越南・柬蒲塞 紀行




2009年 3月 19日(木)
晴れ。今日から一週間のヴェトナムとカンボジアのツアー。18時40分発のベトナム航空で、シートの映画を見ているうちにハノイに着く。入国手続きがスローモーな上に、参加者21名のうち、岡山の農業78歳が早くも空港で迷子になって40分ほど待つ。ようやくバスに乗ってホテル到着は0時を過ぎ、荷物整理とシャワーを済ませて寝たのは、20日の1時40分になった。


3月20日(金)  ハロン湾クルーズ
Thang Loi Hotel は大きな池に面していて、早朝から漁にでる小舟が見える。
 8時20分、小雨模様の中をバスで出発。車内はギンギンに冷房が効いているが一歩外に出ると蒸し暑い。信号無視で突っ走るバイク集団をかき分けるようにしてハノイ市街を抜けて郊外に出る。
 広い道の両側は延々と田園が続く。菅(シュロ)笠を冠って田の草取りをする人、草をはむ牛など昔の日本の農村風景に似ている。
淡い紫色のホテイアオイの大群落があった。水溜りに水牛が浸かっているところはベトナムらしい。料金所のようなところを過ぎて町に入る。
 道の両側に並ぶ家は白、緑、赤茶色に塗られた3階建てで、道に面した側だけが各階とも立派なテラスを設けているが、隣家に向いた方は窓がなくのっぺりしたコンクリート壁である。四角いコンクリート箱の箱を作って前だけ窓を開けて色を塗った感じ。 
町並みを抜けるとまた田圃、を何度か繰り返してちょっと大きな町ハロンに入る。
 船着き場には驚くほどの数の観光船が、びっしり並んでいる。ぐらぐら揺れる板を渡って船に入る。
出航後すぐベトナム風海鮮料理の昼食。ハマグリの酒蒸し、海老唐揚げ、春巻、イカのテンプラ、カニ、キャベツなど野菜炒め.、珍しいゾフィという魚が出た。ガイドは海のフナと説明したが鯉に似ている。オコワはゴマ粒状の豆が入って黄色だが、これが結構うまい。ローカルビール「BBB」(バババと読む)一缶3ドル、それに1ドルのコーヒーを飲んだ。
食事中に雨は止んで、デッキに出ると海の桂林の名に恥じない美しい光景が次々と展開した。
 水上生活者の村には学校もあり、小舟に乗った物売りの子供が菅笠を売りにきた。無人島に上陸して大きな鍾乳洞に入る。内部は色とりどりに美しくライトアップされていた。
帰りも同じ道を突っ走ってハノイに帰り、ベトナム料理の夕食。春巻、ソーセージ、牛肉甘煮、野菜、スープ、デザートにモンキーバナナ。娘から聞いていたフォーという麺が美味かった。思ったより大きい劇場で満員になる人気の水上人形劇を見る。水をテーマにした3分ほどの劇が17題目演じられたが、スピーディな動きにユーモアが加わり見応えがあった。ホテルに帰ると空には大きな三日月と星が明るく輝いていた。

3月 21日(土) ハノイ
曇のち晴れ。8時半、ホテルを出てハノイ市内観光に。まず、ホーチミン博物館の前を通って
一柱寺に行く。蓮の花を模して、本堂が一本の柱で支えられている珍しい建築形式の仏教寺院である。1049年建立だが戦争で破損し、現在は柱は丸い覆いに隠れている。
内部を拝観してバスの停まっているところまで歩く間に、ホーチミン廟の前を通る。土曜日とあって小学生の団体をはじめ見学者が長蛇の列を作っていた。南北統一に全生涯を捧げた国民的英雄が、あらゆる世代の民衆から敬慕されていることが分る。ちょうど9時になり、バーディン広場越しに毎時ちょうどの衛兵交代を見ることができた。
ホアンキエム湖には、13世紀に明の侵略からベトナムを守ったレイ・ロイの伝説がある。湖から引き揚げた剣で明軍を破り、剣を返しに湖に行くと大亀が現れて剣を咥えて帰ったという。ホアン(還)キエム(剣)の名の由来である。
「福」「録」の門柱を潜り、「虎」と「竜」の絵がある門から真っ赤な棲旭橋を渡ってゴックソン島に渡り、玉山祠に詣でる。ここには元軍を撃退した英雄などを祀っている。1968年に捕獲された体長2mの大亀のはく製を見た。そのうちに対岸が騒がしくなり、池の面に波紋が広がり大きな亀が首をだした。どうも作り物だったらしい。
短い時間ながらオールドシティを散歩して、昼飯を食ってハノイ空港へ。離陸すると2時間足らずでカンボジア・シェムリアップ空港に着いた。クメール料理を食べてホテルへ。Angkor Century Hotel に着くと日本人スタッフの女性が首にクロマを掛けてくれた。

3月 22日(日)  アンコール遺跡
真っ青な空からギラギラと太陽が照りつけ、レストランで朝食をとる間にも額に汗が浮かぶ。今回の旅で二人とも一番楽しみにしていたアンコール遺跡を訪れる。
 検問所のようなところでバスを降りて写真を撮られ、通行証を渡される。3日間有効で400ドルだそうだ。このパスを首にかけ、耳には音声ガイド(現地ガイドは「耳太郎サマ」と呼んでいた)、さらにタオルを首に巻いて歩く。
最初にアンコールトムへ。

環濠を渡る石橋には、左にヒンドゥーの神・テーヴァ、右に阿修羅が54体づつ並んでいる。
南大門は高さ25m、東西南北を向いた3mの観音菩薩の顔が乗っている。

ここから中心寺院のバイヨンまでの1.5キロをゾウに乗っていく外国人も見たが、私たちは電気自動車2台に分乗していく。
バイヨンは「クメールの微笑」をたたえた美しい観音の四面像が数多くあり、またクメールの歴史や人々の日常生活を描いたレリーフでも有名である。
 
中央神殿近くで、色鮮やかな古式舞踊の衣装をつけたモデルと一緒に写真を撮った(1ドルで3ポーズ)。
アンコールトム建都以前の王宮中心にあった寺院・ピミカナヤスへ徒歩で移動。幼い子供たちが1〜3ドルほどの扇子、絵葉書などの土産物を手にしっこく付きまとう。日本語がたくみで「暑かろう」と扇子であおいでくれたりする。可憐で同情を誘うが、少しでも興味を見せると何キロも付いてくるので無視する他ない。この寺院には三輪山のものと似たの神婚伝説がある。ただし男女が逆で、王の相手が蛇の化身美女である。
三つ首のゾウの神「エラワン」が鼻で蓮の花をつかむ「象のテラス」を見て、ふたたび電気自動車に乗る。

ここまでダラダラ流れる汗を首のタオルで拭いながらきたので、顔に当たる微風が心地よい。途中で大きなタケウ寺院の前で写真だけ撮る。

タ・プロム寺院前で下車してトイレを済ませると、すぐ前で見慣れた缶ビールを水に浸して売っていた。アサヒ・スーパー・ドライで1ドル。ちょっと非衛生かと思ったが、簡単に誘惑に負けてしまった。
タ・プロムは12世紀の仏教寺院で、アンコール遺跡発見当時の様子を伝えるため、あえて修復の手は最小限より加えていない。

巨大なガジュマルの木の根が回廊を押しつぶしているのを見ると、自然の力の偉大さに圧倒される。
ここにも精緻な仏像やレリーフが残されているが、西塔門壁面の垂直に並ぶ円形浮き彫りには不思議なことに恐竜が描かれている。
これで午前中の観光を終わりレストランで昼食(もちろん、飲み物はアンコール・ビール)。ホテルに帰りシャワーを浴びて着替えをしてさっぱりする。
 15時、午後の観光・世界遺産のアンコールワットに出発。今日の気温は36℃と聞いたが、午後もこの時間になると少し下がり、身体も慣れてきたのか汗をかくのが少なくなった。
トムもそうだが、ワットも環濠に囲まれいてその中に回廊とピラミッド型の寺院が建つ構成である。
これはヒンドゥー経の宇宙観でメール山(須弥山)を表している。

中央祠堂には五つの塔があるが、塔門を入るまでは山の字型に三つの塔しか見えない。濠を渡る橋の欄干には七つの首を持つ蛇神・ナーガの石像がある。
500m以上ある参道を進み、両側にある池の手前に来て、はじめてすべての塔が水面にも美しくその影を映しているのが見える。  <このページTOPの写真>

西塔門を潜って十字回廊に入る。江戸時代初期の森本右近大夫という人の墨書の落書きが残っている。第二回廊を通り過ぎて内部に入る。

中央祠堂は現在補修中で足場が組まれ、第三回廊に入れないので外をぐるりと巡る。第二回廊外部には
美しい女神像が多い。寺院全体では2000体近いが、一体ごとに装身具や髪型、表情が異なるそうだ。
回廊内に並ぶ後世の仏像は盗掘で頭部を失われたものが多く痛々しい。逆順になるが最後に第一回廊の壁画を見る。西日を浴びるこの時間帯が一番、壁画の鑑賞に適しているという。スールヤヴァルマンU世の業績を描く「歴史回廊」、ヒンドゥー神話の「天国と地獄」などを見て南面から東面側に回る。
天地創造神話「乳海攪拌」図がある回廊の外の段に腰を下ろし、ガイドから説明を聞く。中央がヴィシュヌ神で、大海に棲む大亀の背に乗せた須弥山に大蛇を捲きつけ、阿修羅と神々に綱引きさせている。一千年で海は乳となり不死の薬・甘露が生まれ、その化身・天女アプサラがヴィシュヌ神の頭上を舞う図柄である。
アンコールワット見学を終え、夕日鑑賞で名高いプレループ遺跡へ。急な石段を登って中央の祠堂に詣でる。赤い線香1本を渡され1ドルのお布施をする。

西側に回ると、すでに落日を待つ大勢の人が基壇に腰を下ろしていた。30分も待ったのに結局、雲が多くきれいな夕日は見られず、がっかり。

途中のレストランでクメールの古典舞踊・アプサラダンスを見ながら夕食(バイキング)をして、ホテルに帰る。

3月 23日(月)  バンテアイスレイ
「朝日に映えるアンコールワット」を見るため5時起床。5時40分発のバスに乗ったのは、21名中わずか7人。高年者の多いグループではあったが、この人数は添乗員も予想外だったようだ。三日月と明るい星が輝く快晴の空の下を、ホテルから7キロほど走って夜明け前のワットに着く。ワットは真西を向いて建てられているので、春分と秋分の日には参道正面から見て山の字にならんだ中央尖塔の上から朝日が登ることになる。
まだ二日のずれなので、境内に入ると中央の通路はすでに人で埋まっている。人の頭越しに見るよりもと、少し左の回廊に腰をおろして日の出を待つ。

到着から約30分、空が赤く染まり祠堂のやや左から日輪が顔を見せる。人々の間から静かなどよめきが起こる。実に感動的な瞬間で、この光景を見ることができたただけでも、遥々来た甲斐があったと思う。ぐんぐん登る陽を背に参道を帰りバスに乗る。
ホテルに帰り朝食後、バンテアイスレイ観光に出発。アンコールワットからは北西に約40キロ離れたところにある。スラスランで途中下車。7世王と王妃が沐浴した人造の池を見る。バンテアイスレイは10世紀後半建設のヒンドゥー寺院で、赤色砂岩に刻まれたレリーフの精緻な美しさは、アンコール随一と言われている。
特に中央神殿のテーヴァダー女神像は、神秘的な微笑を浮かべて「東洋のモナリザ」と賞賛されている。

次にアンコール東北部にある遺跡、ニヤックポアンに行く。中央に観音堂の立つ大池、四辺に小池があるが、乾期で水はなかった。病人の沐浴用に作られた池で、占い師が病状に合わせた薬草を含んだ水を彫像の口から出して飲ませたという。観音堂東脇の神馬は観音菩薩の化身である。

これでアンコールの観光を終え、シェムリアップ市内へ向う。道の両側には小高い蟻塚がいくつも並び、ヤシの葉で拭いた小屋の前で砂糖を作る釜に火を焚くのも見える。市街地に入ると道は広くなり、建築中のホテルなどが両側に並ぶ。
カンボジアは貧富の差が激しく、またベトナムに対する感情はあまりよくないという。ベトナムの菅笠を持っていたメンバーは、入国してすぐガイドからそのことを聞いて被るのをやめた。ただし、ベトナムのガイドに聞くと、あまりカンボジアのことを気にしていないそうだ。複雑な両国の歴史が、人々の感情に微妙に影を落としているのは、韓国と日本の関係にも似ていると思った。
 オールドマーケットを少し覗いて、クメール料理の昼食後、ホテルに帰ってシャワーを浴びて荷物を出す。西バライの巨大な灌漑用人造湖を見てシェムリアップ空港へ。夕方の飛行はわずか1時間でホーチミンに着く。再びベトナム料理でBBBビールを飲み、ホテルに入る。

3月 24日(火)  ミトー観光
朝食後、ホーチミン市内の
統一会堂を見学する。

南ベトナム時代の大統領官邸で、1975年4月30日に人民解放軍が2台の戦車で正面から突入して占拠した、映画やTVニュースでおなじみの舞台である。
今は博物館で、かっての地下戦闘司令室、通信室などを含め公開されている。大統領の豪華な居室などは、現在、外交の場として使われている。見学を済ませ、バスで2時間半ほど離れたミトーの観光に。
ホーチミン(旧サイゴン市内)はバイクの無秩序ぶりもハノイ以上に凄い。高速道路建設現場では特に混雑し、バスのすぐ横を、3人乗り、4人乗りのバイクやいろんなものを積んだバイクがすり抜けて行く様子に肝を冷やす。この日だけで交通事故を三件見た。
郊外に出ると大きなビルの建築ラッシュで、一軒一億円相当という新興住宅街もある。焼酎を作る村、陶器の村などを通るうちに昼になり、アオザイ姿で自転車に乗って下校する女生徒の姿が多くなる。ベトナムではまだ学校の数が十分でなく、午前と午後の二部制授業だそうだ。
やがて果物を売る店が目立ちはじめ、ミトーに着く。まずメコン川沿いのレストランで、ミトー郷土料理を食べる。

Elephant Ear's Fishというピラニアに似た魚の唐揚げと野菜をライスペーパーにくるんで食べる料理が珍しかった。
茶色に濁ったメコン川をボートで中洲のトイソン島に渡って、上陸したところはココナツ飴の作業場。お土産を買って、次はドライフルーツの試食と直売。ここでは珍しいジャックフルーツを買う。さらに父親が楽器を弾き少女たちが歌う小屋では、新鮮なフルーツの試食がある。お礼に木で作った馬車の玩具を買う。
島の中のジャングルを切り開いた水路を20分ほどのミニクルーズ。漕ぎ手は年配のおばさんが多い。

ミトーの船着場に帰ると、WBC決勝戦の結果が伝えられバスの中に歓声が沸いた。*韓国との5度目の対決は、延長10回二死にイチローの決勝打が出て06年に続き優勝*
ホーチミンへ帰り、サイゴン大教会を見て中央郵便局へ(17時)。

ここにも中に入ると正面に大きなホーチミンの写真が飾られていた。

ベンタイン市場は十文字に交わる通路から、狭い迷路のような路地にびっしりとさまざまな店が並んでいる。ここでベトナムのコーヒーを買った。

夕暮れになると、市場前の道路に食べ物などの露店がずらりと並ぶ。その準備の手際の良さは一見に値する。

最後にドンコイ通りを少し冷やかして、民俗舞踊ショーを見ながらレストランで夕食。これでこの旅の観光はすべて終わった。空港で2時間ほど過ごし、0時過ぎ帰国の途につく。

3月 25日(水
曇りのち晴れ。ホーチミンから関空までは実質4時間のフライト。6時過ぎ、気温7℃!早春に逆戻りした関空着。急いでスーツケースから取り出した長袖のアンダーシャツとフリースのインナージャケットを着る。
 わずか一週間足らずだったが、二つの国の過去と現在の文化の一端に触れて、考えさせられることの多い旅だった。
統一会堂でみたベトナム戦争の名残り、カンボジア・タプロム近くや市街地で見た地雷で足や手を失った人たちの物乞い…。21世紀になっても、人間のやることはアンコールワットの壁画に描かれた神話の時代からそう変わっていない。クメールの女神が、あの美しい微笑で平和な世界を実現してくれることを、心から祈りたい。  


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