カムチャッカ・アバチャ山(1)


2008年7月24日〜28日



JAC関西支部の海外山行「カムチャッカ・アバチャ山登頂5日間」に参加した。普段はアプローチが難しい土地だが、この夏は関空から直行チャーター便が出るので手頃な日数で行けるようになった。緯度が高いため、日本では高山でしか見られない花々が低地でも見ることができるという。しかし、ネットで以前に行った人のレポートや、藤田健次郎さんの「アジアの山紀行」を読むと、一日でBCから標高差1900mの往復はかなり厳しそうである。足の衰えを自覚しだした年齢の私が、果たして登頂できるだろうか?今回は参加できない和子に付き合ってもらって、7月に入っても八経ヶ岳や勝負塚山、金剛山などで一応の足慣らしはしたものの、次第に膨らむ不安と期待のうちに出発の日を迎えた。

7月24日。
10時45分、関空に集合。TLは同じ関西支部の仲間で、登山中心の旅行会社・ATS社に勤務している鹿田さん。メンバーは彼を含め男性7名(うち会員外1)、女性4名の計11人である。
搭乗したチャーター便の機材はツボレフTu-154?で、どうも中古品のように思えた。150人ほどの乗客のほとんどが日本人で、他の旅行会社も含めて何パーティかがアバチャ山麓に入るようだ。
 座席が狭いので前のテーブルが腹につかえるのはともかくとして、離陸までのタクシーイングの間、機内が暑いのには閉口した。隣席のMさんが持ち込んだ大吟醸酒をありがたく頂戴しながら、4時間のフライトでペトロハバロフスク・カムチャッキーという長い名前の空港に着く。 
もう現地時間では午後9時前(時差+4時間)だが、まだ夕暮れの明るさである。気温はそれほど低くなく、長袖シャツで十分。バラック建築のような建物で入国審査を受ける。
窓口が三つあって女性係員が非常に丁寧というか、慎重にというか、時間をかけてゆっくりとパスポートと入国カードを調べる。
 そこを抜けるとバスターミナルの待合室のようなところで、アバチャ山をバックにした空港の大きなパネルがあった。ここで現地エージェント・カムチャッカインツール社のスルーガイド・スラーワ君の出迎えを受ける。全員が揃うのを待って、やっとバスに乗り込みパラトゥンカ温泉郷に向かう。
スラーワ君は27歳、東京に行ったこともあるそうで、たどたどしい日本語ながら勉強熱心な好青年である。彼から車内でカムチャッカの概況説明を受ける。カムチャッカのカムは魚、チャッキは燻製の意味で、カムチャッカ半島の形が「鮭の燻製」に似ているからそう呼ばれたという。「大昔にどうしてそんな地形と分ったのか、不思議な暗合だ」と鹿田TLの補足説明があった。面積は日本の約1.3倍もあるのに、人口は州全体で約40万人、その半数が半島南部の州都ペトロパブロスク市に集中している。中心産業は漁業だが、資源の豊富な林業やエネルギー産業は資金不足のためかそれほど盛んではないという。また、カムチャッカでは毎日のように地震が起こる。それは火山が多くその活動が活発なためで、半島全体で約300の火山、うち活火山は29あり、私たちが向うアバチャ山もその一つである……云々。
アバチャ山とは反対の南東に走ること40分ほどで、パラトゥンカ温泉郷に着く。緑の木々に囲まれたソルネチナヤ・ホテルは日本でいえばロッジか民宿風で、小さなロビーには、ヒグマと老人が一緒に遊んだり、釣りをしたりしている写真が貼ってある。ペットかと思ってスラーワ君に聞いてみると、「この人は学者でカムチャッカのヒグマを長い間研究していて、最後はヒグマに噛まれて死んだ」ということだった。
 気の良さそうな中年女性が案内してくれた部屋は質素だが清潔で、シャワーもあった。食事は少し離れたレストランでする。奥にディスコが付属していて照明がピカピカ点滅している。その向こうには温泉(プール)もある。初めて飲むカムチャッカの地ビールは割合に美味かったが、何故か食欲がなく料理は殆ど口にできなかった。またトイレの水が少しずつ出たままで、夜の間中、水音が聞こえて殆ど眠れなかった。

25日。
曇り。カマスという大形改造バスでアバチャへ向う。カマスは軍用トラックを改造した六輪車で、前の運転室(二輪)と後ろの客室部分(四輪)は独立している。最初は客室を牽引する格好だが、道が悪くなると全輪駆動に切り替えていた。短い梯子を登って客室に入ると、通路を挟んで二人掛けのシートが二列並んでいる。一番前の席だけ向かい合わせで、そこへスラーワと向かい合わせに座った。
9時出発。途中、エリゾボの街のスーパーでウォッカとビール、酒の肴を仕入れる。次は自由市場(フリーマーケット)へ。野菜・果物・菓子などの食料品、衣料品・家庭用品・玩具などの日用品まで何でも手に入る。サケやタラなどの燻製や干物なども外の屋台だが、鮮魚だけは建物の中で売っている。
町はずれに来ると舗装道路は終わり、道脇にはヤナギのような木が並び白い綿毛が風に舞う。それが途切れるとヤナギランのピンク、ナタネの黄にシシウドの白が織りなす美しいカーペット。シラカバやタケカンバが多くなり、間もなく水の枯れた広い川床に入る。カマスは凹凸の激しい道なき道を激しく車体を揺らし、砂埃を巻き上げながら突進していく。しっかり窓枠にしがみついていないと座席から振り落とされそうで、居眠りもままならない。
2時間ほどカマスに揺られながら次第に高度を上げ、最後は砂礫の段丘を乗り越えて標高800mのベースキャンプに着いた(12:30)。他のパーティを乗せた何台かの改造バスも次々と到着する。我々を歓迎するように灰色の雲が薄れて青空が広がってきた。ラクダ山とアバチャ山が姿を現したが、コリャーク山はまだ雲の中だった。緑の壁に茶色の屋根のコンテナ型の建物が10数個、少しずつ間をあけて配置されている。
われわれの宿泊棟は内部は二室に分かれ、それぞれ上下のベッドが二つずつある。つまりコンテナ一つが8人用のコテージとなっている。男性は全員が9号、女性は8号の半分に入る。
 地リスが現れて辺りを駆け回っている。コンテナの下にも巣穴があり、すぐに慣れて食べ物をねだりに来た。少し大きい建物にある食堂で昼食のあと、足慣らしにラクダ山へトレッキングにでかける(14:10)。

 登山ガイドのワレンチン、ニコライ両君が紹介され、地道の林道を正面に双耳峰を見ながら行く。右側の尖った岩峰のほうが少し高いようだ。30分ほど歩くと右手に広場があり、古い車両のような建物がいくつか放置されている。廃墟のように見えるが、冬季オリンピックのスキー選手の強化合宿が行われた場所で、今も冬になると後の斜面にリフトが架設されてスキー場に変身するそうだ。
ここまでは車の轍も残っていたが次第に山道らしく細くなり、山裾を右に捲いていく。右手に大きな雪渓が現れ、その縁の斜面を何人かが駆けるように下ってくるのが見える。明日、私たちも下山ルートとしてそこを通ることになるようだ。
しばらく登って雪渓に下り立ち、雪を踏んで登り切ると肩のようなところに出た。左に折れて、がらがらの岩屑の道を急登してコルに出る。一息入れて、下からは槍の穂先のように見えた左の岩峰に登る。スラブのトラバースもあり、ちょっぴり高度感があって面白かった(16:10)。
コルに帰ってしばらく休み、低い方のピークを捲いて別の肩に出る。先ほど登った岩峰の上に明日辿る長い稜線が見えた。
19:10 帰着。夕食まで宿舎のコンテナ前のテーブルでビール、ウォッカを楽しむ。肴はRさんが市場で買ったスモークサーモン。コンテナは想像していたよりも快適で、シュラフもきれいだった。二段ベッドの下段で寝たが、上のMさんが動くと大きく揺れて地震かと思って二度ほど目を覚ました。

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