絶景台湾 4日間の旅 


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第三日目 6月8日

今回の旅で一番の楽しみにしていた、阿里山でのご来光を迎える朝になった。3時50分起床、30分後、ホテルのバスで阿里山駅へ下る。世界三大登山鉄道といわれる阿里山鉄道は台風の被害でまだ全線が復旧されていず、 ふんだんにヒノキ材が使われている阿里山駅からの祝山線で、終点の祝山駅に向かう。
僅か25分間の乗車だが、路線が曲がりくねっているので立っているのは疲れるそうだ。かなり早く駅に着いたが、それでも前に一グループがいた。
長い列に並んで乗車して25分で降りると、駅のすぐ前が展望台だが、太陽が現れるまで寒さをこらえて待つ。次第に空が明るんできた。中央の尖峰が台湾最高峰の玉山(標高 3,952m )。 日本統治時代は富士山より高いという意味で新高山(にいたかやま)と呼ばれていた。
ご来光は玉山の左手から登る。30分以上待ってようやく太陽が姿を見せた。この時期は雨や霧の日が多いと聞いていたが、晴れていて良かった。真っ青な空に玉山のシルエットが浮かぶ。はるばる来た甲斐があった。今日も暑くなりそうだ。
帰りの列車はよく空いている。原生林の中の曲がりくねった道を走る。一つ手前の沼平駅で降りてホテルまで散策した。大きなヒノキの置物がある駅から、歩道を阿里山賓館へ下る。 本館は歴史館といわれるだけにと、廊下の片側にこんな展示室があり、森林開発や鉄道に関する資料や模型を展示している。ホテルのテラスからは断崖絶壁がそそり立つ塔山がを見えた。
朝食後は景色のよい山岳道路を日月潭に向けて走る。途中、塔塔加でトイレ休憩を兼ねて下車。辺りには何匹も猿がいたが、カメラを向けると逃げてしまった。 夫婦樹と呼ばれる木は、落雷で焼けたあとに再生したものらしい。正午に日月潭に着き、郷土料理の昼食。
日月潭(湖)の北側の形は太陽に、南側の形は月に似ていることから、それぞれ、日潭、月潭と呼ばれ、全体で日月潭と呼ばれている。湖畔にはいくつかの寺院があり、そのうち日月潭南側の高台にある玄奘寺に参拝した。 門前から見ると手前に延びるのが月湖。左に浮かぶ丸い島は拉魯(ラル)島といい原住民サオ族の祖霊が宿る聖地とされている。
玄奘寺は西遊記で知られる三蔵法師玄奘の霊骨を安置する寺院であり、道路に面した壁面には、皇帝の命を受けインドから650部の経典を持ち帰った三蔵法師玄奘の足跡を示すレリーフがある。 玄奘の霊骨はもともと南京にあったが、日本人によって埼玉の慈恩寺に移された。1995年、返還されて日月潭南の岬にある玄光寺へ、さらに1965年建設されたこの寺に安置された。
次は学問の神・孔子と武道の神・関羽、張飛を祀る文武廟へ。三国志で知られる学問の神・孔子、武道の神・関羽、張飛を祀る文武廟は、日湖を間にして玄奘寺の対岸(北側)にある。ここは二度目だが、新しい発見もあった。 文武廟は1938年建立、1975年再建。中国の北朝時代の宮殿形式建築で壮大な規模を誇っている。 前殿の二つの楼は水雲宮で開基元祖および文昌帝君を祀る。
廟前広場の巨大な朱色の獅子は新光保険会社の呉会長の寄進したもので、呉火獅と呼ばれている。中殿へ登る階段脇には立派な龍の彫刻がある。 天井の装飾も見事な中殿・武聖殿。下の額の文字は「古今通霊」 正面中央には岳武穆王(岳飛)と赤い顔の関聖帝君(関羽)<どちらも道教の神としての姿>が祀られている。
後殿・大成殿には至聖先師(孔子)の青銅像が安置されている。ここへ登る階段脇にも美しい九頭の龍の彫刻がある。 後殿背後にある建設中の櫺星門。美しい彫刻で飾られているが未完成で現在、寄付を募っている。
櫺星門下には台湾版「トレビの泉」許願池がある。九つ(縁起の良い数字)の竜吐水前の壺に、願いを込めて硬貨を投げ込むらしい。 美しい廟門を見下ろして、バスの待つ広場へ下った。
高美(こうび)湿地は、もともと120 種類もの鳥類が生息するバードウオッチングでの場所だったが、 最近、台湾のウユニ塩湖(ボリビア)として人気の観光地となった。 木道を行くとたくさんの小さいカニに出会う。概ね三種類いるという。風車のシルエットが浮かぶ日没時が一番美しいというが、 帰る時間が迫り残念だった。





台中へ走り、去年12月オープンしたばかりの新しいホテルで夕食後、台中で最も賑わうと言われる
逢甲夜市を散策。食べ物の屋台には大阪焼き(たこ焼き)やお好み焼き屋もあった。安い衣料品店も軒を連ね、 若者を中心に溢れかえっている。
何はともあれお目当ての胡椒餅の行列に並ぶ。前に台北の夜市で食べた味が忘れられず、楽しみにしていた胡椒餅。ここでも焼き上がりを待つのに20分近く並んだ。  朝早くから夜遅くまでよく遊んだ。
第四日目 6月9日

あっという間に台湾を去る日になった。ホテルを出発して法覚禅寺(宝覚寺)へ。日本統治時代の1927年建立の「臨済宗妙心寺派」のお寺である。ここも二度目だが、14,000人の日本人が眠る共同墓地には、今朝も線香や火を点けた煙草が供えられていた。強烈な日差しが降り注いでいて、日陰に入り風があるとほっとする。      
木造の本堂を後に増築された大きな石造の本堂が覆う二重構造になっている。前には、お釈迦様の化身と言われる白象が二頭。その横に日本風に灯篭が立っている。 弥勒仏像は「皆が喜んで暮らせるように…」とほほ笑む金色の大仏。しかし日本で言えば七福神の布袋さんである。高さ33m。下に立つとどんなに大きいかよく分かる。
三義へ走る途中、車窓から火炎山を見る。

新生代・第四紀の激しい地殻変動によって産まれたと思われるこの山の地質は、厚い礫石の層の隙間を細かい砂岩の層が埋めていて、表層は赤い土になっている。その後の風化、雨水の浸食で鋭い峰がいくつも聳える奇形を作り出した。夕陽に照らされると山が赤く燃えるように見えるので、この名がある。
龍騰断橋で下車観光。龍騰は地名で、古くは魚藤坪断橋(ぎょとうへいだんきょう)と呼ばれた。1908年に台湾総督府鉄道が縦貫線(後の台中線)を全線開通させた時に作られた赤煉瓦製のアーチ橋である。1935年の新竹・台中地震で破損、断橋となり、1999年の921大地震によって更に一部が崩壊した。三義郷の観光名所の一つである。 「体力のある人は登ってください」ということで、石段を登った。右上に見える鉄橋で線路は途切れている。余部鉄橋に似た感じだったが大汗をかいた。
三義は木彫り工芸で有名な町で、しばらく黒檀や檜などの木彫り店を見て歩いた後、客家料理の昼食をとる。後は高速道路を一路、台北に向う。17時すぎ松山機場(空港)離陸、みるみる遠ざかる台湾に告げて空路、帰国の途に就いた。   


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