後、「十津川へ6.5キロ」を示す標識に従い、杉植林の中の整備された道を下る。
ところどころに「世界遺産熊野古道・十津川村」の旗が立ち、千手観音などの石仏に出会う。正面が開け、大峰山脈がきれいに見えるところで少し右へ折れ、観音堂でトイレ休憩。お土産にと、冷たい湧き水をポットに入れる。山口茶屋跡や天水田などの旧跡を通り、急坂を下ると果無集落の車道に出た。ここは正面に行仙岳が、また釈迦ヶ岳や玉置山も望める景色のいい台地である。テン・マウンティングループが車に乗り込んでいる。私達は更にあと40分、最後の頑張りが必要である。「世界遺産・小辺路」の石標があり、スイセンの咲く民家の庭先から古い石畳の下りが始まっている。かなりの急坂で、石が緑に苔むしていて雨でも降っていれば嫌なところだろう。疲れた足を励まして、三々五々に下る。
眼下のエメラルド色の川と赤い鉄橋が次第に近づき、対岸に迎えのバスが見えた。下り終えて、案内板と去来歌碑の建つ蕨尾バス停に着くと、バスのドライバーと約束した16時まであと5分、朝から8時間半の行程だった。下山後に温泉で汗を流す時間がなかったのが残念だったが、のどかな春の陽を浴びながら待望の山道をたっぷり歩くことができ、満ち足りた想いで帰途についた。


紀伊山地の参詣道indexへ                 
inserted by FC2 system