(1)



サグラダファミリア

2014年1月下旬、スペインを旅した。スペインで過ごしたのは6日間だったが、予想外に暖かくて過ごし易く、雨が降ったのはバスの中だけで、傘も使わずに済んだ。期待した以上の楽しい旅だった。

1日目(1月24日・金)大阪〜ヘルシンキ〜バルセロナ
昼前、フィンランド航空機で関空をに発ち、15時10分にヘルシンキに着く。凄く短いようだが日本とは7時間の時差があるので既に10時間20分、飛行機のシートで過ごしている。乗り継ぎまで空港内をブラブラする。給油や荷物の積み替えも終わり、いよいよスペインへ。バルセロナへは更に4時間のフライト。時差+1時間で20時20分に空港着。ホテルに着いたのは22時を過ぎていた。

2日目(1月25日・土)バルセロナ〜タラゴナ〜バレンシア
9時、ホテルをでてバルセロナ観光に向かう。今回のツァーは総勢33人、添乗員さんは何とスペインだけで180回近い渡航歴のあるベテランで、長いバスの車中ではスペインの歴史と現状や文化、日本との関わりに至るまで、豊富な情報を伝えてくれる。しかも年号や細かい数字までメモも見ないでマイクに向かうのは驚きだった。高速道を降りて市内に入る。
バルセロナは地中海沿岸に位置するスペイン第二の都市で、城塞を起源とする旧都市と整然と区画された新市街とに分かれている。美しい街並みを見ながらしばらく歩く。
カタルーニャ音楽堂
20世紀初頭、カタルーニャ・ルネッサンスの時代に活躍した建築家ドメメニク・イ・モンタネールによるコンサートホールで、世界遺産に指定されている。
 剣を持っている彫像はこの町の守護聖人・サンジョルディ。ちょっと中を覗いてホールへ続く階段だけを見たが、「モデルニスモ」と呼ばれた20世紀初頭のアールヌーボー様式の建築の一端をうかがうことができた。
ここでは現在でもクラシック、ジャズ、伝統音楽などのコンサートが開かれている。正面入口のモザイクタイルで飾られた美しい円柱には小窓があり、チケット売り場になっている。 建物の裏側には小広場があり、ここでも野外コンサートが行われる。左側のガラス張りの処はレストランで、ここからもホールの一部を見ることができた。
バルセロナの生んだ天才建築家、アントニ・ガウディの手になる作品は市内に数々あるが、車窓から見た一つがカサ・バトリョである。1877年に建築された繊維業者の邸宅を1904〜06年にかけてガウディがリフォームしたもので、世界遺産になっている。石やガラスの破片を張り付けた美しいモザイク模様の正面ファサードが見える。美しい内部の装飾を見ることができず残念だった。 カサ・ミラ も車窓見学に終わった。ガウディが実業家ミラの邸宅として手掛けた、直線部分が全くない地中海の波を表現したといわれる印象的な建物だが、現在修復中で覆いが掛けられていた。どちらもガウディの奇想が生んだだけに、あまり実用的ではない建物に見える。カサ・ミラなどは「石切場」と酷評されてなかなか住み手がなかったとか…そのため今でも家賃は当時のまま変わらず(15万円ほど)4家族が住んでいるそうだ。

サグラダ・ファミリア

日本では「聖家族教会」と呼ばれることが多い、正しい名称は聖家族贖罪教会。
 1882年にフランシスコ・ビリャールが無償で設計した建築が始まり、1年半後に当時殆ど無名の建築家アントニ・ガウディが引き継いだ。ガウディは生涯をかけた聖堂の完成を見ずに1926年に亡くなったが、その遺志を継いで現在も建築が続けられている。2010年11月、教皇ベネディクト6世により祝別されてバシリカ(大聖堂)となった。
 新市街を抜けてマリーナ通りを隔てた、緑の多いガウディ広場から東側のファサードを一望した。完成すると三つのファサード(正面)になるが、「栄光のファサード」はこれからの建築になる。
 4本の塔が広場の池に影を落としていた。
生誕のファサード

ガウディが自らの手で最初に完成させようとしたファサードで、ナザレの聖家族とイエスの誕生の物語の彫刻が全面を飾っている。
ファサードの中層にある「受胎告知」(1)には大天使ガブリエルがマリアに神の子の母に選ばれたことを告げる場面が描かれている。「キリストの誕生」(2)は母・マリアとそれを見守る父・ヨセフ。両脇にはウシとラバも描かれている。キリストの生誕を祝って6人の天使たちがハーブやバイオリンなどを演奏している「奏楽の天使」(3)の主任彫刻家は日本の彫刻家・外尾悦郎氏である。キリストの誕生を告げる「ラッパを吹く天使」やキリストが聖母マリアに冠を捧げる「マリアの戴冠」(4)など、どれも精緻で美しい彫刻群だった。
十字架の形をした内陣は、ガウディが「広がりのある親しみ」を森に見立てたもので、36本ある柱が枝分かれしてドーム型の天井を支えている。
 45mの高さの天井から光が降り注ぎ、内陣奥の礼拝所では美しいパイプオルガンの音が流れていた。


受難のファサード
の彫刻は、キリストを失い悲しむ聖母マリアと慰めるヨハネを描いた「キリストの磔刑」や、ペトロがキリストを知っていたことを三度否定したことを3人の女性で表す「ペテロの否定」など、左下からS字状に上に見ていくと物語が完成する。魔法陣の数字はキリストの亡くなった年齢33を表している。

現在建築中の栄光のファサード(タイトル下の写真)も含め、バシリカが完成するのはガウディの没後100年にあたる2026年と予想されている。1882年に礎石が置かれてから実に150年、営々と続けられてきた作業にはバルセロナ市民の熱意…というより執念すら感じさせられる。自由時間の地価の博物館、ガウディ時代の作業員子弟の学校も含め1時間を越える見学は、異教徒の私たちでも壮大で華麗な宗教モニュメントに圧倒される思いだった。キリスト教について興味を持つ人なら更に感慨深いものがあると思う。


市内のレストランでパエリアの昼食後、バスで今夜の泊地・バレンシアへ。
 約100km走った
タラゴナ郊外で下車してラス・ファレラス水道橋を見に行く。
 古代ローマ・アウグストゥス帝時代に建造されたと思われる二層のアーチ形水道橋で、高さ27m、全長249m。なぜか「悪魔の橋」という別名が付いている。橋の上に登り、昔は鉛の管が通っていたという水路の中を真ん中辺りまで歩いてみた。ほんの僅かな傾斜で遠距離に水を運ぶため精密な計算が行われていたなど、古代の技術が優れていたことに驚く。
 タラゴナを出るとあとはバレンシアまで300 km近く乗りっ放し。窓の外は延々とオリーブ畑が続いていた。


   スペインの旅2        変愚院22海外の旅         ペンギン夫婦お山歩日記TOP
inserted by FC2 system