ペ ル ー の 旅 (1)


2012年3月、長い間憧れの土地だったペルーを訪ねた。ホテル4泊、機中4泊で実質ペルーは4泊5日の旅。しかし今回も新しい仲間と出会いや、初めての土地での珍しい見聞や経験があり、とても充実した楽しい旅だった。

1日目(3月1日)
 20時20分発のANA機で伊丹発。今回のJ社のツァー参加者は21名。羽田で出国手続きのあと(3月2日)0時5分発でロサンゼルスへ。約10時間のフライトだが、日付変更線を通過するのでロスへ着いたのは1日の17時。時間が後戻りしたような変な感覚だった。アメリカの入国審査は非常に厳重で、すでにESTA(電子渡航認証システム)の申請をして許可を取っている。また機内預けのスーツケースなどの荷物はキーロックできず、破損・紛失しても責任は取ってくれない。飛行機を降りて入国審査でパスポート、アメリカ出入国カード、帰りの航空券(E-TICKET)を見せ、スキャナーでまず両手親指、ついで残り4本の指の指紋、目の(虹彩?)写真を取られた。次にターンテーブルで荷物を受け取って関税審査場へ。怪しいと思う荷物は開いて中味を確かめられる。身体検査も厳重でベルトを取り、靴を脱いで裸足で歩かされる。どうも例の9.11テロのあと、かなり神経質になっているようだ。ようやく全員が入国手続きを終えて、乗り継ぎのLAN(チリ最大の航空会社)の搭乗手続き。荷物を預けて、ようやくほっとする。21時15分発のLAN機でリマまで8時間半のフライト。
2日目(3月2日) リマ〜アスカ
 伊丹から羽田、ロス、さらにリマへと実質20時間近くのフライト、通関時間や待ち時間やを入れるとまる一日近く費やして、やっとアンデスの国の地を踏んだ。飛行機の外に出るとどっと暑さが押し寄せてくる。上着を脱いでザックに押し込んだ。出国手続きを終え、円からソルに両替を済ませてホルヘチャペス国際空港を出る。迎えの大型バスは人数の倍近くの座席数があり、ゆったり座ることができた。マルコ君という現地ガイドの青年がペルーの現状などを話し始めた。あとで聞くと横浜の高校に留学して大学生活も日本で送ったそうで、道理で流暢に日本語を話す筈だ。
 ペルーは、フジモリ大統領の時代に破綻しかけていた経済が回復して、今や高い成長率を誇っている。しかし都市への人口流入が続き、貧富の差が次第に激しくなっているそうだ。またフジモリ氏は現政権により汚職や虐殺の罪で有罪判決を受けた犯罪人とされたが、今でも貧困層を中心に大きな支持を受けているという。「彼に対する評価で日本への情報の伝わり方が正確ではない」と後に代わった二人のガイドも口を揃えて言っていた。例えば、犯罪人の家族の雇用を勧め、また出獄後の元犯罪者を刑務所の看守にするなど、経済・治安の両面で大きな役割を果たしたので、とても人気があるそうだ。 
 車の行き交うリマ市郊外から太平洋の荒波が打ち寄せる海岸に出た。サーフィンの盛んな処や、波が穏やかな海水浴場などが点々と続く。
 しばらくマリンレジャー客で賑わう海岸風景を見ながら走り、やがて海岸を離れて曲がりくねった山道を登って行く。丘の上にある小さな町を通る。キリスト像の立つ小山の斜面にはびっしりと貧しい人たちの家が立ち並んでいる。いつ崩壊するか分からない崩れやすい斜面だが、もともとは無人地帯に無断で入り込んで住んでいる人たちは4年間住めば占有権を認められるため、立ち退く気配は微塵もない。昔、金鉱があったところにも無断で入り込んだ人たちが住みついて、ひょっとすると残っているかもしれない金を見つけようと無数の穴を掘り続けている。
 再び海岸に下りて南に走る高速1号線パナアメリカナ・スールに入ると、建設中のリゾート地や美しい岩礁を背にした町を走り過ぎていく。ここもホテルなどの建設ラッシュだ。砂丘のような感じの場所で、砂が海岸近くまで迫っている。
 地図を見るとペルーは海岸からあまり遠くない東側にアンデス山脈を控えている。国民の半数以上が暮らしているのは、地形上、コスタと呼ばれる海から50km〜150kmの間の細長く狭い砂漠の上なのである。日本でも同じ名前の、ASIAという高級住宅地に立ち並ぶ家々は、手入れの行き届いた緑の芝生にプールなども備えている。土地の価格は計り知れず、庶民には見当もつかないそうだ。
入り江と砂漠に挟まれた狭い土地に緑の色が見えまる。再び貧しい人たちの住む地域に入った。ブロック塀などに「KEIKO」と赤い字で書いてあるのが目立つ。前の大統領選挙で最後の決戦投票で敗れたフジモリ氏のお嬢さんの名前である。マルコ君は「今の大統領はお金や物品で有権者を誘導して当選した」と憤っていた。しばらく走って風通しのよい竹の天井の小さなレストランで昼食をとった。
午後は山越えでナスカに向かう。海岸を離れて農作地帯に入る。黄色く見えるのは収穫されたトウモロコシ。アジアや北米、ヨーロッパでは米や小麦が主食として人口増加を支えてきたが、ここアンデスの地で主食となってきたのはトウモロコシとジャガイモである。アンデス山地がもたらす豊富な水で様々な農作物がいきいきと育っている。見渡す限りのブドウ畑があったが、囲いがないとすぐに実がなくなるそうだ。
 バスは曲がりくねった山道を登っていく。荒々しい山肌を間近に見ながら峠を越えると、再び美しい穀倉地帯にでた。次第に夕暮れがせまり美しい夕焼けが明日の好天を約束してくれているようだ。
夕闇迫る頃、ナスカの地方色豊かな落ち着いたホテルに着いた。庭にアルパカ君が放し飼いにされている。寝室は緑の中庭を巡る回廊に並ぶコテージ風だが、ただ蚊が多いにに参る。さっそくキーと一緒に渡された電気蚊取り線香(日本のベープマットに似ている)を点けた。
 小さなグラスに入った食前酒のピスコサワーで食事が始まる。フォルクローレの演奏が、哀愁を帯びたチャランゴやケーナの音色で旅情を高めてくれる。そして、ペルー初めての夜は更けていった。
3日目(3月3日) アスカの地上絵
 地上絵を見るには、太陽光線の当たり具合のいい朝早くか夕方が最適と言われる。モーニング・コーヒーを飲んで5時45分に出発、飛行場はすぐ近くにあり、6時過ぎに到着してバスを降りる。抜けるような青空だ。
オフィスで乗機手続きをする。パスポートを提示して6ソルの空港税を支払い、ひとりづつ体重計に乗る。
 搭乗券の人物はマリア・ライへというドイツ人女性である。地上絵を発見したのはアメリカの考古学者コソック(1939年)だが、クスコで教師をしていてコソックと出会ったライへは、コソックの研究を引き継いで死ぬまで地上絵の調査研究を続け、その保護を訴えてきた。地上絵の近くに埋葬を希望した彼女の希望は、一帯が世界遺産に指定されたため叶わなかったが、「マドレ・デ・パンパ(大平原の母)」と呼ばれて今も敬慕されている。
地上絵は高いところからでないと「絵」には見えないので、小型機による空からの観光が一般的である。このセスナ機は定員12人、私たちが今日の一番乗りだった。天井が低いので頭を打たないように体をかがめながら機内に入る。
 指定された席は右側の前から二列目。すぐ目の前が操縦席で左側がパイロット、右にコ・パイロットが座る。エンジンがかかると短い滑走で軽やかに空に舞い上がった。眼下に乾燥した大地が広がったが、この座席は残念ながら翼の支柱の真横で、視野がよくない。
コ・パイロットがマイクで「オハヨゴザイマス」と挨拶して絶叫調の案内を始める。「トモダチ!」「ミギ!」「コンドハヒダリ!」「イタ!サル」「ミテミテ」「イタイタ!」(「毎日同じところにいるのに決まってるやろ」とツッコミを入れたくなる)、「アネノシタ!」?「カニノシタ」?…これはようやく「羽根(翼)の下」の意味だということが分かった。数百あると言われる地上絵は殆どが意味不明の直線や曲線の一筆書きで、一体誰が何の目的で書いたものか、まだはっきりした定説はない。
そのうち有名なのは動物などを描いたものだが、はっきりそれと分かるものは数が少ない。「イタ!」といわれても探すのがかなり大変で、カメラを構えるともう行き過ぎたあとだったりする。さらに両側の座席の人に見えるように旋回する時は、かなり機体が傾くのでカメラのファインダーを見つめていると酔いそうになる。ビデオに切り替えたが、とうとう写真は諦めて自分の目にしっかり焼き付けて帰ることにした。
 有名な「ハチドリ」は全長96m。
地上絵で一番美しいと言われるこのハチドリが奇跡的に?きれいに撮れただけでも十分満足だ。
「コンドル」は全長135mもある。この地域に棲む別の鳥がモデルとも言われている。渦巻き(案内では「グルグル」)は複数個見られた。「手」はなぜか右手の指が4本しかない。……他にも写真には撮れなかったが、クジラ、サル、宇宙飛行士?など、しっかりこの目で見てきた。
 30分ほどの飛行を終えてパイロットと記念撮影をしてオフィスに帰り、搭乗証明書を貰う。間違いもあると聞いた手書きの名前は、ちゃんと書いてあった。
ホテルに帰って遅い朝食を取った後、しばらく休憩して 11時出発。また450km・8時間、バスに揺られてリマに帰ることになる。40分ほど走ったところのレストランで昼食後、町から15km離れたハイウェイ沿いにある、マリア・ライへの建てた観測用のミラドール(展望塔)前で車を降りる。
 ハシゴを登って約10mの高さの展望台から周囲を見渡すと、木や手の地上絵や、他にも直線や曲線がたくさん描かれていた。空から見るより眼の届く範囲は狭いが、石などが置かれて「絵」を造形している様子がよく分かる。
パルパの地上絵
 ナスカからパン・アメリカーナ・ハイウエイを30分ほどリマの方に引き返したところに、もう一つ地上絵が残されている。バスを下りて教えられた山の斜面を見ると、なるほど人物らしい絵が見える。
 このパルパの地上絵は、1〜6世紀に描かれたとされる「ナスカの地上絵」よりもさらに古いと言われている。しかし一説によると、近年になって突如出現した偽物も含まれているそうだ。そう言われるのも、この地上絵があまりにも鮮明に残り過ぎているためである。私たちは目を凝らしても遠くてよく見えなかった、別の場所にある観測塔の上から取った写真をネットで見ると、そう疑われても無理はないほど鮮明に家族らしい人物が描かれている。
その上、ここは竜巻がしょっちゅう起こる場所なのだ。私たちが眺めているうちにも小さな砂煙が起こったかと思うと、大きく砂塵を捲き上げて通り過ぎて行った。しかしナスカでも竜巻はしょっちゅう起こり、ライへ女史が箒を使ってせっせと地上絵を掃くのを見た地元の人は、はじめ「魔女」だと笑っていたと聞いた。地上近くの空気の層が絵を守っているそうだが、いずれにせよ、ナスカもパルパも夢を掻き立てる謎が多い地上絵だった。
バスは昨日きた道を一路リマへ帰る。サボテン畑が続く中で突然バスを止めて、ガイドのマルコ君がサボテンから何か獲ってきて、客席を回って見せてくれた。コチニール(別名エンジムシ・臙脂虫)というウチワサボテンの実に寄生するカイガラムシの一種である。インカ帝国では染料として養殖されていて、押しつぶすと赤紫色の液体を出す。
 荒涼とした土地に植えられているのは、ペルーの砂漠を象徴する木、
ワランゴである。根がなんと地下100mまで伸びて水を吸い上げるという。延々と荒涼とした砂漠の中を走り、やがて昨日見たような不法土地占拠者の住宅がポツポツ現れるようになり、山を下ってリマの市街地に降りていく。時間にルーズなペルーだが、バスはほぼ予定通りにリマに着き、長い一日が終わった。

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