トルコの旅

6月13日(日)
5時15分ドーハ着。乗り継ぎに1時間半ほど費やして、昼前にトルコ共和国の首都アンカラに着く。空港で入管手続きを終え、両替も済ませて外に出るとムッとする暑さが身体を包む。それでも標高850mの高さにあるアンカラは過ごしやすい方で、明日からはまだまだ暑くなるということで先が思いやらる。
 バスに乗り込む。現地スルーガイドは OKAN OZKAN という。今日はアンカラから南東に300キロ離れたカッパドキアへ4時間を越えるバスの旅である。
空港を出てしばらく走ると、建設中のカラフルな高層住宅がたち並ぶ郊外からバスはアンカラ市内に入る。アンカラはトルコ共和国建国の父・アタチュルク(ムスターファ・ケマル)によって、旧弊を排するためにあえてイスタンブールを排して首都に定められた。オカンの話しを聞いていて、明治維新で都が京都から東京に移ったことを連想しました。また、「アンカラ」は「アンゴラ」から来ているとのことで、アンゴラはウサギではなくこの地方に有名なヒツジの種類だそうです。この街の見学は最終日の楽しみにして、名物の渋滞を抜けてハイウェイに乗る。
一直線に伸びる道路の両側に、広々としたトルコの大地が拡がる。トルコの面積は日本の二倍もあり、そこに住む人々は日本の半数に過ぎないという。やがて大きな湖に沿って走るようになった。岸辺に白く光るのは塩の結晶である。

トゥズ湖(トルコ語で塩湖の意味)はトルコで二番目に大きい湖で、水深は1~2m、普段は1500平方キロmの広さがある。極端に塩分が高いので、夏の間に湖の水の多くが干上がると平均30 cmの塩の層が現れる。今はまだ時期が早いので、湖岸近くだけに白い色が見えていた。
ここでトイレ休憩を兼ねて下車。トイレは殆どが有料制で0.5~1トルコリラを支払う。飲み水はバスの運転手が車に用意していて、一本50クルシ(0.5トルコリラTL)で分けてくれる。店で買うよりも安い値段である。
 湖の畔を散歩した。遠くから見ると、裾をヒザまでたくしあげた人たちが湖のかなり遠くまで歩いている。遠浅とはいえちょっと驚いたが、近くに寄ってみると踏み石が続いているのである。イエス・キリストが湖上を歩いた奇蹟で人々を驚かせたガラリア湖にも、ひょっとするとこんな仕掛けがあったのではないか…と想像する。少し湖上を歩いた和子が手に塩の結晶を掬い取って帰ってきた。
湖畔を離れてアクサライで東に折れ、バスは再び広大な平野部を走る。この辺り中部アナトリア地方は豊かな穀倉地帯で、小麦やライ麦を主にした農業が盛んなところである。黄金色のライ麦畑やナタネ畑の中にポプラの木が立ち並び、その間をまっ直ぐに道路が延びる…ところどころで牛や馬や羊が放牧されている…北海道の風景をさらに大きくしたような車窓の眺めだった。 「トルコは他国に頼らぬ自給自足経済の国です」とオカンも誇らしげだった。
ようやくカッパドキアが近付いてきた。シンボルのオルタヒサールが見える。一口にカッパドキアといってもその範囲は東西20キロ、南北40キロにも及ぶ広大な範囲で、カッパドキア地方と言っていいだろう。ホテルまでの間にも、いろいろな奇岩地帯を見て、明日の予備知識を得ることができた。今宵の宿はユルギュップという町にある。

6月14日(月)  Cappadocia
世界遺産・カッパドキアは「美しい馬の土地」を意味するペルシア語が起源とされている。
今日は丸一日かけて、このカッパドキアを観光する。ホテルからバスで10分も走るとギョレメ野外博物館に着いた。
ギョレメはトルコ語で「見てはならないもの」の意味で名付けられたというが、6000万年もかけて自然が作り上げた不思議な造形に、そこに住みついた人間が手を加えた、実に珍しい景観を見せてくれる。
 ここは4世紀前後、ローマ帝国の迫害から逃れたキリスト教徒が、柔らかい凝灰岩を横穴式に掘り抜いて、岩窟教会や修道院をつくったところである。その数は全部で30ほどある。
入場してすぐのセント・バジル教会(Basil Kilisesi)から見学を始める。内部には美しいフレスコ画で、キリストを抱く聖母マリアや、カッパドキアの守護聖人、セント・ゲオルゲウスが描かれている。「リンゴの教会」。にもキリストや使徒たちの絵がドームやアーチに描かれているのだが、残念なことに「カメラ禁止」の標識があった。
 登り道になり、右手は切り立った断崖で谷の向こうにもたくさん洞窟が見える。突き当りの石段を少し登ると「蛇の教会」がある。ここにもセント・ゲオルゲウスの蛇退治の壁画があった。
この辺りは修道院などの居住区域で、いくつもの洞窟住居の跡が残されている。一番高い所にある洞窟へ登ってみると、内部正面には祭壇、食堂には長い石のテーブルとイスがあり、天井は煤で真っ黒だった。 少し先には「暗闇の教会」(左の写真)がある。ここの壁画は保存状態が良く美しいそうだが、集合時間が迫っているので割愛した。緩やかな下り道を入り口の方へ周回して、様々な形の岩峰を見ながら、色とりどりの美しい花が咲いている中を下った。 
洞窟を利用した一軒の住宅を訪問する。美しい花の咲く中庭を通り、玄関を入ると冷たい空気が流れひんやりしている。一階の一室は食料の貯蔵庫として利用している。中二階、二階は居住部分で、中央の大きい部屋に招かれた。突き当りに大きな明り取りの窓、左側に台所と居室、右側にも家族の居室がある。家財道具は質素だが、なかなか広くて快適なお住まいだった。掌に入るような独特の形のグラスでチャイをご馳走になり、希望した女性が民俗衣装を着せて貰いった。幅の広いモンペに似たスカートは外での作業にも動きやすそうだ。お婆さんが頭にスカーフを巻いてくれた。足元の絨毯はお婆さんの織ったもので、この地方では娘さんが結婚前に自ら織った絨毯を、嫁入りのときに嫁ぎ先に持参する習わしになっているそうだ。
 心から歓待してくれたお爺さんやお婆さんにお礼を言ってお別れする。近くの絨毯工場でショッピングを兼ねた見学のあと、昼食場所へ。
昼食場所に向かうバスの車窓からは、奇妙な形をした岩峰や砂山が延々と連なっていて目が離せない。これまで写真や映像で見て頭に描いていた以上に奇怪で、信じられないほど奇抜で、そしてスケールの大きいことに、ただただ驚嘆する他なかった。その中で、ラクダそっくりの岩山の下で写真タイム。
 昼食は洞窟レストランで、トルコ風の家庭料理の献立だった。食事を済ませて、ひんやりしたレストランからカンカン照りの外に出る。今日の気温は38度近いということだが、空気が乾燥しているのでそれほど暑さを感じない。木陰に入ってそよ風に吹かれていると、心地よいほどだった。
午後は、まずゼルヴェの谷を訪ねる。バスを降りてまず目を引くのは、上の方で枝分かれしてシメジのような形をした岩が、ニョキニョキと何本も突っ立っている奇妙な光景である。キノコの笠にあたる黒い部分は固い玄武岩、根元の方は柔らかい凝灰岩と、岩の質が違うので、浸食の進む速さが違ってこんな形になったそうで、ペリ・バジャ(妖精の煙突)と呼ばれている。
 自由行動になり、時間の許す限り奥に行ってみることにした。広い道を進んでいくと道は細くなり、大きな岩の間を抜けるようになる。
両側が切り立った断崖は9~13世紀にキリスト教徒の隠れ住んでいたところで、そのあとも1950年代まで人が住んでいた。しかし、崩壊の危険が大きくなって住民はその後、平地部へ移住した。道が二つに分かれ、左側の岩の間を抜けていくと身体が通るくらいの幅の下り坂になった。降りられないことはないが、帰りが大変なので右の道を行く。
 少し登るとコル状の所に出て、見下ろすとかなり下に広い道が見える。急な道が終わると展望が開けた。この道は、予想通り元の道と合流してスタート地点に続いていた。
次は「カッパドキア・ハイキング」バスを降りて、なだらかな勾配の道を僅か30分ほど歩くと、目的地の「ミナザールの教会」の下に到着。あまりにあっけないので、何人かの仲間たちと近くの高台まで登ってみた。ここまで車ででも登れるのだが、やはり高い所からの展望は見事だった。帰り道でキノコ岩の洞窟に入ってみたりして、ウォーキングは1時間足らずで終了。
 少しバスで行った別の展望台は
クズル・チュクル。「ローズ・バレー」ともいい夕焼けに赤く染まる頃が美しいようだ。(左の写真)
ここから間もなく「尖った城塞」を意味するウチヒサールに着く大きな岩山の周囲に様々の大きさの岩石が寄り集まったような形をしている。
大小の窓が穿たれ、近年まで人が住んでいたようだが、地震で退去したとか。上まで登れるようになっているが、ここでもやはり自由時間が少ないので断念して、少しでも高い所を求めて小さな丘に登ってみた。
カッパドキアにはたくさんの地下都市があるが、なかでもカイマクルはデリンクユとともに最も規模の大きいものである。敵の攻撃を避けるための退避場所だが、キリスト教徒だけでなく、もっと古いヒッタイトの時代から地下の住居として使われていたようである。
 地下都市へ続く道の両側には土産物屋さんがずらりと並んでいる。ここは、まだ入口で、この先で道は狭くなり石段もある急な坂道になる。讃岐の金毘羅さんの参道を思い出した。
カイマクルの地下都市は地下7層まであるが、4層まで公開されている。中はかなり狭く天井が低いところもあり、屈みながら歩くのはちょっと大変だ。照明はあるが、足元の暗いところでは和子が用意してきたヘッドランプが大いに役立った。
 1階には厩と住居、2階には教会や墓地もある。一番重要な3階には食料貯蔵庫、ワインセラーを備えた台所があった。
上の丸いものは石の扉。敵が侵入した時にこれで通路を閉ざし、時には間違ったところへ誘導する。
迷路のような地下の抜け穴を、立ったり屈んだりしながら4階まで下り、そこから別の道を地上へ帰った。
例の土産物街で「買いまくる」こともなくホテルへ帰る途中、「写真休憩」。「三人姉妹」と名付けられた岩である。このあたりの景観もなかなかのもので、オカンは口癖のように「写真一杯摂って下さい。そしてトルコのため宣伝して下さい」という。
いったんホテルに帰りシャワーを浴びて、車で20分ほど離れた洞窟レストランへ夕食に行く。中はとても広く、天井も高くてヒンヤリしている。雛壇形の座席が放射状に5箇所設けられていて、前の板敷きがショーの舞台。席に着くとレンズ豆と牛肉のトマト味のスープ、それにメインディッシュのギュペチ(土鍋に肉や野菜を入れてオーブンで焼いたもの)、ピラウ(焼き飯ピラフ)とデザートが運ばれてきた。ショーは盆踊り風の民俗舞踊、次に客まで巻き込んだ乱痴気騒ぎの喧しいむちゃくちゃ踊り、最後にオバチャンダンサーが出てきて、照明を落とした中でお腹を揺さぶる踊りを見せくる頃には、すっかり白けた気分だった。
 岩峰群を模した素焼きの瓶入りのワインをカッパドキアの土産に買って、長い一日が終わった。

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