台湾の旅  

1.鶯歌・三峡・新竹

3月4日
台湾2日目の朝は台中のホテルで迎えました。8時頃、ホテルを出発して台中の観光にでかけます。
 

宝覚寺
(正式名は宝覚禅寺)は1928年に創建されたは釋迦牟尼仏、薬師仏、阿弥陀仏の三尊を祀る禅宗寺院です。本堂は大きな屋根に覆われて保護されています。前に置かれたゾウは、仏像がなかった時代に聖なる動物とされた初期仏教の名残りでしょうか?
境内の金色に輝く大仏は未来仏の弥勒菩薩。56億7千万年後にこの世に出現して人類を救済する仏様です。にこやかな、このお顔は日本では七福神の布袋様としてお馴染みです。像の高さは30.1m。裏側に入口があり、おヘソは覗き窓、内部は民族文物館になっていますが、現在は修理中で入ることはできません。近づくとその大きさが実感されます。
 大仏には触れられませんが、代わりに置いてある大理石製の像を頭、耳、肩、腹と撫でると、それぞれにご利益があるそうです。

 本堂の釈迦三尊に詣でて外に出ると、戦時中に亡くなった日本人や台湾出身で日本軍人として戦い戦死した人の慰霊碑があります。写真は遠慮しましたが、お墓の前には線香ならぬ火の付いたタバコが烟を上げていました。その右には約1万4千人の遺骨が納められている納骨堂があり、改めて日本と台湾との深い関わりを考えさせられました。台中市内を走り抜けて、次の観光地に向かいます。

日月潭(リーユエタン)
標高750m地点にある台湾最大の湖です。 この湖の名前については「真ん中の島を境にして北側が円形に近いので日潭、南側は三日月形なので月潭と呼ばれる」というのが定説です。文武廟のあるのは南側で、月潭はちょうど右の付きだした岬の裏側になります。 しかし或る台湾のBLOGでこんな文章を見つけました。
 遊水裡社記云:「其水不知何來,瀦而為潭,長幾十里,闊三之一,水分丹碧二色,故名為日月潭」
 漢字字典によると「闊」には「間があいている」という意味がありますので、「三つの隙間のうちの一つが水を朱色と碧い色に分けているので日月潭という名になった」と素人が解釈してみましたが、水が朱色にはならないですよね。別のBLOG(台湾ing)には「夕暮れ時が美しく、秋に見られる日月潭の夕焼けは台湾八景の一つに数えられています」と記されて真っ赤に染まった湖の写真が載せられています。ひょっとすると時として「丹碧二色」の光景が出現するのかも知れません。残念ながらこの日はどんよりした曇り空で、湖面は鉛色の空を映していました。
湖を見下ろす文武廟には孔子、武聖関公(関羽)、開基神明が祀られています。
 この廟は日本統治時代に日月潭ダム建設で沈むことになった二つ村のお堂とお宮を移築して出来たものです。1969年、中国北朝宮殿形式の美々しい形で再建されました。建物が真新しいのは、1999年の大地震で損壊したのを2003年に再建したためです。
 参拝者が次々にご本尊にお参りを済ませ、お神籤を引いていきます。これには決まった作法があって、日本のように簡単には行かず一寸面倒です。 
まず、この三日月形の二枚の木片を持って神様に姓名と生年月日を告げて自己紹介。次に神様に聞きたいことを念じて、木片を床に投げます。このように裏と表が出たら「お神籤を引いても良い」という神様の許可がでました。表と表、裏と裏ならダメのサイン。三回までトライできます。下の長い棒が入った筒を持って振っていると、あ~ら不思議…一本だけ浮き上がってきます。棒には番号が書いてありますが、その番号で良いか再度、木片を投げて確認。表と裏でなければ引き直し。神様のお許しが出たら抽斗(引出し)がずらりと並んだ箱から自分の番号の紙片を引き出して、解説所で説明して貰います。ああ~しんど…。  

午後は台南へ向かいます。
 日月潭から1時間半ほどで到着した台南は清代初期には首府として台湾の政治・経済・文化の中心地として栄えました。日本統治時代に首府は台北に移りましたが、しばらくは台湾第二の都市として発展しました。たくさんの古跡が残っていて「台湾の京都」とも言われる熱帯の町です。
台南は小吃(シャオチー=中華の一品料理)などのグルメの町としても有名です。ちょうどお昼どきに着いて、飲茶料理を賞味したあと、赤嵌楼を観光しました。

赤嵌楼
1652年、当時台湾を占領していたオランダ人が移住していた漢人と衝突したのを機に、この地に高さ10mの城壁をもつプロヴィンティア城を築きました。漢人が紅毛楼また赤嵌楼と呼んだ当時の城址に、現在は清時代の海神廟と文昌閣が建っています。
1661年、鄭成功がプロヴィンティア城の攻略に成功、さらにもう一つのオランダの拠点・ゼーランディア城も陥落させ、ついにオランダを台湾から追放します。鄭成功は清に滅ぼされた明の復興のために台湾に渡り、抵抗運動を続けた人です。始めて台湾に独立政府を樹立して、その後の開発に貢献したので台湾の人に非常に人気があります。彼はお母さんが日本人で、福松と呼ばれた幼年時代を7歳まで平戸で過ごしました。「国姓爺」と呼ばれた彼の活躍は、日本でも近松の人形浄瑠璃、歌舞伎や映画でもお馴染みです。これは庭園に建つ「鄭成功に降伏するオランダ人」の銅像です。
文昌閣の内部には、清時代にここにあった「蓬壺書院」で学んだ学生の試験用紙、先生の添削した宿題?などの文物が展示されています。
 外の回廊からは、1944年に発見されたプロヴィンティア城の北東稜堡基礎部分が見下せます。この頑丈な砦も、もち米のとぎ汁に砂糖、牡蠣の殻を焼いて灰にしたものを混ぜた接着剤で煉瓦を積み重ねて作られています。また文昌閣と海神廟の間にある「紅毛井」はオランダ人が掘った井戸で、有事の時の避難用の通路が井戸の底から安平の古城まで通じていたと言われています。赤嵌楼の見学を終えて台南を離れ、今回訪れる都市では西海岸南端になる高雄へ向かいます。

蓮池潭(リャンチータン)
高雄市郊外にある周囲約5kmの美しい淡水湖です。いくつかの美しい建物を見ながら湖畔を歩きます。楠の並木道が続き美しい公園風に整備されていますが、寥さんの話では以前は雨が降るとドロドロで歩き難いところだったそうです。
 左に見える三層の中国式四阿は「五里亭」、その右には高さ21mの道教の神様・北極玄天上帝像が見えます。それぞれ湖の中に浮かんでいて、長い橋を渡るようになっています。
蓮池潭最南端の龍虎塔の横で自由行動になりました。この虎と竜は、それぞれ後ろの七重塔の入口と出口なのですが、3月1日から塔の内部は補修中で入ることができません。このことは出発前に旅行社から知らされていましたが、内部の美しい彩色や塔上からの景色をTVで見て楽しみにしていただけに、とても残念でした。  
もう少し先へ進んでみます。
 湖畔から塔へ渡る橋は何度も曲がりくねっています。上海の豫園で九曲橋という同じような橋を渡りましたが、ここの橋はそれよりかなり大規模です。悪魔はこのような曲がった歩き方は出来ないから入れないようにしてあるとか…。
 この塔に入るには必ず龍の口から入り、虎の口から出なければなりません。台湾では龍はもっとも善良な動物、虎は最も邪悪な動物なので、こうすることによって人間の業(ごう)が清められると信じられているのです。
蓮池潭の名前は池に多くの蓮が植えられていることから付けられました。だいぶ数が少なくなったそうですが、この辺りではまだ花が見られました。一寸だけ橋の上を歩いてみました。
 左の二つの塔は関羽を祭る春秋二つの塔。その間に騎龍観音という名の、龍に乗った観音様の像があります。
 
そろそろ時間が来たので集合場所に帰ります。この日の旅はまだ続きます。


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