6月17日(木)   Troy
アイワルクの夜は、ホテルのエアコンの効きが悪く寝不足気味だった。7時20分出発。バスの中でうつらうつらしながらトロイに向かう。今日も曲がりくねった山道から海水浴場のあるエーゲ海に出て、160km、2時間半ほどでトロイに着いた。ダーダネルス海峡を隔てて向かい側はヨーロッパである。
 トロイと言えばシュリーマンの発掘物語、その夢をかきたてたホメロスのイーリアス、それを題材にした映画「トロイのヘレン」が頭に浮かぶ。遺跡に着くと、「トロイ戦争」で有名な木馬が真っ先に目に飛び込んでくる。和子がさっそく登ってみた。 
遺跡は、いろいろな時代の町が重なって残っていて、全体で九つの層(古い時代から1〜9の「市」として区分)から成り立っている。つまり、一つの時代の町が亡びた後に次の時代の町が建てられ、その町が滅んでまた次の町が…という長い時代を経た遺跡なのだ。順路が決まっていて、まず4市東側の塔と城壁から見学する。
 トロイ戦争では、城壁の上から大石を落としたり、油を流して火をつけたりした。ガイドは「皆さん、トロイには失望する人が多いです。(残された僅かな遺物から当時の状況を)想像して下さい」と繰り返していた。
エーゲ海を望む遺跡の北東の隅にくる。トロイ戦争当時はこの近くまで海岸線が迫っていた。
 左へ回り込むように歩くと、シュリーマンが黄金の財宝を掘り当てた2市に来る。
「シュリーマンの溝」が残っている。発掘は財宝目当ての荒っぽい方法で、しかも埋蔵物の殆どを自国に持ち帰ったことで、トルコ人には評判が悪いとガイドが言う。しかし、トロイが実在したことを世界に知らせた彼の功績は、認めなければならないとも言っていた。
神殿や生贄の獣を捧げた祭壇跡が見られる。
「聖域」と呼ばれる場所は トロイのもっとも新しい時代(B.C1200〜)、トロイ戦争後荒廃した市をギリシャ人入植者が城塞都市として再建し、さらにB.C85年ローマの侵攻で炎上した後、ローマ人によって復興した頃の遺跡である。しかし5世紀の地震で市は最終的に放棄された。
いくつもの時代の層が重なっていることが良く分かる個所を見て、掘り出された石材が並ぶ通りを出口に進むと、左手に小さな建物がある。資料展示室だが、壁に地図や写真が張ってある他は、ここにある遺物は実に貧弱なものである。シュリーマンの妻が発掘物の黄金のヘアバンドやネックレスで身を飾った写真を見ると、トルコ人が彼を嫌うのが分る気がする。昨日見たエフェソスに比べると見所は少ないが、歴史の重みを想像によって掻き立てられたトロイの遺跡だった。
トロイのレストランで魚料理をメインにした昼食をとり、チャナッカレの港からフェリーに乗りダーダネルス海峡を渡る。この海峡は古来、アジアとヨーロッパ、マルマラ海とエーゲ海を結ぶ重要な「海の道」となってきた。西からはミケナイ王アガメムノンがトロイを攻めるとき、またアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)が東征のとき、逆に東からはペルシャ王クルクセス1世がギリシャ遠征のときに渡った、重要な歴史の舞台となった海峡である。後部デッキのベンチに座った。14時出港して1時間足らずで対岸のエジェアパトに着き、再びバスに乗る。
 丘陵地帯を過ぎてハイウェイに入り、イスタンブール郊外の高層住宅街を過ぎて料金所をでると、さっそく渋滞に巻き込まれた。その中で、車をかき分けるようにして棒にさしたパンや水を売る少年たちの姿に驚いた。命がけの商売だが、わざわざ車を降りて買う客もいる。 イスタンブールの渋滞は今や日常的。トルコの人も車が大好きだそうだ。ともあれ19時を過ぎて旧市街の西端トプカプ地区(宮殿のある場所とは離れている)にあるホテルに着いた。部屋は広く設備も贅沢で、なかなかデラックスなホテルだった。
6月18日(金) Istanbul

かってはコンスタンチノーブルとして知られ、アジアとヨーロッパにまたがり、東と西の文化の交差点といわれるイスタンブールは、ローマ、ビザンティン、オスマンの大帝国の2000年にわたる重要な拠点だった。第一次世界大戦後、首都の座はアンカラに譲ったが、今も商業、文化の面でトルコを代表する1000万人の人口を擁する大都市である。
 今日は連泊なので、いつもより遅くホテルを出て市内観光に向かう。ホテルのある辺りはテオドシウス(分裂していた東西ローマ帝国を統一し、キリスト教を東ローマの国教に定めた人)が築いた強固な城壁が残っている。延々と続く城壁を見ながら朝の渋滞を縫って、バスは旧市街東のスルタナーメット地区へ走る。
スルタナーメットはイスタンブル歴史地区として世界遺産に登録されているところである。
 まず
ブルー・モスクを訪れた。正しい名称は「スルタン・アフメット1世ジャミイ」。14代スルタンが7年をかけて1616年に完成したジャミイで、中央の高さ43m、直径27.5mの大ドームを囲んで、中小のドームを積み重ねた美しい造形のモスクである。6本のミナレットが立ち、メッカのミナレットの数と同じといわれている。
 宗教施設だからノースリーブやショートパンツでは入場でず、靴はビニール袋に入れて手に持って歩く。
ドームに入ると、200以上もある窓から差し込む光が、柔らかく内部を照らしている。見上げると天井の重なり合った円蓋が実に美しい模様を描いている。ドームを支えるのは「ゾウの足」と呼ばれる4本の円柱。それ以外は天井まで何もない空間である。中に入ると余計にその大きさに圧倒される。ステンドグラスが幻想的な美しさで輝いている。柱や壁や天井を飾るのはイズニックという町で作られるタイルである。この青い色がブルーモスクと呼ばれる由縁になっている…という説もある。
赤い絨毯に座って説明を聞く。異教徒の私たちだが、荘厳な雰囲気の中で「偉大なもの」への敬虔な気持ちが湧いてくる。
 これまでイスラム教は排他的な宗教、特にキリスト教にたいする敵対心が強い宗教と思っていたが、ここに置いてあった「イスラームとは何か」というパンフレットを読んで、ムスリムの人たちがキリストもムハンマドと同じ預言者として認め、尊敬していることを知り、少なからぬ感銘を受けた。
次に訪れたトプカプ宮殿は、15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心として、スルタンと家来たちの政治の中枢であり、またハーレムで知られるようにスルタンと家族の生活の場でもあった豪奢を極めた宮殿である。ボスフォルス海峡に向けて大砲が据えられていたので、「大砲の門」という意味の「トプカピ」という名がついたといわれている。
 城壁に穿たれた
総門は、別名「皇帝の門」といわれいかめしい武官たちが守っている。
総門を入ると第一庭園で、緑の芝生に樹木の生い茂る見事な庭園の向こうに「聖エレーネ教会」が見える。アヤソフィアが建つまで、総主教座(ギリシャ正教の本山)だったところである。中門(儀礼の門)をくぐると第二の庭園が拡がる。右側にはかつての宮廷の厨房(調理棟ああり、数百人の料理人が数千人分の料理を用意したと伝えられている。現在は陶磁器などのコレクションが展示されている。左側はスルタンの妻妾や子供たちが暮らした部屋が残るハーレムだが、時間の関係で残念ながら、入場はできなかった。
三つ目の門は「幸福の門」。ここをくぐると第3庭で、庭を囲むように謁見室、スルタンの衣裳展示室など幾つかの建物がある。自由行動の時間になり、庭を囲む部屋を順に見ていったが、内部は撮影禁止で写真は撮れなかった。宝物館では、世界最大のエメラルド、86カラットの大ダイヤを49の小粒のダイヤが囲む黄金のブローチ、黄金の鞘にダイヤとエメラルドを散りばめた「トプカピの短剣」などを、しっかり目に留めた。
庭の反対側に、小さな金色の屋根の「イフタールのポーチ」があり、その後の建物は夏のパビリオンで、1640年、スルタン・イブラヒムにより建設された。皇太子の割礼式に使われたので「割礼室」とも呼ばれている。
 壁や天井はオスマン時代の希少なタイルで覆われ、中でも重要なのは部屋正面にある、極東の陶器の影響を受けた青と白のタイルで1529年の日付けがある。部屋外の内壁にも、青色を基調にした美しいタイルが張られている。時間が来て集合場所に帰り、2時間近くのトプカピ宮殿見学を終えた。
午後はアヤソフィアを見学する。
 現在 アヤソフィア博物館と呼ばれている建物の正式な名称は、ギリシャ語では「聖なる叡智」を表す「アギア・ソフィア」、つまり聖ソフィア大聖堂。バチカンの聖ピエトロ寺院より1,000年も前に建てられた大建築である。コンスタンチヌス大帝によって建てられ、6世紀にユスチニアヌス帝によって再建されたこの巨大なドームは地上55m、直径31mもある。
オスマン時代に教会からジャミィに改装されたので、メッカの方向を示すメフラブが本来ある筈のジャミイ中心から少し右にずれている。
 いったん廊下に出て螺旋状に伸びる石の傾斜路を登る。皇帝が車で登れるように大きい段差がないように作られている。洞穴を抜けるような感じで二階のテラスに出ると、先ほど仰ぎ見た聖母子像がすぐ間近に見える。グリーンに金文字の円盤には、コーランの一節や神をたたえる言葉がカリグラフィ(装飾文字)で書かれている。
有名なモザイク画のある南回廊は工事中だった。
 別の通路を下りて階下にある「願いを叶える柱」を試みる。中央の穴に親指を当てて、願い事をしながら掌を一回転させると願いが叶うという。
 売店などのある通路の出口では「必ず立ち止まって振り返ってみてください」とガイドに教わっていた。出口のガラス戸に美しいモザイク絵が反射して映っている。
 中央が聖母子(キリストを抱くマリア)、聖堂を捧げるユスティニアス帝が左に、コンスタンチノーブルの町を捧げるコンスタンティノス帝が右に描かれている。 
 
これでスルタナメットの歴史遺産の見学を終えて、次にグランドバザールへ向かう。

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