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ポカラはペワ湖に臨む美しい観光の町ですが、またアンナプルナ山群への重要な登山基地でもあります。 カトマンドゥから西に200q、バスで6時間離れたところにあります。 私たちは飛行機でしたので僅か40分で到着しました。 1997年のポカラ空港(というより飛行場と呼ぶのがふさわしい)です。 このときは、すぐにアンナプルナ展望のトレッキングに出発、市内の見学は下山後になりました。 トレッキングの様子はこちらをご覧下さい。 |
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トレッキングを終えてポカラに帰った日に宿泊したホテルです。 市中心部からは少し離れていますが、前年(1996)にオープンしたばかりの当時ポカラで最高級の「ホテル・シャングリラ・ビレッジ」は、中庭に沿ってコテージが並び、部屋の調度も豪華でした。 各コテージの庭が広く、こんなイスやテーブル、ハンモックまで置いてあります。 何より、ここからヒマラヤの山々が眺められる絶好のロケーションです。 (バックはマチャプチャレ、建物は別のホテルです) |
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ホテルの庭から見たマチャプチャレ(6993m) 「魚の尾」の意味で、ここからでは美しい鋭峰ですが、ダンプス〜ランドルンの間辺りからは文字通り二つに分かれて見えます。 |
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アンナプルナサウス(左)南峰7219mと本峰(8091m) 本峰(アンナプルナT)はモーリス・エルゾークの「8000mの上と下」で知られる、人類が始めて登頂に成功した8000m峰です。 いずれも翌日の朝、望遠レンズで撮影しました。 到着した日、レイクサイドまで歩いて土産物を買ったり、チベット料理を食べてタクシー(運ちゃんが新しいホテルを知らず困った)でホテルに帰りました。 残念ながら手持ちのフィルムが心細くなり、町の写真は撮れませんでした。 今のようにデジカメだったら、思う存分撮れたのに残念です。 |
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次にポカラを訪れたのは2006年、マナスル三山トレッキングから帰ったときでした。 昼食をすませてペワ湖畔へ行きました。 目の前に浮かぶ湖中の小島に建つヴァラヒ寺院のお祭りの日です。 お詣りする人を乗せたボートが次々と発着しています。 |
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船着き場近くには、人出を当て込んだ露店が出ています。 お面、風船、綿菓子!など昔懐かしい縁日風景です。 |
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翌朝、ポカラ国際山岳博物館を見学しました。 この博物館は2004年、日本の資金協力で開館したものです。 |
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「山のひとびと」セクションでは、ネパールの山岳民族(写真はシェルパ族)の生活から始まり、世界各国の山民の風俗を紹介しています。 日本の昔の山びとの人形もありました。 |
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「登山活動」の展示。 アンナプルナ始め8000m峰登頂時の装備・衣服などが展示されています。 特に日本隊が初登頂したマナスルについてはスペースも広く、登頂に使われた当時の装備がたくさん展示されていました。 写真はマナスル日本隊の使用した登山靴とアイゼンです。 |
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「ヒマラヤの動植物」セクションの雪豹の剥製。シッポをピンと立てた姿が凄い! その他「世界の山」セクションでは、ヒマラヤ8000m峰を中心に、世界各国の山々が写真や模型で紹介されていました。 |
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ヒンデ(ヒンドゥー)・バシニ寺院 ポカラの旧市街地郊外の小高い丘の上にあります。 森の中にいくつかの小さい社があり、それぞれクリシュナ神、ヴィシュヌ神などが祀られています。 なかでも女神・ドゥルガー(ドルガ)を祀る祠が中心です。 この日はダサイン最後の日とあって、晴れ着の人で大賑わいでした。 |
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生け贄のニワトリを捧げる人もいます。 右に見える門を出て石段を下り、オールドバザールへ向います。 |
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南へへ500mほど行くとオールド・バザールです。 100mほどの間に古い煉瓦作りの家が並んでいます。殆どが3階建てで1階が商店になっています。 ここは、かってチベットとの交易で栄えたところで、山の人相手のネワール族の商店が多いということです。 |
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しかし今はもう少し南の、飛行場に近いマヘンドラ・プルという通りに新しいバザール(商店街)ができて、古いバザールは人通りも少ないようでした。 落ちついた佇まいの町並みだけが、栄華の跡を伝えています。 |
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変愚院22海外の旅 | ペンギン夫婦お山歩日記 |