(2)



アルハンブラ宮殿

2日目(1月26日・日) バレンシア~グラナダ
この季節にしては暖かい朝。慌ただしく朝食を済ませて出発。バレンシア地方の名産・オレンジの畑が続く。窓の外を眺めたり、時差ボケでウトウトしながら、添乗員さんが語るスペインの歴史を聞いていた。
  494km離れたグラナダに着き、やっと昼食を済ませたときは15時半になっていた。そのあとのグラナダ観光は2時間余り、しっかり歩く。まず谷を挟んだ王宮やアルバイシンの街々を見ながらヘネラリフェへ。


ヘネラリフェは王宮(アルハンブラ宮殿)東側の丘の上にあるムハンムド3世時代の夏の離宮である。かっては王宮と歩道で結ばれていたそうだ。今ではヘネラリフェ南側入口でチケットを買ってからアルハンブラへ周遊するようになっている。 チケットのチェックのあと、緑のアーチをくぐると下部庭園に入る。
宮殿の内部に入るとアセキアのPATIO(中庭)に出る。50mの掘割(アセキア)の両側から噴水が水音を立てている。この離宮が「水の王宮」と呼ばれる由縁となった美しい庭園である。バラの時期には更に美しい光景が見られることだろう。

王の間の壁や窓、天井などはイスラム様式の美しい模様で飾られ、窓からはアルバイシンの街を見下ろし、対岸のアルハンブラ宮殿も間近に見えた。
上部庭園の歩道は、それぞれ別の川から運び込まれた黒と白の石で伝統的なグラナダ様式といわれるモザイク模様を描いている。
 王が公務を離れて家族とともに過ごした避暑の離宮だけに、上部庭園も美しい噴水で涼しさを演出している。私たちが訪れたこの日も、スペインの冬には珍しいといわれるほど気温の高い日だったので、全く寒さを感じなかった

離宮をでて王宮の方へ緩く下る。湧き水など貯めておく貯水池、煉瓦作りのテラ・デル・アグア(水の塔)、王の水路などアルハンブラ全域にとって貴重な水を運ぶため工夫が、あちこちで見られた。
 Abencerrajesの宮殿跡と言われる「考古学的ゾーン」を過ぎて、両側にお土産屋さんなどが並ぶ短い通りに出た。ヘネラリフェから約15分、いよいよアルハンブラ宮殿が近づいた。手前はサンタ・マリア教会、奥はカルロス5世宮殿である。

カルロス5世宮殿 5世は神聖ローマ帝国の称号でレ・コンキスタ(再征服)後ではカルロス1世になる。ミケランジェロの弟子の設計によるルネサンス様式の建築である。
 外観は角張っているが、内部に入るとコロッセウムを思わせる円形になっている。カルロス王は宮殿の完成を見ることなく亡くなり、資金難のため屋根は作られなかった。柱の模様と床のタイルが美しい。
イスラム様式の門を潜って王宮に入る。イベリア半島最後のムスリム王朝ナスル期に建設されたアルハンブラ宮殿の中枢部で、メスアール宮、コマレス宮、ライオン宮など複数の宮殿で構成されている。
メスアール宮の政庁の間 ここで政務がとられ裁判も行われた。王宮の中で一番古い部屋だが、何度も改築されているので補修の痕も見られる。美しい柱飾りや寄木作りの天井が目を引く。
 隣りにある小さな部屋は「メスアールの祈祷室」で、窓からはアルバイシンの街が見下ろせた。
メスアールの中庭に出ると、中央に大きな噴水がある。正面はコマレス宮のファサードで、壁一面が鮮やかなタイルと漆喰で装飾されている。ファサードの左側の扉を入るとコマレス宮に続く。

コマレス宮・アラヤヌスのパティオ 美しい柱廊で囲まれた中庭には細長い池があり、コマレスの塔を持つ建物が鏡に映るように水面にも浮かび上がっている。周囲の生垣にはアラヤネス(天人花・ギンバイカに似た淡紅色の花が咲く)が植えられている。 
中庭南隅の「アべンセラへスの間」はナスル王朝の有力な豪族・アベンセラヘス一族が陰謀を企んだとして王に皆殺しにされた部屋と言われている。床の水盤の茶色の染みは、その時の血の跡だそうだ。この部屋から有名な「ライオンのパティオ」が見える。
 パティオ(中庭)を含むライオン宮は王の住居で、周りを124本の大理石の柱が取り囲んでいる。

ライオンの噴水 12頭のライオンが口から水を吹きだしている。よく見ると一頭一頭の顔が違うが、百獣の王の猛々しさはなく、日本の狛犬のようで親しみを感じた。
 
王様の愛した二人の姉妹が住んでいたという二姉妹の間
天井の装飾は「ムカルナス」と呼ばれ、鍾乳石を基材と
して何種類かの小さな模様をモザイク状に組み合わせて、美しい曲線を描く蜘蛛の巣状にしている。外光を取り入
れて万華鏡のように輝いていた
大浴場はイスラム教徒にとって祈祷の前に体を清める大事なところで、宮殿の豪華な浴室では音楽が奏でられていたそうだ。もちろん蒸し風呂で、上から見ると天井の明り取りが半円球型に地表に出て面白い眺めだった。
最後にリンダラハ望楼からアルバイシン地区を見渡した。ここは1492年のグラナダ陥落までイスラム教徒が住んでいた町で暑さを避けるための白い壁の家が密集していて、カルメンと呼ばれる中庭を持つ邸宅もあった。
 
王宮を出ると池を隔てて貴婦人の塔が見える。付近はパルタル(屋根つきの柱廊)のパティオと呼ばれ、古い宮殿や邸宅があった処である。 ヘネラリエを正面に見ながらバスに帰った。さらに高い丘の上には見張り所兼配水所が建ち、アルハンブラ宮殿が要塞の役目もしていたことが分かる。

グラナダのホテルで夕食を済ませ、アルハンブラ宮殿近くのタブラオへフラメンコを観に行った。Tablaとは板のことで、タブラオの舞台は板張りの床である。その周りをぐるりと椅子が並んでいる。私たちの席は一段高いところで、ここの床も板張りで舞台にもなるようだ。運ばれてきたドリンクを飲みながら開演を待つうちショーが始まった。
 フラメンコはバイアオーレ(踊り手)とギタリスタ(ギター奏者)、カンタオール(歌い手)の三者が呼吸を合わせて独特の雰囲気を醸し出す。カンタオールが高く澄んだ張りのある歌声を聞かせ、ギタリスタもギターを叩いたり、弦をかき鳴らしたりと素晴らしい技を披露する。
 しかし何といっても主役はバイアオーレ。指を鳴らしてリズムをとる「ピースト」や力強く足で床を踏んで靴音でリズムを刻む「サパデアート」、鮮やかなスカート裁きで魅せる「ファルダ」など様々なテクニックを次々に繰り出す。特に腕や手で喜怒哀楽を表現する様子は素晴らしいものだった。
 この人たちは15世紀頃にインド北部からアンダルシア地方に移住してきた流浪の民。そのため独特の風貌と文化を持っている。しかし今ではフラメンコはスペインにすっかり根付いて、無形文化遺産にも指定(2011年)されている。
 約1時間の熱気あふれるステージが終わって外に出ると、冷たい夜風が心地よく、ライトアップされたアルハンブラ宮殿が夜空に美しく浮かんでいた。


   スペインの旅(3)        変愚院22海外の旅         ペンギン夫婦お山歩日記TOP
inserted by FC2 system